お久しぶりの記事でございます。

恒例の文化の日ネタ。

と言ってもそうそう毎回、目新しいものを記事にできるほど私は文化的な人間ではないので(そんなことは百も承知してるぞ)あいも変わらずのネタで今年はやり過ごそうという魂胆ですから何卒ご了承のほどを<m(__)m>

 

さて、”舞台”という場もひとつの文化の場。このことに異論のある方はあまりおられないと思います。舞台と言っても1000人以上も収容できる大劇場・ホールもあれば数十人がやっとのライブ会場もあって様々。ようするに”生”で芸を披露する場所、と解釈していただきたい。映画やレコードなどの”記録技術”が発達した今ではこの生の舞台を味わうというのは少しばかりの贅沢じゃないかと私は思うのですが・・・皆さんは如何?

というわけでこれぞ”生の魅力””本当の芸”と思われるライブ映像をアップいたします。是非とも御堪能していただきたい。

なんせ、今ではもう見られないものばっかりなんだから。

 

最初は・・・・

 

どうよ!この迫力。次から次へと盛り上げていくこの歌唱力・パフォーマンス力。

この歌はシナトラのそれで有名だけど、もともとは彼女の持ち歌。

私は彼女のニューヨーク・ニューヨークが大好き(^^♪

 

さて、お次は・・・

 


以前にも紹介した2016年度ケネディ文化センター名誉賞の受賞者の一人キャロルキングを讃えるステージに於いて”とり”として登場したアレサ・フランクリンの「ナチュラル・ウーマン」。

“圧巻”という言葉がこれほど当てはまる人はそういないだろう。

ピアノを弾く、椅子から立ち上がって歌い上げる。最後にはこんなもの着ていられないとばかりに毛皮のコートを脱いでしまう・・・他の人がやれば何でもないことなのに彼女がそれをやるたびに観客が彼女にのめりこんでいくのがこの動画からもみてとれる。

これが”芸”なんだと見ていて鳥肌が立つ。参ったとしか言いようがない。

 

さて3番目は・・・

 


これ観て文句言う奴・・・さすがにおらんやろ(^^♪

10分ほどのパフォーマンス。あっという間に終わったというのが素直な感想。今じゃ同じダンスを彼よりうまく踊る人はいくらでもいるだろうし、ステージの仕掛けももっと大掛かりなものができる。

でも、そうじゃない。帽子や手袋・ジャケットだけでこれほど魅了させる彼のパフォーマンス力って偉大だわ。

 

次は大変長い。でもお暇なら飲み物・おやつなんかを片手に。

 


本来なら上方落語の米朝師匠あたりの落語がいいかなと思ったりもしたけど、今回は変化球というか江戸前落語の異端児談志師匠の芝浜。「落語というのは人の”業”を語るものだ」と主張してはばからないこの師匠の芝浜・・・誰だって思いもよらない大金を拾ったにせよ手に入れたらこうなっちゃうよね。でもそれでも何とか間違いを犯さずに暮らして、すっかりまともになった3年目の年の暮れ、この女房が亭主に「実は・・・」と話すくだりは聴いていて涙が出る。絶品の芸です。

 

いまやこれらの舞台芸を観客として味わうことは不可能となりました。(ライザ・ミネリさんはまだご存命ですが病気で芸能活動はできません。他の3人は既に亡くなっておられます)

それでもなんとかこういう素晴らしい芸を少しばかり楽しむことが出来る今の世の中に感謝すべきなのでしょう。でも、本当ならちゃんと舞台の前でこの方達を拝見したかったなぁ。

 

ねぇ、コロナだからといってこういう場を制限するのはいい加減やめませんか?2類から5類へ指定を変えるだけでいいんだけどね。人は人とこうしてじかに触れあわなければどうにもならない生き物なのですから。

ネットライブなんて味気ないよなぁ(/ω\)ほんとに・・・。