いつも通り | †† GOMAKASI ††

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役者☆ごまのプラベートブログ

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お葬式も終わり、その後もバタバタしたまま二日過ぎましたが、やっと落ち着きました。

今仕事帰りです。


またいつも通りな日々です。



やっぱり、一人でいるとき油断すると、ふと思い出して泣きそうになるんですが、もうこれはどうしようもない…

メンタル面の不安定さとはしばらく付き合っていくしかなさそうです。




気持ちを落ち着ける為に書きます。
病気のことも知ってほしい。




亡くなったのは私の叔母です。

幼い頃から小学生の時まで、私にピアノを教えてくれてました。

家も近いから、健康食品を買い込んでは祖母に持ってきてくれて、人一倍健康には気を使ってた。

お年寄りに、音楽に合わせて身体を動かすリトミック教室をしたり、パワフルな叔母でした。





病気発症は二年前。

診断後すぐにされた余命宣告は三ヶ月。


家族の熱心な支えで生き延びてました。
だからこそ、急だとも思えた。




『筋萎縮症』




これだけ医療が発達した現在でも、原因不明、治療法不明の難病です。

筋肉が弱り、歩くことも喋ることも出来なくなり、やがて心臓も確実に止まる……


ほんとに、関わる誰もにやり場のない思いがぐるぐる回ります。




病気になってから、私は叔母に一度しか会っていません。

会いに行った時は入院中で、まだ歩けるけれど、もう喋ることは困難になっていて、五十音が書かれたボードを使ってのぎこちない会話でした。


会いに行くのを躊躇ったのは、

女性として、意識はしっかりしているのに、こんな姿は見られたくない…と思っていたりするだろうな…

とか、

実際、親戚とはいえ今は来ないでほしいとか、行っても帰って欲しいと言われたりとか、
家族間でも色々あり、行きづらかったのが大きな理由です。



ケアハウスに入ったり、出たりしながらの介護は夫と息子が交代で。
私たちには頼ってくれませんでした。


最近は自宅療養で、息子も会社をずっと休んでの介護。
たった二人がかりでの24時間介護なんて想像できないくら大変だろうに、どうして頼ってくれなかったんだろう…


もうそろそろ危ないかもしれないと連絡が来て、父が様子を見に行き、その状況から私達も来週行くようにしよう…と決めたのが、亡くなった前日です。



不思議ですよね。
ちゃんと、父は自分の姉が死ぬ直前には会えたんですから。


私は、叔母のスピッちゃんが父を呼んでくれたんだと思ってます。





しかし酷です…。

どうしてこんな病気になってしまったんだろう。

病気のことを知らされていなかった、ピアノ教師仲間の人達は、突然の死に泣き崩れていました。


でも、泣いてもらえる叔母を少し自慢にも思えました。

よかった。



天国には、おじいちゃんとおばあちゃんがいるし(^^)
今まで動けなかった身体を目一杯動かして、長く離れてた自分の両親と幸せでいてほしいものです。



おばあちゃん、娘の病気のこと知らなかったから、来るの早すぎてびっくりするやろなぁ…(^^;