ペイン. スチュアートの想い出 | TOSHI HIRATA〜究極のレッスンFrom USA

TOSHI HIRATA〜究極のレッスンFrom USA

日本プロゴルフ協会A級ティーチングプロとして日本で活動していたが、現在はレストランチェーン『Seasons Of Japan』のCEO、そしてCBDオイルの普及活動をもなっている。米国ゴルフチャンネルの解説者の経験や様々な発信をWEBで行行なっている。


ペインスチュアートと言うプロがいた。
2度目となるUSオープンのタイトルをフィルミケルソンとの死闘を演じ獲得した。
しかしその数ヶ月後に飛行機事故で帰らぬ人となった。
1957年生まれ。
偉大なゴルファーがこの年代には多い。
セベバレステロス、ベルンハルトランガー、ニックファルドそしてペインスチュアートなのだ。
ついで私もこの57年生まれなので良く記憶している。
ペインはとても人気があるプロゴルファーであった。
ニッカボッカにハンティング帽、それが彼のトレードマークでもある。
私は彼のファッションに憧れてアシスタントプロの研修会でさえこの服装で出ていた。
当時、私が着用していたのはペインのそれとは違う「Black and White」と言う倉本選手が契約していたブランドだったが。
彼のスイングはとてもアップライトなスイングでダウンスイングに掛けてリストコックを多用するプレーヤーだった。
スイングをコピーした記憶はないが、その流れるような右足のスケーティング打法は当時としては珍しかった。


私が渡米して2年が過ぎた1997年、家族も呼び寄せてベイヒルに居を構えていた。
そんなおり近くのゴルフ量販店の工房にいつものようにクラブ調整に出かけた。
リペアマンとは親しくなっていたので、店の奥にある工房に入って行くと1人の年上らしき?…正確に言えば少々頭が禿げ上がったゴルファーが椅子に座ってリペアマンと談笑していた。
「Hi !」とお互いに挨拶を交わした。
リペアマンが「日本から来たプロゴルファーだよ!今はゴルフチャンネルで解説の仕事をしている」と彼に紹介した。
柔かな笑顔の彼をじっくりと見ていると誰かに似ている。
でもそれが誰だかわからなかった。
ふと彼のゴルフバックに目をやると、そこにはあの有名プレーヤーの名前があるではないか!
それでも、今私の目の前にいる中年親父がそのプレーヤーだとは思えなかった。
私は「まさか貴方はあのペインスチュアート?」と尋ねた。
彼は「そうだよ!」と微笑んだ。
もう何を言って良いのやら…
狭い工房の中で舞い上がった私から出た言葉は
「ずっとあなたのファンだった!」ではなく、「13歳の息子があなたの大ファンでプロを目指しているんだ!」と…
でも私の息子はグレッグノーマンの大ファンだったのに…😅

それを聞いた彼は即座にゴルフバックに手を突っ込んで一枚の手袋を取り出した。
「彼の名前は何て言うの?」
「Toshi」と答えるとTo Toshi best wishes と書き込んでサインを添えた。
私は「きっと彼はとてもエキサイティングするだろう!本当にありがとう」と答えた。
エキサイティングしているのは目の前の私だと言うことも知らずに彼は「息子さんに宜しくと伝えてください」と言ってくれた。

そしてその手袋を私の息子に手渡すと、興味無さそうにそれを受け取った。
しかしながら彼のトーナメントの練習ラウンドでは一緒に写真に収まる事になって、いつの間にかファンになって行った。


そしてあの事故で私達は再びペインに逢える事は出来なくなった。
私達の家のダイニングルームには今でも彼のガッツポーズの写真が飾られている。