関東地方では、先週満開になった

桜の花びらが散り始める時期に

なっています。


桜は散り際が一番美しい」と

言われますが、今回は、その散り際に

ちなんで各界の著名人の引退などを

取り上げてみたいと思います。


先週は、偶然なのか、引退や退任が

相次ぎました。


ゴルフ界では、今試合が行われています

オーガスタナショナルのマスターズで、

帝王トム・ワトソンが最後の出場となりました。


予選通過ならずで、ゴルフの祭典から姿を消します。


水泳では、北島康介が平泳ぎでリオ五輪出場ならずで、

引退表明しました。


おふたりとも、長い間、奮闘し続けたスポーツ界の雄。


「悔いがない」というのは本音ではなく、悔しさと

寂しさが胸に去来していると感じます。


引退する姿が周囲から讃えられるのは、その選手が

現役時代に何を成し、結果的に何を観客に与えてきたか、

その証だと思います。


ただ自分のためだけで選手生活を続けていたとしたら、

こんな多大な賞賛を受けなかったでしょう。


年齢と共にやってくる苦しい壁みたいな難敵


それに打ち克っていこうとするプロセスも

観る側に感動と生きるヒントをもたらして

くれたはずです。


おそらくふたりとも、最後の試合や競技が、

一番悔しく、でも、一番幸せだったのでは

ないでしょうか?


それぞれの舞台で戦い続けてこられたことへの

満足感みたいなものが込み上げてきた(?)からこそ、

涙もうっすらと浮かんできたのだと思います。


ですが、引き際の美学とは、もっと大きな

視野でとらえていかないと感じました。


引退や退任、辞職というのは、日本では

マイナスイメージにとらえる方が多いと思います。


先日、財界では、あのセブン&アイホールディングの

鈴木会長が、退任されました。


セブンイレブンというコンビニに新風を投じ、

数々の革新的な業績を残された方です。


セブンが日本一のコンビニになれたのも、会長の

手腕によるところが大きいと思いました(と言いますのは、

会長の経営哲学が常にお客のニーズを先読みし、シーズを

創造してきたことに寄与しているためです)。


失敗も考えつつ次から次へと新たな戦術を実践してきた

大英断は賞賛に値すると思います。


その会長が、

社内の後継者選任で意見の不一致を見た、その責任を

とって退任とあいなったとか。


この自分の地位にしがみつかない潔さこそ、

引き際の美学だと思います。


後世のために身を引く潔さ。

この1点にだけしか美学は存在しないのでは?


自分の保身にのみ執着している姿には、

私には美学は感じません。


こういう潔い方は、今の世の中、なかなか

いないですね。


過去の実績や名誉にプライドを持つだけでは、

人としていかがなものか?


何が会社にとって大切なのか? それを

よくよく熟慮された結果だと感じました。


このように、引き際にもさまざまな生き様が

あります。


尊敬すべきは、鈴木会長のような方だと

思うのですが、皆さんはいかがお思いですか?