自分自身を早く認めてほしくて
何かにあせっているように
「私が!私が!」
という感覚と
認められたいけれど
そうならなかったら傷つくから
誰に思われるよりも真っ先に
自分を認めないことにしておく
「私なんて…」
どちらも表現方法が違うだけで
認められたいという気持ちからのものです
認められたいのは
自分自身の外側の何かにということになります
だからどちらの場合も
比べること、優劣をつけること
どう思われているのかを過剰に気にすること
特別でありたいから
少しでも自分の思う通りに扱われないと
落ち込んだり、または怒ったりすること
これらが共通しています
すべて外側を気にしているからなのですが
外側から自分が認められても
自分で自分を認めてあげない限りは
もっともっとが続いていきます
外側から認められ称賛されることを望み
その通りになっても
今度は、同じかそれ以上の態度を
まわりが取ってくれないと
不安と不満を抱えるようになっていきます
外側は、外側の個々の都合で
常に態度を変えますから
外側に求めるのではなく
自分が自分を認めていると
「私が!私が!」も「私なんて…」
も必要なくなります

ずいぶん前になりますが
「自然体でいることが大事だと思ってます!
僕は自然体です!」
を繰り返し
「人は、自然体でなきゃダメですよ!」
「あの人、自然体じゃないからなぁ…」
「なんかそれって自然体じゃないなぁ」
と、会話の中に「自然体」をたくさん使うかたに遭遇しました
でも、「自然体」という言葉を口にする度に
このかたは、キュッと緊張し、お顔がこわばりました
ずっと、「~ねばならない」が強く生きてきたことに気づいたから
自分には自然体でいることが必要なのだと
強く思ったそうですが
このかたの印象は
自分から「~ねばならない」の思考を
排除したいから
「自然体」という言葉をたくさん使って
ねばならないの思考に、戻るスキを与えないようにしている感じでした
でも今度は
「自然体でいなければいけない!」
という「~ねばならない」で
ご自分を縛り、緊張させていました
周りの人から
自分は「~ねばならない」が強い人と
思われるのがいやなので
「 僕は自然体なんですよ!」
「僕は!僕は!」を
言い訳を先にするようにくりかえしていました
無意識に、自然体に見える人と自分を日々比べ
「~ねばならない」の自分が顔を出す度に
ご自分を責めながらも
表面では平静を装うという状況でした
自然体がよくて
ねばならないで考えることは
よくないことだと決めつけてしまったから
ねばならないの自分を嫌悪し許せなかったのです
そして
「○○さんて、自然体だね~」
と認められることを切望してもいました
「私が!私が!」も「私なんて…」も
どちらの表現も
自分が自分を認めるようになると
穏やかに弱まり
「認められたいのに認められていない
「こう見られなくてはいやだ
という気持ちは
「別にどちらでもいいや
となり
“どんな自分も" 認めて
自分が
“どう思うか" “どうしたいか"
で行動しよう
と、思うようになっていきます
外側へ求めるエネルギーを
自分をいたわるエネルギーに変えて
ときには励まし
気合いを入れてあげたり、ほめてあげたり
見捨てないで、嫌いにならないで
認めまてあげましょう
「私が!私が!」のあせりも
「わたしなんて…」のあきらめも
もし今、自分がどちらかだとしても
それも別に悪者扱いにしないで
今、自分はそうなんだ、そういう自分を経験してるんだ
と、自分で認めてあげて
そこからどうしたいかが始まります
それは、誰かの目を気にしたり
誰かに聞いて決めるのではなく
自分で全部、選択し決めることができるのですから(^-^ゞ
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