さて、書きたい事が山のように積み上がっているのに
物理的に書けない日々が続いております・・・
わたしの物語を楽しみに待って下さっている方~~
パート3ですっ!
わたしの物語パート1
わたしの物語パート2
先日、友達を送って行った帰りに通っていた中学校の前を通りました。
私が通っていた頃は丸襟の白シャツにえんじ色のリボン、
紺色のスカートにジャケット、という制服だったのですが、
今は私服になっているらしくなんだか伸びやかな感じ。
50円とかだった油っぽいシンプルなドーナッツの
味と購買部のおっちゃんを思い出しておセンチな気分になりました。
さて、つづき・・・。
パート2で書いたようになかなかハードな生活を
していたのもあったのか、(いや、関係ないな)
勉強をするという習慣が身に付かないまま中学3年生に。
志望校を提出した私に担任が言ったのは・・・
「お前、このままやったらどっこも受からんぞ。
京都の誰でも入れる私学を併願にして
公立の誰でも入れる高校目指すのが賢明やし、
そうしとき」
理科を教えてくれていたY先生は物腰が柔らかくて
優しい先生だったのにも関わらず、
その時の口調はものすごく真剣でした。
さて、どうしよう・・・?
と悩んだ私はその公立高校に通う自分と
大阪の私学の学校に通う自分を想像しました。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
どう考えても大阪の私学に通っている自分のほうが
生き生きしていて楽しそうでした。
その学校は姉が通っていた学校で、
私の中では「誰でも入れる」イメージでした。
でも、偏差値は私が取っていた点数より10数点上。
姉に連れられて学園祭にも行った事があったし、
よく知っていたので自分が通っている
イメージをするにはしやすかったのですね~
併願で奈良の私学をふたつ受けたものの撃沈。
その頃、大阪と京都の私学の高校は同じ日に
入試があったので何個も受ける事は出来ませんでした。
担任は
「今からでも遅くないし、勧めたようにそうしとき」
と、言って来たのですが、
その京都の学校も全く知らないし、
奈良の公立高校も行く気がなかったので
もし最悪にして落ちたら中学浪人する気で、
自分的には勉強をしてその高校を受けました。
その結果・・・・
合格!!!!
担任のY先生の豆鉄砲を食らったようなお顔が忘れられません~(^O^☆♪
その学校は今では名門の男女共学になっていますが、その頃は小学校と中学校が併設された、1学年3クラスというミニサイズの女子校でした。
近畿大学附属高校女子部。
教師陣が漫画に出て来そうなほど
個性豊かで
生徒もかなり変わった女子ばかりが
集まっていました。
姉がそこの水泳部の夏だけマネージャーを
していた関係もあって、顧問のいしだて先生(仮)に誘われて私も自動的にマネージャーに…
その経験はその後の私をがっちり形成したなぁ…( ̄Д ̄)ノ
ともかく…
女子校楽しかったです!
授業中にラーメン食べてて、先生に怪しまれたり、友達間でジャーナリスト気分で自分達と芸能人とのスクープ雑誌を作ったり…( ̄Д ̄)ノ
あー楽しかった!
懐かしい!
課外学級の蒜山高原であったキャンプファイヤーの時に、当時仲良しだったMと、
ド演歌を歌い、大ウケだったのに気を良くして、文化祭の舞台に飛び込みで参加することに!
歌ったのは
ホテル紅葉のCMソング。
こぶし回しまくりで歌い上げたら
この写真の通りの大盛り上がり☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
チーン
そんなこんなで水泳部のマネージャーとして、姉はやっていなかった
放課後の練習の参加をしはじめました。
彼らはオリンピックの候補になるほどの
選手達で、朝も昼も夜も泳いでいました。
レベルの高い選手は地方から
寮に入ってまで水泳に命をかけていました。
その彼らの情熱と葛藤は
本当にすさまじいものがありました。
そんなすごい人達と毎日過ごしていて自分が進むべき道を探していた頃…
とある出会いがありましたー。
Part4に続く…コチラ
胃と肺の検査受け付け待ち中~