人生の忘れもの…定年後の一人野宿旅
  • 10Dec
    • 大辻山へ

      2018年11月19日 思い立って「大辻山」へ出かけた。北アルプスを眼前に一望するには「桑崎山」と「大辻山」がいいという。出来れば春の真っ白なアルプスを見たいが、一応初冠雪はあったらしいから見に行くことにした。中央手前の尖った山が「大辻山」大辻山線の途中にある「国立青少年自然の家」鍬崎山とゴンドラスキー場が見える林道大辻山線から北アルプスを望む、左手前の山が「大辻山」中央右の尖った山が「桑崎山」富山平野と富山湾を望む林道から山に入る二つの峰を超えていく奥に見えるのが「大辻山」?常願寺川と「立山大橋」が見えるそろそろ頂上が近いか急に目の前が開けた大日岳と大日平称名滝が正面から見えるのはここだけ?称名滝下山と途中見かけた立山杉7時間(トレッキング4時間)の山行でした。

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  • 20Nov
    • 本を捨てる

      本を捨てる・・・・この歳になるまで考えもしなかったことを、突然思い立った。そろそろ少しずつ捨てていこう。できれば自分自身もどこかに捨てたい。手始めに本から捨てよう。いつの間にこんなに増えたのか。どれだけの時間を本に費やしたのか。それは自分にとってどんな時間だったのか。今となってはすべてが無だ。無駄とは言わないが。これで概ね二分の一くらい文庫本は3分の2ほど捨てた

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  • 08Nov
    • セカンドハウスを売ります

      定年の年、2006年の春、氷見の石川県境の海岸沿いに小さな下駄ばきのセカンドハウスを建てた。前は国道160号線、後ろは崖。その間の狭い土地に廃屋があった。それを購入し、解体したあとに建てた。向きは東南東。朝日は10時の方向、遠い山裾の上から登る。日本海から登ったらよかったのに。目の前の湾には「定置網」が数カ所設置され、早朝近くの漁港から数艘の小舟が網を挙げに行く。冬から春の晴れた日には、真正面に真っ白な立山連峰が連なる。海越えの連峰が見えるのは世界でも数カ所とか。1時の方向には、新湊大橋の二本の塔と富山新港の火力発電所の煙突が見える。2時の方角には、近くに虻が島が、その向こうに雨晴、二上山が見える。数年前には富山湾は日本で二番目の「世界で最も美しい湾クラブ」に加入した。現在は後方に「能越自動車道」が七尾まで開通したので、前の国道はずいぶん静かになった。建物の東側には小高い丘状の大地があり、斜面になった海側に杉の大木が数本とモミジの大木がある。今は草茫々の自然状態だが、いろいろ利用価値はありそうだ。杉の木を利用してツリーハウスを作ることもできるし、台地でバーベキューをすることもできる。(ただし、相当手入れが必要)杉の枝を整理すれば見晴らしは抜群だ。前の海岸には小さな浜があって、国道から降りることもできる。この辺りには川がないので、海水の透明度はすばらしい。夏にはマイビーチとして楽しむこともできる。最初の頃は子供たち(自分の子供ではない)を連れてきていろいろ活用したが、そろそろ役目を終えたようだ。次の利用者を探すことにした。場所は能登半島の付け根立山連峰の北側から登る朝日富山湾越しの立山連峰・・・ズームで虻が島定置網を挙げる舟高岡方向を望む建築中の建物・・・一階部分は物置グーグルアースより去年の画像(グーグルアース)氷見から七尾方面を望む(グーグルアース)前の小さな浜上から見た海面(透明度は湧水なみ)台地への登り口杉の大木とモミジ台地の状況・・向こうに屋根が見える・・・右は竹藪から崖窓から見た風景部屋の様子(囲炉裏のある14畳〈押し入れ付〉)・・・2018年10月左がロフト大きな額もそのままで湾が見えるバス◆家具類・・・大型冷蔵庫・洗濯機・掃除機・クーラー・バーベキューテーブルとイス・木製ベッド・ソファーベッド・紫檀製テーブル・茶棚・円筒形ストーブ。電気炬燵他●所在地・地目・面積―氷見市脇6-2 宅地 363平方メートル(内建物敷地130㎡=14、4×9)●建物約40㎡下駄履き(1階物置)+テラス13㎡+階段3、7㎡〇トイレは水洗(浄化槽)〇風呂は電気温水器(夜間電力)〇ガスはプロパン(地元農協)〇固定資産税―年額36,000円〇地元町内会費―なし(年末に清酒2本)★アクセス―能越道灘浦インターより7.5キロ 七尾大泊インターより3キロ土地を含めて約1000万円かかった物件ですが、デッキが腐食していて修繕の必要がありますので、家具を含めて300万円でお譲りします。連絡先:sugi6693@poem.ocn.ne.jp

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  • 04Jul
    • 乗鞍岳へ

      「明日は駐車場に北陸電力の工事車両が入るから、車を停めないでください」え~~~他に置くところがないよ。明日も暑くなると言ってるし、この際乗鞍へでも逃げるか。というわけで、急遽、来年のバスウオークの候補地を下見に行くことにした。二日もあればなんとかなるだろう。例によって野宿道具を積み込んで7月2日9時に家を出た。国道41号線を南下。上岡を経て安房トンネルから国道158号で松本方面へ。前川渡から乗鞍へ。観光バスならスカイラインを通れるので30分は時間短縮できるはず。一昨年の上高地と変わらないだろう。今回は「畳平」と「三本滝コース」「善五郎滝と牛留池コース」「番所大滝コース」を下調べする予定。とりあえず「乗鞍観光センター」へ行くことにする。帰川渡から乗鞍へ行くにはトンネルを通りすぎてUターンして左折するようになっていた。前川渡を曲がった途端に変な風景が飛び込んできた。畳平へのバスは昨日(7月1日)から始まったばかり。今日2日は月曜日ということもあって、観光センター駐車場も閑散としている。駐車場向かい側の土産物屋から乗鞍岳の山並みが見えた。ここには実にいろんな案内看板がある。県道(48)を中心に様々な散策コースがある。観光センター駐車場にニッコウキスゲが少しだけ咲いていた。14時のバスで畳平へ向かう。50分かかるらしい。畳平から自転車で降りてくるチャリダーが結構いる。ということは、この道を自転車で登った?バスの乗客も少ないので、運転手さんと車掌さんとで話し込んでしまった。この有料道路は昭和30年代に自衛隊の訓練の一環として作ったらしい。舗装されたのが昭和50年代だとか。そういえば半世紀くらい前だったと思うが、雪渓スキーなんかできもしないのに、誘われて金魚のうんこでスキーをしに来た記憶がある。あの時は駐車場は砂利の状態?ここでは来年の雪までスキーをしにくる人がいると言う。14時55分到着二階建ての「乗鞍本宮」乗鞍岳の主峰は「剣ヶ峰」だが、乗鞍岳の名称は一帯の名前だそうだ。鶴が池魔王岳から右上「摩利支天岳」の頂にあるドームは「自然科学研究機構」の乗鞍観測所その左が「富士見岳」主峰の「剣ヶ峰」はここからは見えない。とりあえずターミナルの前にある「魔王岳」に登ってみるコマクサの群生?があった高山植物の代名詞「コマクサ」魔王岳の頂乗鞍バスターミナルその後ろが「不動岳」?ターミナルの後ろがお花畑魔王岳の下に見えたのは「亀が池」?ひょっとして鶴と亀?これが有名な畳岳のお花畑「ハクサンイチゲ」が中心でした。ピンクの花は「コイワカガミ」お花畑へ通じる地下に「自然博物館」があった15時のバスで降りる今日はここで野宿品川ナンバーや多摩ナンバーの関東勢、大阪やなにわの関西勢が多い。富山ナンバーはゼロ。晩酌のつまみを忘れたので、向かいの土産物屋でウドのしょうゆ漬けを買う。3日5時。乗鞍岳に朝日が当たる今日も暑くなりそう。ラジヲで長野は36度になると言っていた。ここは上高地と同じ標高1500メートル。夜は相当冷えると思い、股引やら長袖の下着を持ってきたが、全く不要だった。今日は滝巡りとするか。5時半 インスタントラーメンとコーヒーで朝飯を済ませ出発するとりあえず観光センターから一番近い「善五郎滝と牛溜沼コース」から15分ほど歩くと「善五郎滝」が現れた広い場所はないから一列でゆっくり通り過ぎるしかなさそうだ休暇村が見える滝から歩くこと20分、牛留沼にあづまやがあった乗鞍岳が一望できる結構絶景である水芭蕉のお化けみたいな葉っぱはなんだ?牛留池を一周して休暇村の横にでたここでバスに乗って次の「番所滝コース」へ行くことになるかな。三本滝は畳平への一般車進入禁止道路入り口だから、畳平の帰りにするのか、それとも・・・・バス2台とすると、三本滝は行って来いのルートだから、70~80人が同時に行動するのは難しい。1台は畳平~三本滝、1台は三本滝~畳平と分ける手もあるか?そうすると、帰りにスカイラインを通ることになる。このあたり一帯はスキー場になっているレストハウスの裏から滝へ向かう吊り橋を渡る吊り橋の下流これも一応滝?レストハウス裏から歩くこと12分 三本滝に着く。真ん中の滝 午前8時 ちょうど虹がかかっていた。安物のカメラでフィルターもないから薄い虹が判りにくい。右側の滝。結構迫力だ。滝の高さは5~60mだそうだが、結構幅がありますね。右側と真ん中の滝。真ん中の滝と左側の滝、水量も少なくわかりにくい。せめて名前くらい付けたら?帰りに吊り橋を上から撮るここは今がラベンダーか道端で野猿が日向ぼっこ三つ目の「番所大滝」へたぶんウオーキングでは最初になる上流から歩いて下流へ行くか?川沿いに歩くここも橋を渡るこれが千間渕か張り出しの木道さっき渡った橋滝を目の前に見る滝見台へ降りるここへ出てくる途中松本のカメラマンと出会うここに車がないから「車はどこへ停めた?」と聞く三本滝の虹や畳平のお花畑の話をして別れる。これで大体の見当はついたことだし、今回の調査は終了としよう。朝の7時に高岡を出て畳平で11時過ぎか。三つの滝巡りをして畳平からスライラインで帰れば夕方には付けるか?。80人もの団体で行動すると時間通りにはいかないから・・・帰り道国道471号線の細越で岩山が目に入った。頂に祠が見える。岩の麓に杖石の農産品直売所があった。平日で無人販売になっている。キュウリ4本で100円。一袋買う。(もちろん100円は入れましたよ)日本人はなぜかこういうところには決まって祠を建てる。そしてなぜか弘法大師の名前が出てくる。こういうのを見るとなぜか登りたくなる。高さ70メートルか~ 結構あるな~少し登ったところにも祠があった。ほとんど鎖場缶の中に100円玉を入れるとカーンと音がした。お賽銭が入っていない証拠だ。チャリーンと言うまで入れようかと思ったが、当方もいろいろ事情があるので・・・頂から高原川の上流を望む

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  • 29May
    • メルヘンガーデンのバラ

      「高岡おとぎの森公園」にメルヘンガーデンがあって、ちょうどバラが満開でした。

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  • 06May
    • 山藤の季節

      5月6日 ゴールデンウイーク最終日。孫も帰ったし、来年のコースを考えていて現地へ行ったのだが、山藤が見事だったので、何となくアップしたくなった。ちなみにコース名は「フィトンチッドとオーシャンビュー」にしようか・・・と。面白くもなんともなくてすみません。ちなみにこちらは今から田植え時期を迎える。田植えと言えば「田植え花」(谷空木)ついでに「シャガ」も咲いていた。タケノコは今年は早いのか竹の子になっていた。●わが国の本州、中部地方以西から四国・九州に分布しています。木本性の蔓植物で、他の樹木に絡みついてよじ登ります。蔓の巻き方は種によって異なり、「ふじ」は右巻き、「やまふじ」は左巻きです。4月から5月ごろ、枝先に20センチほどの総状花序が下垂して、芳香のある藤色の花を咲かせます。富山湾・・・左は能登半島谷空木(たにうつぎ)田植えもだんだん遅くなる。

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  • 09Apr
    • 春の四重奏

      「高岡ウオーキング協会」第72回例会 「あさひ船川春の四重奏」ということで、4月7日(土) お花見ウオークを行いました。私は救護担当で、車で伴走しておりましたので、花見でごった返しているところには入れませんので、対岸の人のいないところで写真を撮っていましたら、たまたま・・・ほんとに偶然いい写真が撮れましたので、アップしたくなりました。家に帰ってパソコンに取り込んで初めてわかってびっくり!お花見のメインはこの対岸・・堤防も広く並木も両側にあって見事なトンネルになっている。香具師も出て、台湾からのツアーも多い。こんな感じですね。この右側に香具師が並ぶお花見バスこれが舟川メインの花見を終えて昼食場所へ桜並木へ向かうところこれが「四重奏」です。手前からチューリップ・堤防の菜の花・土手の桜並木・立山連邦の日本海側の雪の朝日岳https://www.asahi-tabi.com/sijuusou/https://www.takaoka-walking.com/

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  • 15Jan
    • 久しぶりのドカ雪

      「豪雪18年周期説」というのがある。昭和2年、昭和20年、昭和38年(38豪雪)。昭和56年。じゃあ56豪雪のあとは? 昭和2年の前は?38豪雪は今でもはっきり覚えている。あのときは屋根雪を2度から3度下し、除雪機械もない時代だったからおろした雪はそのまま山になって、人はその上を歩く。二階から出入りするような状態だったのだ。たぶん平米町~大坪町の通り当時の記録を見ると、1月11日から降り出した雪は13日に45センチ、14日に55センチ、15日に65センチ、16日に110センチ、17日には135センチに達した。小休止のあと20日には145センチ、22日には170センチ、23日には2メートルに達した。24日に「全市一斉除雪」が実施されたが、25には235センチ、26日には295センチ、27日にとうとう3メートルになった。これは富山気象台の数値(高岡が多かった?)ちなみにこれが56豪雪こんどのどか雪は1月11日・12日で87センチの積雪(高岡)だったが、以後お天気はよくなって見る見る凹んでいった。野ざらしの駐車場から車を避難させたばっかりにたいへんな目に会ってしまった。こんなことなら雪に埋もれたままにしておけばよかった。駐車場の地主の車これから自分の駐車スペースを空けるところ消雪施設から駐車場までの道を空ける

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  • 20Dec
    • 異邦人が見た150年前の日本⑧

      ● イギリスの詩人、エドウィン・アーノルドは明治22年に東京で開かれた、ある講演でこう言った。「地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国だ。その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のように優しい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙譲ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生きがい有らしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い位置に置くものである」

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  • 19Dec
    • 異邦人が見た150年前の日本⑦

      ●  明治初期のこと。大森貝塚の発見で知られるアメリカ人の動物学者エドワード・モースが、瀬戸内海地方を旅したある日、広島の旅館に、財布と懐中時計を預け、しばらくの間遠出をしようとした。そのとき、旅館の女中が、「お預かりします」と言ってしたことは、時計と財布をお盆に乗せて、モースの泊った部屋の畳の上に置いただけであった。もちろん部屋は襖で仕切られているに過ぎず、鍵や閂などはついていない。モースは「とんでもないこと」だと思って、宿の主人を呼んだが、主人は平然と『ここに置いておけば安全です』と答えた。自分の旅行中に、この部屋を使う人は何人もいるわけだし、女中たちも終始出入りする。モースが不安をぬぐえるわけもなかった。しかし、モースはここで思い切って『日本社会の実験』をしてみようとのつもりになったようで、そのまま遠出したのである。一週間後、旅館に戻ったモースは、部屋の襖を開けて心から驚き、感じ入ったのである。その時のことをモースは次のように述べている。『帰ってみると、時計は言うに及ばず、小銭の一セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、蓋のない盆の上に載っていた』モースによれば、当時の欧米のホテルでは、盗難防止のため、水飲み場のひしゃくには鎖が付き、寒暖計は壁にネジで止められているのが常だったそうである。モースはこの日記の文章に続けて『日本人は生得正直である』と書き留ている。また、横浜の大火にも遭遇したモースは、「老いも若きもまるで『祭礼でもあるかのように』微笑すら湛えて復興に歩みだしていた」と、すべてを受け入れる日本人の姿を著わしている。多くの欧米人がいろいろ観察しているが、ほぼすべてに共通しているのは、『人々は貧しい、しかし幸せそうだ』である。だからこそモースは『貧乏人はいるが、貧困なるものは存在しない』と言ったのである。欧米では裕福とは幸福を意味し、貧しいということは、惨めな生活と道徳的堕落など、『絶望的な境遇』を意味するのだが、この国では全くそうでないことに驚いたのである。

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  • 18Dec
    • 異邦人が見た150年前の日本⑥

      ● フランシスコ・ザビエル日本人は大変善良な人々であり、社交性があり、また知識欲は極めて旺盛です。今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人々は、異教徒の間では見つけられないでしょう。● トーマス・グラバー幕末に長州・薩摩・肥後・備前・宇和島の各藩とは何十万、何百万の取引をしたが、賄賂は一銭も使わなかった。これは、賄賂を懐に入れるような武士は、一 、二の例外を除いて一人もおらず、皆高潔かつ清廉であったためで、賄賂をしたくてもできなかった。このことは是非、特筆大書して後世に伝えていただきたい。● ● スエーデンの植物学者カール・ツユンベリは、1775年長崎の出島に来て、「江戸出府」に加わり、日本人を観察・記録した。「彼らは第一級民族。勤勉で賢明で礼儀正しく勇敢」と評価し、「志那朝鮮では女は奴隷なのに、この国では女は男と同席し表も自由に歩く」ことや、「清潔好きで、週に一度どころか毎日お風呂に入る」ことに驚きの目を瞠った。

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  • 17Dec
    • 異邦人が見た150年前の日本⑤

      ● 日本精神〈リップン・チェンシン〉台湾語として定着している「勤勉」「向上心」「正直」「仕事を大切にする」「約束を守る」「時間を守る」「フェアであること」等々、戦前の日本人が台湾に持ち込んだ諸々の徳目であり、それを良きものとして受容し、大切にしてきた台湾人の思いである。対する中国式とは何か。「自分だけが得をすればいい」というものの考え方。「お上を絶対に信じない」「秩序を絶対信じない」「上に政策あれば下に対策有」という思考様式である。日本精神が日々薄れ、『中国式』に染まりつつある台湾社会である。

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  • 16Dec
    • 異邦人が見た150年前の日本④

      ● ペリル提督日本遠征記安政の大地震はM8.4だった・大津波で3万人が死んだ。しかし、日本人は落胆もせず、雄々しく仕事に取り掛かっていた。ルイス・フロイス、フランシスコ・ザビエルなどヨーロッパの宣教師は、当時の「日本社会の実情」を記した手紙・報告を故国に書き送った。その中で彼らは『日本人はヨーロッパの先進国の人々ですら足元にも及ばぬほどの高い文化とモラルを持っている」と、絶賛している。更に時代が下って、幕末の頃に日本を訪れた外交官や商人たち、オールコック・ヒュースケン・アーネスト・サトウ・シュリーマンらも、『日本は他のアジア諸国とは全く異なる』と、その歴然たる差異をはっきりと認めている。シュリーマンは帰国後日本見聞録を著わした。彼は日本の前に立ち寄った中国と比較して、あるエピソードを紹介している。彼が中国で最も不快に感じたのは、平気でうそをつき、お金をごまかす一般庶民の姿だった。乗り物に乗っても、最初に提示した料金とは全然違う、高額の料金を後で吹っ掛けられたりして、閉口することがしばしばだった。その彼が日本で渡し船に乗ったときのことである。後で料金を支払う段になって、中国で味わった不快な先入観が頭をよぎった。どうせ法外な料金を吹っ掛けられるに決まっているだろうから 、それならば、最初から高い金を渡しておこうと思い、規定の数倍の料金を渡した。すると船頭が不思議な顔をして『これは規定の料金と違いますよ』と言って、余分の金を突き返してきたのである。

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    • 異邦人が見た150年前の日本③

      ● エンゲルト・ケンペル〈徳川綱吉にダンスを披露〉日本人は武を尊び、栄耀栄華を夢見、名誉欲が強い。手先が器用で、頭の働きが良い点で、日本人は他の諸国民より優れている。世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人に優るものはない。● 吉田松陰の渡航事件について、ペリーの「日本遠征記」には次のように書かれている。 この事件は我々を非常に感激させた。教育のある 日本人が、生命を顧みず、国の法律を破ってまでも、その知識を広くしようとする、激しい心を示したからである。日本人は誠に「学問好きな、研究心の強い国民である」この事件ほど、日本人がいかに新しいものを好む心が強いか、を露わにしたものはない。日本人のこの心は、厳しい法律と、幕府の監視のために抑えられているが、日本の将来に実に想像のできない世界を開くものではなかろうか。

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  • 15Dec
    • 異邦人が見た150年前の日本②

      ● サヴィエリイ・ワクセル〈ベーリング総司令の副官〉二隻の漁船が漕ぎ寄せてきた。漁民が船に上がってきて、新鮮な魚や米、大きなタバコの葉、塩漬けにしたキュウリなどいろいろな品物を広げた。だが、それを売ろうとするのではなく、ロシアの品物と交換したい様子をして見せた。彼らの交易態度はすこぶる合理的で、眼識も相当高いものであった。中でも異彩を放ったのは、「漆黒の染味」を出しているリンネルであった。スハンベア指令も、「世界中にこれほど素晴らしい染め色の出ているものを見たことがない」と言っていた。指令はそのごさらに数日にわたって日本の沿岸を回って、つぶさにその実態を観察した結果、”この国は実に容易ならない国”であることを知った。彼は「よくもこの国を目指してきたものだ」と喜びに堪えなかった。その一端を挙げてみると、まず、その無数の船舶を見ただけでもわかることで、ヨーロッパで見られるものと比較しても決して見劣りのしない、優秀なものが少なくない。同じく貨幣を収集してみても、充分にその優秀な文化を反映している。その他は言うに及ばず、その能力は侮れない国民性を持っている。彼は口を極めて「よくもこの国に来ることができた。日本こそ、やがて親交を結ぶ国である」と叫んだ。

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  • 14Dec
    • 異邦人が見た150年前の日本①

      ● タウンゼント・ハリス〈初代駐日アメリカ公使〉日本人は喜望峰以東のいかなる民族より優秀である。私は、ときとして、この日本を戒告して、外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。これまで見たどの国よりも、簡素さと正直さがある。柿崎は小さくて、貧寒な漁村であるが、住民の身なりはさっぱりとして、態度も丁寧である。世界のあらゆる国で、貧乏にいつも付き物になっている”不潔さ”と言うものが見られない。● ヘンリー・ヒュースケン〈ハリスの通訳として活躍〉この国の人々の質朴な習俗と共に、その飾り気の無さを私は賛美する。この国土の豊かさを見、至る所に満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そして、どこにも「悲惨なもの」を見出すことができなかった私は、この幸福な情景が今や終わりを迎えようとしており、西洋の人々が、彼らの〝重大な悪徳"を持ち込もうとしているように思われてならない。● イザベラ・バード〈英国人女性旅行家〉日本ほど婦人が危険にも無作法な目にも会わず、安全に旅行できる国はないと信じている。料金を取られた例もない。群衆に取り囲まれても失礼なことをされなかった。● ウオルター・ウエストン〈日本のアルプスを世界に知らしめた英国登山家〉教育の無い、日本の田舎人ほどの"真の意味の紳士”を日本の内外で私は見たことがない。● ラフカディオ・ハーン〈小泉八雲〉日本人の微笑は、”念入りに仕上げられ、長年育まれてきた作法”なのである。それはまた、”沈黙の言語”でもある。もし、どこかの国で暮らしていたとしても、”人間の機微に触れる喜び”を味わえただろうか。日本には「美しい心」がある。なぜ”西洋の真似をするか”

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  • 02Dec
    • 国技の危機Ⅱ

      山田氏の言うことがほんとなら、相撲は国技ではない。国技は「柔道」とか「剣道」にしたほうがいい。」昔から相撲は興行だったのだから。

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  • 01Dec
    • 国技の危機

      何故モンゴル出身の横綱が“暴力”で引退することになるのか?いろんな声を集めてみて、問題の深刻さが・・・・(日本が移民問題に慎重な理由も・・・)

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  • 16Nov
    • 東北ふらり旅⑰・・・親不知ー(費用) 

      11月7日は羽黒山を下りて新潟県境の道の駅「あつみ」まで来た。時間はまだ3時半。あとは海岸線をまっすぐ帰るだけ。今日はここでのんびり野宿しようかとも思ったが・・・そういえば、今回はまともに日の出も夕日も見ていない。どうせなら海に沈む夕日を見ながら飲もう。7号線から345号線を海岸沿いに走って、村上市の岩船海水浴場までやってきた。どうにか間に合ったようだ。海に沈む夕日はいつも寺泊でしたが、今回は。サンセットと戯れるアベック4時50分 早いですね~4時52分浜釣りをする人。5時22分まだ寝るには早いし、することもないし、もう少し飲もうか。11月8日(水)3時45分目が覚める。することもないのでインスタント味噌汁を飲んで暗がりを出発する。6時半、長岡の海岸でうどんを作る。親不知が近い。10時半 親不知の道の駅に着く時間も早いのでゆっくり見物することにする。この親子亀 名前がついてたな~こんな道の駅も珍しいんじゃないかな~ここだと能登半島に沈むのか~世界一のヒスイの原石持ち帰り自由だそうです。ジオラマやっぱトンネルは無理だったのか。松尾さんと曾良もここを歩いたのか。今だったら腰まで海に浸からないとだめらしい。温暖化のせいですかね~親子像「親不知」の名称の由来は幾つの説がある。一説では、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、この名が付いたとされている。また、以下のような伝承もある。壇ノ浦の戦いの後に助命された平の清盛は現在の新潟県長岡市で落人として暮らしていた。都に住んでいた妻はこのことを聞きつけて、夫を慕って2歳になる子を連れて京都から越後国を目指した。しかし、途中でこの難所を越える際に、連れていた子供を波にさらわれてしまった。悲しみのあまり、妻はその時のことを歌に詠んだ。「親不知 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行く」以後、その子供がさらわれた浦を「親不知」と呼ぶようになったとする伝説もあるいいところを見つけましたよ。関係者しか見られない光景能生の弁天岩午後1時過ぎ 無事家に着く。そんなに疲れはない。もっとも日ごろの生活が野宿みたいなもんですから。気力とお金と命があれば石垣島と青島に行ってみたいが、まあ無理でしょう。もっとも命があってもボケてしまったらおしまいですが。それではまた。

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    • 東北ふらり旅⑯・・・羽黒山

      出羽三山とは「羽黒山」「月山」「湯殿山」の総称。http://www.dewasanzan.jp/羽黒山は414メートルの山。2446段の階段を1時間かけて登る。(と本に書いてあるらしい)2446? 冗談だろ!羽黒山は最初“行くべきか 行かざるべきか”迷っていた。2400段の階段とはどんなものなのか。想像がつかなかった。いつも登っている二上山の階段はせいぜい200段.富山(大沢野)の「風の砦」が4百数十段。これが登った最高だ。2400なんか絶対無理だ!あきらめよう昔から諦めのいいのだけが取り柄だったから。本来ならば、日本海側に出た由利本荘市からまっすぐ海沿いに南下して帰って来るつもりだった。・・・・のだが・・・・羽黒山に近づくにつれて、いつものように迷いがでてきた。「行かないで後悔するか、行って後悔するか」どうせ後悔するなら行って後悔しよう!それに・・・七尾の国分氏にあざけられるのも癪だし。鳥居に向かって歩いていると、降りてきた中年のアベックに出会った。「上まで行ってこられました?」「たいへんですか?」「そんなことないですよ。この人は300回ですよ」と連れの女性を見た。「え~~~~」さあ、諦めて行きます。あれ、下ってるぞ。この下りは帰りには登りになる。これは・・・末社かな?  何とか神社とあったような・・・石段を下ると、須賀の滝が現れる。樹齢1000年と言われる爺杉。(言いえて妙)やがて国宝の五重塔が現れる。石段を進むと塔を横から見ることになる。子守神社・・・謂れは読んでこなかった階段と言っても高さが10センチほどしかない。老若男女 結構いろんな人が来ている。一の坂を越え、急階段を上るとお茶屋がある。ここはちょうど中間。もう冬支度だ。茶屋はここだけ、もうかるだろうな~樹齢350年から500年の杉の間をゆく。 さあ あと半分。いい写真があったので借ります。延長1.7キロの参道はすべてが階段でもない。駆け降りる人結構重そうな人もいますから。よくわかりません。この鳥居をくぐればもうすぐ山頂です。今度の旅で唯一の自分の写真。これはなんでしょう?これが山頂の「三神合祭殿」立派な鐘楼です。末社ここにも芭蕉像が。ウオーカーの元祖です。500~600年前の杉?正面からは全体が入りません。若い外人夫婦背中に子供が・・・二段跳びで降ります。二股の杉。 なんであんなところに穴が?門をくぐって約1時間。戻ってきました。神域の入り口とされる随神門入り口にある大杉・・・これも二股になってるな~登りは45分、下りは25分かかった。二上山と大して変わらない。余計な心配をしたものだ。参道は産道と伝えられ、行者にとっては生まれ変わりの道です。後悔しないで帰ります。ありがとうございました。帰りに見かけたグリコのおまけ・・・コンビニにあった。油圧シリンダーは半月型の中にあった。月山(1984m)・羽黒山(414m)・湯殿山(1504m)三山のそれぞれの山は、羽黒山が現世(正観世音菩薩=観音浄土=現在)、月山が前世(阿弥陀如来=阿弥陀浄土=来世)、湯殿山が来世(大日如来=寂光浄 土=未来)という三世の浄土を表すとされます。近世の出羽三山詣では、羽黒山から入り、月山で死とよみがえりの修行を行い、湯殿山で再生する巡礼が多く行 われ、生まれ変わり(死と再生)の意味をもった「三関三渡(さんかんさんど)」の旅とされました。

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