山本寛斎さんが7月21日に逝去されました。


昨日は、朝起きてから
午前中の電話カウンセリングの
予約時間まで


テレビもスマホも見る機会がなく


電話カウンセリングが
終了したあとは


予定があり、すぐに出かけてしまい
18:00頃までは


時間の確認位でしか
スマホに目をやることが
できない状況でした。


やっとゆっくり
スマホを見た途端
その記事を目にしました。



記事を目にしたとき

一瞬「えっ…」と思いましたが


すぐに寛斎さんの
あの笑顔が浮かび


あの頃の感動と
影響を受けたことを思い出しました。



私が生まれて初めて観た
ファッションショーは


山本寛斎さんのファッションショーでした。


色鮮やかで
妖艶と無邪気な世界が一緒になった
世界にうっとりし


次の場面では
優雅で美しい世界を
見せてくれたかと思うと


そんなものは破壊してしまえと
言わんばかりの
斬新な展開


息を飲むほどに
ワクワクしたのを
覚えています。


舞台を見ているかのような
演出と


寛斎さんがデザインされた
ファッションが
本当に素晴らしくて


ご自分が黒子の格好をして
出演されるのですが


すべてを黒でおおっているのに
そのシルエットや存在感に


モデルさんに見とれながらも
どうしても寛斎さんを
目で追ってしまうのは


まわりを見渡したときに
私だけではありませんでした。


これまでやり続けていらした
世界を元気にするイベント


いろんな個性があっていいと


各ジャンルの思わぬ方々が
寛斎さんの服を着て登場され


えっ?この人は○○さん!?
と、思わせるくらいに


誰もまだ知らない
その人の
眠っていたり、隠している部分を


美しい色とパワーで
引き出してしまう


色の素晴らしさ、影響力
表現力、パワー、意外性
化学反応


それらを
楽しませながら
伝えてくれていたかただと
思います。


ファッション
モデルさん
音楽
演出
照明

それらショーの総てと
山本寛斎さんの存在感


全部が素直に


「カッコイイ!」


と、心が動かされたのでした。



寛斎さんのファッションショーを
観ることになったのは


デザイン専門学校の
特別授業の一環で
観に行くことになったのですが


そのショーの少し前に
たぶん特別授業で
お会いしたと記憶しています。


その時は
すごいデザイナーということは
もちろん十分に存じていましたが
それくらいの感覚でした。


ところが
生まれて初めて観た
そのファッションショーに
いたく感動したわたしは



映画を観た後に
その映画の世界観をひきずり
強く影響されたまま

映画館を後にする人のように


寛斎さんのファッションショーを
観たあとしばらくは
頭の中が寛斎ワールドになり


そのショーを観た日から
まもなく


Tシャツの胸に
自分の好きなデザインを
プリントする
授業があったのですが


今までの自分だったら
たぶん題材にしなかったような


とても寛斎さんチックな
イラストを描いたことを
今でもよく覚えています爆笑


同じクラスの友人に
「なんか今回、寛斎さんぽいね」
と言われたくらいです(笑)



あれから
イベントの宣伝などで
テレビでお見かけすることが
数年毎にありましたが


パワーや存在感が
あのときと
まったく変わっていないことに
いつも感心していました。


テレビの番組で
パリコレを目指している
モデルさんへの
指導をされたときも


モデルさんたちに
既成概念を外させて
その人の内側を
かっこつけずに爆発させる方向へ


情熱的に、まるであおるかのように
ぶつかっていく言動の
その芯にある真剣さや厳しさも


これはパワーや元気がないと
とてもできるものではないと
思いました。


寛斎さんは
指導する期間中
ずっとパワフルで真剣で
情熱的でした。




そんなふうに

寛斎さんのおかげで
過去に経験や体験できた
とても楽しかったことや
感動したことが
すぐによみがえったのは



寛斎さんが
パワフルで
スケールの大きなエネルギーを
ずっと発信し続けていた方だからだと
思いました。


異母弟の伊勢谷友介さん
病床で最後に

「俺の生き方、どうだ?」

と聞いたそうですね。


伊勢谷さんは慌てて

「凄いです。
世界のファッションに
早くから挑戦して

イベントの演出家として
大きなショーを現実にしたことも。」

と伝えたら



寛斎さんは満足気に小さく頷いたそうです。


それが病床での、最後のやりとりだったと…



「俺の生き方、どうだ?」


ニュースで流れた
画面いっぱいの素晴らしい笑顔が


すべてを現しているなぁ
と、深く感動しました。


ご冥福をお祈りいたします。