子どもの頃怖い体験が多かったからか、


「お化けの類=おどろおどろしいもの」

「不思議な体験=怖いもの」

と認識していました。


子ども頃にそんな体験をすると、大人になってからはもうしないなんて話も聞いたことがあります。


実際はそんなこともなかったですね。


けれど、どんな言い方が正しいのかよく分かりませんが、その種類みたいなものは私自身の成長とともに変わってきたと実感しています。


そのひとつが今回のお話です。


確か30代前半から半ばに差し掛かった頃くらいだったと思います。少し子育てが落ち着いて、その頃いろんな出会いがありました。


以前もUPしたかしてないか記憶が定かではありませんが、古本屋さんで普段は手に取らないような天使の本が気になってしょうがなくて、ぱらぱらと立ち読みしていたらその本からハリーポッターのダンブルドア先生みたいな天使のイメージが頭の中に降りてきたと同時に声が聞こえた体験をしたのもこのくらいの頃です。

もちろん即買いしましたダイヤモンド


それでもしかしたら私に合うのでは??って教えて頂いたのが「霊気・レイキ」でした。

実際に習いに行くという行動に移すまではそれから数ヶ月から一年くらいかかりました。

全くの無知故なんのこっちゃな世界で、当時はたくさんたくさん調べてやっと自分の納得いく先生に巡り会いました。



でも、習いたい、伝授を受けたい動機のひとつは「このオカルトティックな体験を自分でコントロールしたい」というのが入っています。


一時的に払い除けたり、強引に引っ剥がしたり出来たとしても直ぐ元に戻ると思うし。

根本が変わらなければ、また同じようなものを引き寄せるし、くっついてくるし…と思うのです。だったら内側から…と。


サードディグリーまで伝授を受けました。


ファーストでは頭がぐわんぐわん。大きな天使が現れました。サードまでずっと頭痛と口の中に長い糸が入っていたような変な感覚がなくなりませんでした。


セカンドでは身体に力が入りすぎて疲労感が強かったです。


サードでやっとエネルギーに身体が馴染んでくれたような感覚があり、とても心地良かったです。

練習台の旦那さんに面白いことがありました。

(またそれは別の機会に聞いて下さいませ)


レイキの伝授を受けてから、その時の気持ちとかエネルギーの心地よさを忘れたくないと思い、瞑想とか内観とかにとても興味を持ちました。


タイトルの「サンクチュアリ」はここに関係しています。


私の自己流の瞑想は「ただ、ただ心を静める、休める」のを目的にしていて、特段何か儀式的なものなんて全くありません。


実際は煩悩だらけの雑念まみれ。

疲れているとそのままいつの間にか寝ちゃっています。(座っていたのに…)


お寺で座禅の会、修行的なものも受けに行っていたこともあり、出来ることなら暫くお篭りしたいくらい心地良かったのを記憶しています。

私の顔の真ん中に大きくオーブが写ったり、瞑想中になんともふんわり嗅いだことのない良い香りがして来たり、次から次に思い出が湧き上がってきます。


…中々本題にいけません、


続きます。