令和3年8月・・・すったもんだの挙句の五輪開催も何とかたいしたことにならず、逆に日本選手の活躍が目立った大会となり、よかったと胸をなでおろす今日この頃。

 

 さて、今年の15日の記事は何にしようかと悩みながら、呑気にYoutubeを飽きもせずに眺めている私です(笑)

以前にも述べたことあるけど、どうしても昔の動画、音楽を見たり聞いたりするのはこの歳になれば仕方ないことで・・・。

そんな時、懐かしい一曲を見つけて「おぉ、これなぁ!懐かしいわ、いい曲だわ。夏っぽくて南の風が感じられて好きだった」と胸キュンしたのがこれ↓

 

  これ聴いて懐かしいと思う人・・・

        あんまりいないだろうなぁ(笑)

私が中学2年の頃に流行った歌。グループサウンズもぼちぼち影が見えだした時期だった。この歌詞はこれ↓

 

「青い海原 群れ飛ぶ鴎
心ひかれた 白いサンゴ礁
いつか愛する 人ができたら
きっと二人で 訪れるだろう

南の果ての 海の彼方に
ひそかに眠る 白いサンゴ礁

まことの愛を 見つけたときに
きっと二人で 訪れるだろう

南の果ての 海の彼方に
ひそかに眠る 白いサンゴ礁

まことの愛を 見つけたときに
きっと二人で 訪れるだろう」

 

作詞はこの方↓

阿久悠さん・・・いくら何でもこの人知らん人おらんやろ!

 

う~ん、なんてことない新婚旅行の歌じゃないかと(爆)

そう、思っていたら実は・・・

これは先の大戦で南の海に眠っておられる方への「鎮魂歌」であるという説が。(でも、これを作詞した偉大なる作詞家阿久悠さんがそのことを明言されている資料は探したけどなかった だからこの説って所謂”都市伝説”の類かもしれない)

 

この歌が流行った1969年当時、沖縄はまだ返還されておらず、世界中が荒れる若者たちによる”反体制”運動の嵐の中。日本はようやく復興を遂げ高度成長の真っただ中。アポロは月面着陸するし、ベトナム戦争はますます激しくなるし、中国では文革やってる最中だし、世界中のあちらこちらで民族紛争や独立運動やなんだかんだと・・・そういう年。新婚旅行だって国内旅行が殆ど。

だって確か円はまだ一ドル=360円の固定相場だったはず(この頃、アルバイトの時給って100円ぐらいだった)海外旅行なんて夢の又、夢。台湾やグアムあたりにでも行けば税務署が脱税調査に入った(ジョークだよ、ここは 笑)白いサンゴ礁の海へ旅行なんて・・・まさに夢や物語の世界。

 

鎮魂歌であるという説によると、歌詞の意味は南の海に眠る英霊の方達に”ようやく自分も家庭を持つことができた。あなた方のお陰です、喜んでください。私たちを守って亡くなられたけど後は立派にやっていきますから安らかに眠ってください”・・・という意味らしい。白いサンゴ礁は海に眠っておられる英霊の方達を象徴しているんだって。

う~~ん、そう言われたらそうと解釈できるなぁ。

でも、実際のところどうなんだろうねぇ。

で、それよりもこの作詞が阿久悠さんと知ってある映画を連想した。それがこれ↓

この映画・・・ご存じの方も多いはず。

夏目雅子さん、マジに綺麗だったわ。

阿久悠さんは知る人ぞ知る野球ファン。出身が淡路島。その関係で大のタイガースファン。この映画は氏の少年時代の自伝ともいうべきもの。それまで幼い軍国少年だった彼が敗戦によって一挙にその価値観を崩されたあの時代を進駐してきた米軍との親善ゲームという話によって描いた佳作。そうか、考えたら氏も”あの時”を体験した焼け跡派だったんだね。だったら上記の白いサンゴ礁にそういう解釈を立ててもおかしくはないわなぁ。

と思っていたら連想ゲームのようにある人が浮かんだ。

    その人はこの人↓

この投球フォームと胸のジャイアンツのロゴ・・・

野球ファンなら知らぬものはいないだろう。

伝説の投手「沢村栄治」氏

 

ここで”白いサンゴ礁鎮魂歌説”がつながったわ。

いつになく長い記事になったので簡潔に言うけど、沢村氏こそ白いサンゴ礁となった英霊の一人。彼ほど戦争に翻弄されたスポーツ人もあまりいないだろう。野球人として絶頂の最中、かれは徴兵され中国戦線へと送られる。そのずば抜けた肩の力を部隊では重宝して戦場では手榴弾を多く投げさせた。結果、無残にも肩を壊してしまい兵役を終えて球団に戻っても以前のように速球は投げられなかった。それでも彼は投球術を工夫して何とか現役を続けたが、再び徴兵。二回目の兵役を終えて戻ってきたがすでに野球選手として活躍することは叶わなかった。球団を辞めてしばらくしたらなんと三回目の徴兵!今度は南方へ送られることになり輸送船に乗ったが・・・東シナ海で攻撃を受け船は沈没。伝説の投手沢村氏は帰らぬ人となった。

阿久悠さんは沢村さんの全盛時代にはまだ生まれていない。恐らく野球に興味を持ったのは戦後だろうから氏の名前も知らなかったかもしれない。でも、野球に興味を持てば当然の事として「沢村」の名前は覚えるだろうし、彼の野球人生も知るだろう。南の海に眠る不出世の大投手・・・自身の終戦の記憶とそのことを思いながら騒然とした世の中であった1969年にこの歌詞を書いたと想像してもおかしくはないだろう。

 

今年の8月15日・・・

アスリートたちの頑張りに元気づけられたコロナ過での終戦日。

甲子園では球児たちが白球を追っている。