もう旧聞に属する話題かもしれないが、NETFLIXの米倉涼子主演『新聞記者』を観た。
関係者のご遺族が脚本や原作者に憤り、監修から外れたとか、出演が決まっていた女優が撮影直前に降板したとか、
いろいろトラブルがあったようだが、個人的感想としてエンターティメントとしては面白かった。
事実の裏側を見るという興味本位が多分にあったが・・
様々なクレームに対して、制作側は一貫して「これはあくまでもフィクションだ」ということで押し切ったと聞く。
が、リアリティがあり過ぎなのは事実だ。
そこで、映画版の『新聞記者』を見直して観た。
はっきり言って、以前観た時はそれほど感動もしなかったし、面白いとも思わず、ほとんど記憶になかったからだ。
だが、ドラマ版は面白かったので、どこがどう違うのか検証するつもりで観た。
二度目に観た映画版はやはり面白くなかった。
リアリティがなさすぎるのだ。
近松門左衛門の「虚実皮膜論」が頭に浮かんだ。
芝居というものは嘘と現実の間にあるもので、事実のような嘘でなければならない。
観る人にありえないと思わせてもいけないし、
事実だけを描いても芝居にはならない。
それはドキュメンタリーだ。
もしかしたら、そういうことがあるかもしれないのが芝居の本質だ。
ドラマ版では実際に安倍元総理が述べた言葉もそのまま使われ、
誰が観てもモリカケ問題がテーマだとわかってしまう。
映画版は生物科学兵器研究にしたことでリアリティが一気になくなり、映画への興味さえ失わせる。
同じ原作でここまで虚実が極端にわかれたのは観る方にとっては面白い。
前述した安倍元総理の言葉をドラマで聞いて、
その言葉に対して、これも元総理だった小泉純一郎氏の
「妻が名誉校長だったのなら、関係ないとはいえない」というような発言が
確か朝日新聞に小さな記事として載っていたのを思い出した。
が、この発言は大きく取り上げられることも、後追い記事もなかった。
そして、モリカケ問題は安倍元総理の退任、コロナ禍でうやむやになってしまったわけだ。
これも、どこかからの圧力の結果であろう。
ドラマで描かれていたように・・・
一方、映画版はその年の映画賞を総ナメしたと記憶している。
主人公の一生懸命さは買うが記者魂のようなもの以外は面白みがないのになんでこの映画が・・・
と思ったものだが
もしかしたら、権力に対するエンテーティメント界のささやかな抵抗だったのかもしれない。