「ぼん。そんなに急いでどこ行きよるん?
もうすぐ雨が降りそうだけん、はよ帰って来んさいよ。」
「うん。分かった。すぐじゃけん。心配せんで。」
昨日の台風の雨がまだ天井裏に残っているのか、
長屋の軒先からは、まだ時折、ぽたぽたと雨水が垂れている。
「健ちゃん、明日やろ?ちゃんとお別れ言ったんか?まだやったら・・・」
「分かってる。言われんでもそのつもりやったけん、
帰りにでも寄ってくるけん。」
「何かお菓子でも包もか?」
「いらん。健ちゃん、そういうの好きじゃないけん。
それよりちゃんとお別れ言いたいけん。」
まだまだ暑い夕暮れ時。
でも心なしか、街に吹く風には、
もう半分くらい秋の匂いが混じり始めていた。
「トンボじゃ。もう飛んどるんじゃね、
あっちは・・つがいのもおる。」
「モタモタしとると日ぃ暮れるよ。はよ、用事すましてきぃ。
お母さん、夕飯の用意してまっとるけん。」
「夕飯、なん?」
「何やと思う?
今日は、お前の好きなもんじゃ。」
「カレーライス!」
「当たり。さ、はよ行ってき。」
「分かった。あんまり辛くせんでね、俺、甘いのが好きじゃ。」
そういうと、少年は夏の夕暮れの中に勢いよく飛び出していった。
山からは、蜩(ひぐらし)の大合唱が響いていた。
