小さな喜びと漠然と思うこと | TIG+HUG

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MTFとして、一人の人間として、まだまだ未熟な私の日常や色んな考え事をマイペースに書き綴っております。

私が働いているのはスーパーのレジ。

一日に何十人~百数十人ものお客さんを相手にするわけで。

当たり前のことだけど、その中には色々な人がいる。


見慣れた常連のお客さんや、たまにしか来ない人。1回見ただけですぐに忘れてしまう人。

トランプをシャッフルするように色々な顔が現れては去っていく。


大多数の人は平凡・・・というと変な気もするけど、いわゆる”普通”な人達だ。

でも、中にはそういった”平均”とは少しズレた位置にいる人達もいる。


私のように。


そういう人達を見るたびに、私は改めて世の中にはいろいろな人がいるということを思い出す。

私だけではない、ということを知る。

もちろん見ただけじゃわからない人もいるけれど。


そういう人達がスーパーのレジという日常社会の場に出てきて、普通に買物をしているということに、

ああ、普通に生活してるんだなぁ、と感じる。


それがどういうことなのか、それができなかった経験のある人ならよくわかると思う。


本当に、些細で当たり前の光景。

そんなことをこうして一々書くことも、何を大袈裟なと言うべきかもしれない。



そうやって普通に暮らしてる人達の中に上下も差別もない。

ひとりひとりが毎日自分らしく生きている・・・かもしれない。

それができてないかもしれない。

それはレジからぱっと見ただけでは、わからないけど。


でも私はそういった人達(自分も含めて)が、スーパーで買物をしているという光景に嬉しさを覚えるんだ。



こんにちは。いらっしゃいませ。ありがとうございました。


たったこれだけのやり取りでも。



数週間前、耳の聞こえないオバマ様おば様が私のレジへやってきた。

私はいつものように、挨拶をしてレジを進めようとした。

私の働いているスーパーではレジ袋が有料なので、お客さんに袋をもっているかどうか聞かなくてはいけない。

おば様に袋をもっているかどうか尋ねたが返事がない。

もう一度呼びかけて待っていると、おば様は手を耳のあたりでくるくるっと円を描くようにまわした。


「私は耳が聞こえません」


というジェスチャー。


声でしゃべっても、上手く伝わらない。

袋を取り出して、なんとか意思の疎通はできたけれど、言葉が伝わらないというのがなんとなく嫌だった。

だからおじぎをしたり笑顔を作ったりして、

こんにちは、いらっしゃいませ、ありがとうございましたをなんとか伝えたいなって思った。


数日後、本屋に行って、手話の本を手にとってみた。



こんにちは=両手の人差し指を胸の前で上に立て、おじぎするように曲げる

ありがとう=左手の甲を上に向けて水平にし、右手を左手に対して垂直に立てて上にあげていく


他にもいろいろあったけど、すぐには覚えられそうにないと思ったのでとりあえずこの二つだけ覚えた。

もしあのおば様がまた来てくれたら、やってみよう。

ありがとうだけでも、伝えたいな。

偽善かもしれないし、それでなにがどうなるというわけでもなく、ただそれだけの軽い気持ちで。



昨日のこと。

おば様ではないけれど、今度は30前後くらいの女性の耳が聞こえない人がレジへやってきた。

最初は耳が聞こえないということがわからなかったため、私は普通に接客しようとしたんだけど、

同じように反応がなかったので、もう一度聞きなおす。

すると彼女は口真似で


ふ・く・ろ・?


と口パクで聞き返してきた(のだと思う)


おお、これが読話かー?ちょっと驚いたけれど、私の「ふくろ」っていう単語をなんとなく読み取ったのか、

それともまぁ、レジだからなんとなく想像ついたのかはわからないけれど意思は伝わったみたいだった。


手話を使うべきかどうか迷ったけれど、最後に急いでありがとうの手話をやってみた。

すると、彼女にとっては意外だったのか、すごく笑顔を見せてくれた。


ありがとうだけでそこまで反応されるとも思わなかったので、逆にこっちがびっくりしてしまったくらい。

でも、こうやってコミュニケーションができたことが私にとっても本当に嬉しかった。



たぶん、彼女は私がGIDだなんて気づいてないだろうけども。

私も、彼女も、おば様も、みんな普通だなって思えた。


一人一人の人間であって、ハンデがあろうとなかろうと、そんなの関係ないなって感じた。



私はGIDというカテゴリにいるけれど、GIDというカテゴリだけで見れば、

GIDは身体的機能のハンデを背負ってるわけじゃない。


GIDの人達の中では、性同一性障害という名称を嫌ってる人もいる。

障害なんかじゃない!私たちは障害者じゃない!

そういう主張を見たこともある。

私もそういう風に考えたことはある。

別に、普通だよ私。みたいな。


そういう気持ちは、確かにわかる。

蔑まれたくない。特別扱いされたくない。障害者扱いされたくない。


でも、そういう意識って、障害者を下に見ているから出てくるものなんじゃないのかなって思うようになった。

体を間違えて生まれてきただけというなら、障害者の人達だって同じはずなんだから。


ならGIDは障害者なのか?というと、多分これが一番議論されてるとこなんだろうけど、

そんなのどうだっていいじゃんね。


顔をあわせればみんながみんな、一人の普通の人間だし、

医療費適用だのなんだのっていうのが一番問題なんだろうけど、身体のことで困ってるのは同じなんだし。


何が問題なんだろうね。

区別?差別?


私は、少なくともGID当事者の言う「私たちは障害者じゃない!」という叫びには障害者への差別意識を感じる。

小島よしおがこういう方面でもっとがんばってくれればいいのに、なんて思ったり(・∀・;)


私も、もっと他人を受け入れられるようにならなくっちゃ。


うまくまとまらないけど、今日はこの辺で(;´▽`A``




差別をする人を批判するのは差別する人を下に見てるから?

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それともそれは違う?