賃貸に越してからというもの休日はパジャマで過ごす時間が圧倒的に増えました。
テスです。



さて2016年も5月に入り、ゴールデンウィークも終わりかけ…新しい環境に身を置かなければならないor置いている人も、
たくさん居ると思います。

入学とか、就職とか……普通の人ですら緊張するというのに、
醜形恐怖症持ちにはストレスマックスな時期ではないかと思われます。


私はといえば、働く場所は変わらずとも周囲のメンバーは変わったりして、
人が変われば環境も変わるというわけでして……

戸惑いつつもなんとか順応しようと苦闘しています。


ですが醜形のほうは、ちょっと悪化?というのではないけど、

最近顔のムダ毛や毛穴がものすごく気になりだして、鏡とにらめっこする時間が徐々に増えているので、

いかんなーと思っています。

まあ今はこうやって冷静に書いてますが、
実際に鏡を見ている時間の心境はこんなものではないわけで、

本当にその時気になる顔面のことしか考えられなくなっている状態です。

やめたいのにやめられない。

ちなみに若干肌の状態が良くないので、
やっぱりそのあたりがきっかけかなあと思っています。


肌が汚いというか、綺麗ではない状態の人なんていくらでも居るのは分かっています。

雑誌の写真みたいに毛穴やその他のアラが全く目だたない肌の人なんて、デパートのコスメカウンターにでも行かない限り、
そんなに見かけるものでもありません。


ただ、私のような思考回路だと、

少しの肌荒れを見ても、こんな汚い肌を晒して生きてたんだ…と思ってしまいますし、

そのことで猛烈に恥ずかしいような気分になり、消えてしまいたくなるんですよね。

自分に対する強過ぎる嫌悪感が、本当に溢れ出てくるような感じなのです。

これだけ自分が嫌いということは、
逆に考えると自分に過剰な期待をかけ過ぎているともいえます。

つまり自分のことが好きすぎて、
大事すぎて、   素のままの自分ー例えば能力が低かったり、ぱっとしなかったり、コミュニケーション能力が低かったりする自分を受け入れられない状態にあるという感じですね。


醜形恐怖症の人全員がこれに当てはまるとは言えないですが、
私は極端な自分ぎらい=極端な自分好きであるという説に説得力を感じています。

もうこれについては、
自分なりのベストというものを意識して生活するしかないのかなと、半ば諦めながら考えてます。

どうあがいても、自分はかっこ悪くて、
不器用で、美人でもなくて、才能もない。
しかし醜くもない。

そういう自分でも受け入れて生きるしかない。

そういう考え方を身につけるしかないのかな、と…。


ですが、そう上手く行かないのが、人にどう言われようと、醜形恐怖症患者には現実に自分が醜くて生き辛いという実感があるわけですよ。


なんていうか、必要以上に顔に囚われていても生活に支障をきたすだけというのは充分分かっているのですが、

でも現実に見てくれが重視される社会と、
顔にとらわれるなという考えに折り合いが付けられない。


いくら自分の考え方を変えたとしても、
人の容姿や年齢で簡単に態度を変える人達を見たら、簡単に気持ちが折れてしまう。


僻みとか、妬みとか、逃避みたいな感情の固まりが、私にとっては醜形恐怖症なのかもしれない。



情けないですが、
今の私はこんな感じの考えです。

まるで成長が見られないですね(笑)
まあ、簡単に治るものでもないから醜形恐怖「症」なのだと思いますが……


拙いブログですが、
新生活でしんどい思いをしている醜形恐怖症の方の暇つぶしにでもなればと思います。


超不定期更新ですが、たまに見てくださっている方、ずっと見てくださっている方本当にありがとうございます。