吉新と楢本神社について 2 | あやかし教室

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吉新と鎮守について

 

 平群村史によると17世紀ごろ、もともと吉田村の領域の中で米の不作などの凶作などがあり農民の逃散などで耕作放棄地が増加しました。当時の年貢は課税が地域の面積で決められていたようで、耕作地増加の必要に迫られ、他の領分から百姓を集め新しい村を作りました。それが新家村です。もしかしたら吉田村と新家村が一緒になって吉新となったのは、新しくできたので新家村、元は吉田村の領分で吉田村が先にあったので吉新の語順となったものと思われます。この頃からの天候不順などや幕府体制の制度不良などの問題の兆しがあり18世紀の享保の改革につながったのかも知れません。

幕末頃の楢本神社は新家村、梨本村、西向村の鎮守でした。明治時代に吉田村と新家村が一つになりましたが、吉田村の鎮守は別にありました。楢本神社内に移された春日社です。今も旧吉田村の講として楢本神社とは別の日に神事が行われています。

 

50年ぐらい前は10月15日が秋祭りの祭日で、その日は学校も半日で午後からは休みになっていました。その頃は「だんじり」も無く決められた神事が行われていました。当時は家々に提灯を上げ、辻々にも燈明を入れた燈籠を立て厳かな行事の雰囲気がありました。

その頃は庚申待ちや日待ちなどの行事もあり一般に大人が夜通しその行事に参加しました。

日待ちとは字の通り皆でそろって夜明けを待ち日の出を拝む行事ですが、夜明けまで皆がそろって待つ時間に、地域や集落、今では自治会の話し合いをする場になりました。

庚申(こうしん)待ちは中国道教の伝説から生まれた話で、人間には三尸(さんし)と呼ばれる虫が頭・腹・足にいてその人間の行う悪行を監視し庚申の夜、宿主の人間が眠るとこっそり体を抜け出し天帝に宿主の悪行を報告するという話で、この三尸の報告を受けた天帝はその内容を評定して、悪行を行った人の寿命を縮めるので三尸の報告を阻止するため夜通し起きていたという行事でしたが、日待ちとの区別があいまいになり廃れることになりました。庚申は「かのえ さる」の事で三猿を祭ったりします。

日待ちや庚申待ちは目的を考えると宗教行事でくくられるかもしれませんが、現在一般的に言われる宗教行事とは少し意味が違うように思われます。鎮守に対する信仰も同じで本当は、今のように神道と定義づけるほど形式的では無いように思います。

民俗学的には、日本はこの国土の地形ができで人間が大陸は朝鮮半島などから、また南太平洋からは島伝いに流入してきます。大陸からは北方系でシャーマニズム(巫術や祈祷 恐山のイタコのような)、南太平洋からはアニミズム(精霊崇拝 石や山をご神体とする)の習俗として入ってきます。神道はこの両方の融合で成立していることが解ります。ただ神道は律令制の中で確立されたもので、政(まつりごと)の語源は祭りごとであるように確立された当初より政治色が強いものでした。

ただ鎮守に対する思いは済む土地、その地域の集まりが持つ地域や集まりへの愛着と感謝が形になったようなもので、神社はそのシンボルのようなものでは無いかと思います。

自治会という集まりも同種のもので、郷土愛が基本のように思います。

 

  新しい神社は別として古来の神社などは神道の持つ一般的なイメージよりも古く氏神の起こりは、住み着いた土地での地域集合体のよりどころであり、血縁の集落では一族の守護神的なものになります。よくあるのが渡来氏族の氏神ですが、大陸の戦乱や災害を逃れ日本に移住するさい一族が敵の追撃や海を越えるなどの困難の時の守り神とした集団のよりどころとして重要な存在でした。

八幡菩薩や八幡神社はそれの好例で、八幡(はちまん)の幡は旗の事で一字では「ばん」と読みます。八幡は八つの旗をさし、それが一族か集団の象徴であったと思われます。それが神聖視され神格化されたものなので、ルーツは渡来氏族であると考えられます。またよく知られるように春日大社は藤原氏の氏神ですし石上神宮は物部氏の氏神です。政教分離は政治の常識ですが、政治体制がととのわない昔、組織や団体が一族の団結のために使われたのも事実で、華僑やマフィアにもその習俗は残っています。氏神にはそういう一面もあります。

ご存じのハリーポッターはケルト人の伝承による魔法使いで、ヨーロッパのケルト人という民族の風俗風習などの伝説です。ケルト人の墓は十字架に円形の輪をつけたような形状で非常に十字架と似ていました。他の民族がケルト人を統治しようとする時、十字架の似ていることを利用してキリスト教を布教し統治する手段としました。これは政治の宗教利用の一例で、神道にもそのような一面があります。

 

  春日社や稲荷社の由来、それぞれの祭神がどうしてここで祭られたかや、祝詞(のりと)や柏手(かしわで)などの神道の習わしについても改めて説明したいと思います。