S価を非活して3か月ほど経ちますが、
この間、特段地域の誰かに思いのたけを宣言することもなく
フェードアウトした状態が続いておりました。
訪問されても居留守を使い、だんまりを決め込んで静かに暮らしておりましたので、
どなたも私の意図するところは捉える事なく、もどかしかったのでしょうか。
ご近所の、良いように言えば、明るく気さくな古株婦人部おばぁちゃんが
玄関に立っていました。
出かける旨を伝えると、一緒についてくるというのです。
その間、車内で、ズバズバと単刀直入に聞いてきます。
私は運転しながら、言葉を選んで答えておりました。
婆 「あんた、怨嫉してんのか?」
私 「怨嫉しているつもりはないよ。皆いい人ばかりで、今でも大好きやで」
婆 「ほな、なんで(S価を)やめるねん?」
私 「日蓮の教えに疑問を持ったのと、I田・D作に不信を抱いたからかなぁ」
婆 「ほな、あんたは、I田・D作先生を怨嫉してるんやな」
私 「・・・」
到着したので、話はこれ以上できずに終わりました。
教学小事典の494ページ(日蓮正宗教学小事典:創価学会教学部編)には、
怨嫉(おんしつ):法華経を説き行ずる者、すなわち正法を守る者をあだみねたむこと。
とあるらしいのですが、これは、同志間に起こる悪意であって、
今の私は、同志ではない。
むしろ、外部の者としての意見なので、怨嫉 とは違う。
「I田・D作」について論ずるのでしたら、軽蔑 が近いか。
だから、おばぁちゃん、私は「I田・D作」を怨嫉はしてないよ。
そして、自宅ガレージ前で、まだ、言い足りないおばぁちゃんは、
「あんたのお母さんは、それは熱心に活動してきたのに、泣いてるで」
いやいや、私は、今でも毎日父母には感謝し、祈りを捧げておりますよ。
(南無・・・とかは言いませんが)
だから、両親は喜んでいると思いますよ。
親の意に反して、脱会することが親不孝?
似非宗教に翻弄される方が親不孝ではないですか?
私は、生きている今も、死んでからも、
子どもたちや孫、これからの子孫たちが幸せに生きていることを心から祈り、願い見守ります。
同じように、私の父母を含めご先祖様たちは、
私のことをいつも見守ってくれていると感じます。
宗派が違うからと、見放したり、呪ったりしないと思うのですよね。
そして、本当の親孝行は、親が死んでから始まるのだと小林正観さんは仰ってます。
喜ばれる存在に、頼まれごとをされるようになりなさいと。
私の本当の親孝行は、始まったばかりです。
今夏は、父の初盆です。
