スイス初スケートのオリンピックメダリスト、ハンス・ゲルシュヴィラーが9月27日96歳で永眠した。1947年のヨーロッパ選手権と世界選手権覇者、1948年のサンモリッツオリンピックと世界選手権銀メダリストだ。
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さてハンス・ゲルシュヴィラー氏は1920年6月20日にチューリッヒ近郊で、スキーで有名な家族に生まれた。彼がスケートを始めたのは13歳の時だった。彼の叔父Arnold Gerschwilerはスケートコーチとして名を知られていた。彼がロンドンへ移ったのについてロンドンへ居を移した。彼は1938年初出場のスイス選手権で今でいうコンパルソリーで2位の選手を100ポイント離して優勝した。1939年のヨーロッパ選手権では5位だった。
悲しい戦争が起こり、やっと1947年に競技会に出る事が叶った。彼のスケートを精悍な優美さで全体的なシンフォニーとして素晴らしく纏められている。それは完璧なバンスととコントロールで概念と演技に驚くべき多才さを秘めていると今は亡きBBCのスポーツジャーナリストのペーター・ウェスト氏がコメントしている。
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因みにサンモリッツオリンピックと世界選手権ならびにヨーロッパ選手権で金メダル
を取ったのは、あのデイック・バトン氏である。2人はその後強い友情で結ばれたそうです。
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オリンピック後プロにて転向しカナダに渡った。トロント出身のナンシー・クラークと知り合い1953年に結婚しました。
コーチとしてカナダと米国で働いたが、その弟子の1人がダグ・リーである。覚えていらしゃるでしょうか? ダグ・リーはブライアン・オーサーをはじめ本田武史、エルビス・ストイコなどのコーチでした。
また、アーノルド・ゲルシュヴィラーはジョン・カリーのコーチでもありました。
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縁とは不思議なものですね。スイス初のフィギュアスケートメダリストのコーチであるアーノルド・ゲルシュヴィラーがジョン・カリーのコーチでもあった。そのハンス・ゲルシュヴィラーはダグ・リーをコーチし、ダグ・リーはブライアン・オーサーをコーチした。
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そして今、ブライアンが慈しみ育てているのがYuzuくん。そしてYuzuくんは、ハンス・ゲルシュヴィラーのマブダチであるデイック・バートンに続けとオリンピック連覇を目ざす。
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Yuzuくんが健やかに自由に練習ができ、思うように自由に幸せに滑り続ける事ができますように心からお祈りしています