よしおくん、
私の大事な孫猫。
なぜ孫猫かというと、十代の頃より結婚願望が他の人より薄い私です。
家庭環境や大人になってからの処方薬とリハビリにお世話になりながらの生活、
働いていたい。
父と母のしなくても良い外部からの圧力により、総合的に美しい両親が、苦しんでいるのを傍目に成長してきたわけですが、
親族というものは厄介で、よその県からきた嫁は古き良き観光名所の地域ではゴシップが盛んで、よそ者は格好のターゲット。
母の知人であった叔母の祖母が是非にと父の一目惚れにより、見合いを断り再三にアタックの末、結婚した2人。
待ち構えていたのは、毎食時にちゃぶ台をひっくり返して嫁いびりを執拗にする、是非にと言ったおばあちゃん。
2歳からの記憶がある私は、そんな母におぶられながら、つたない言葉で泣かないでを繰り返していたらしいです。
母を守るあまり、父は胃潰瘍になり、最後は壮絶、そして後を追うように、母は乳がんになってしまいました。
私はその為NYから、愛娘のチンチラシルバーの猫ぷりんちゃんを連れ帰り、介護の生活を始めました。
余りに強い絆で結ばれたぷりんちゃん、父の49日後に生まれたこともあり、satcの撮影にもあったペットショップで出会い、結婚しないと決めていた私の娘になりました。
長くてごめんなさい。
そんな母は、結婚だけが全てではないと、でも2人と一匹の生活は、母にはジェラシー感じるほどで、
可愛いぷりんの子が欲しいと、つまりは母にとって孫になる子が欲しかったんでしょう。
ネットでお婿さんを皆さんの応援により京都から迎え、3匹の可愛い子が誕生しました。
ただ、ぷりんちゃんの様子がおかしく、医師に帝王切開をお願いしたら、必要ないと言われましたが、子宮が癒着していたことがわかり、
すぐ手術、深夜だったこともあり、アシスタントもおらず、我々親子が麻酔で仮死状態の3匹を人工呼吸して、なんとか。
でも、親猫のぷりんは苦しみのあまり、そして産んだ記憶がないので育てようとしませんでした。
一ヶ月、婿猫の豆ちゃんがぷりんのグルーミングをして漸く自力で歩けるようになり、
子猫の方はというと、
最初は一時間交代で世話をし、再発の可能性が薄かったにも関わらず、
母は身を削って、子育てに協力。
結果、子猫は諦めた方が良いといった医師も、驚くほどに大きく元気に育ちました。
よしおくんは現在14歳と半年、兄妹のはるみも同じ。
長毛種は寿命が平均的に短毛種より短いらしいです。
母は、再発しながらも、今が人生で一番幸せだと言っておりました。
愛するものだけに、誰にも邪魔されず生活できる日々、完全看護でしたが、強い人でした。
特によしおくんを気にかけ、懐いていた子猫たち。
母の地元の土地より、指輪より、私には大事な形見が婿猫の豆ちゃんと子猫たち。
よしおくんは、毎年この時期になると毛玉症で具合が悪くなりますが毎度復活を遂げます。
もちろん、世話もケアもしますからですが、ここ二さん日で元気に走り回っていたのに急に大人しくなってしまいました。
明日は、丸っと仕事のため医者には行けません。
明後日病院に連れて行きますが、
どうか、元気に復活してほしい。
私には本家の残り、ケアをしなければいけない人、周りの人による圧力はまだあります。
私の代で終わりにしたい。
常に無理を強いられることも、フルで働きながらそんなことがありすぎ、時間が取れない。
それがもどかしくて、猫たちとの朝と夜の時間が何より大切。
彼らは与えることだけし、奪うような愛情を見せたりすることは無い。
他界した父母、祖母生前から遺言を残していたのですが、母はそれをなくなる前口頭にて正しましたが、昔の音声が残っているため、
希望どうりの行動をしないと親族にどやされます。
でも猫たちは、何があっても嫌なことがあっても、力強く前に進みます。
そして私を日々支えてくれる。
自分でも平然ではないため何書いてるかわからなくなりましたが、
大事なよしおくんを元気にしたく、文字にしました。
動きまくりだったのでなかなか画像が撮れません。
今宵はこの画像をペタ。
私のおもちゃの家に入り、ダメダメ言われて出てきた反省顏のよしおくん。
誰が読んでくださってるかは分かりませんが、パワー送ってください。
ではまた。