最近平日の通勤ラッシュ以外の時間帯に電車に乗ることが多いので、むしろ土日の方が外出や行楽の人々で電車が混んでいて不快に感じます(><;)


東京の電車や地下鉄が混んでいるのは仕方がないのですが、パーソナルスペースが保たれていればまだ我慢できるものの、梅雨の時期や夏場に見知らぬ人々と体を密着させるだけでもストレス倍増ダウン


私自身も汗かきなので、乗車率200%(?)位の電車に乗ると…汗でベタベタした人々におしくらまんじゅうされている状態で、いろいろな感覚をできるだけ停止して、銅像のようになるしかありませんガーン


そこでいつも違和感を感じるのが、降りるときの人々の様子です。


障害を持っていて話せないのならまだしも、どうして一言「すみません。降ります。」と言えないのでしょうか?


今日も年配の女性が肘でぐいぐい人をかき分けて、何とか電車を降りようとしていました。気持ちはわかります。その駅で降りたいのだから…。


でもみんな無言でじっと我慢しているんです。電車の中ほどに押し込まれてしまったらドアまでの距離が遠くて降りるのが大変でしょう。でも一言言ってくれれば狭いスペースでも周りの人は何とか道を開けようとしてくれるはずです。それなのに、さらに不快感を高める肘鉄攻撃で道を作ろうとするその強引さがどうも引っかかりますヽ(;´Д`)ノ


年代や性別に問わずこういう方が多いのは東京だからでしょうか?


そのように降りるのが大変にならないように、何とかして出入り口にポジションを取ろうとする方や、人が大勢乗り込んで来ているのにドア付近から断固として動かない方もいます。こちらも気持ちはよくわかりますが、あと一歩ずれてくれれば他の人のスペースができるのになぁ~と思ってしまいますあせる


昔から日本人のいいところの一つは「助け合いの精神」だったのではないかなぁ…と思うと、残念でなりません。


自分のことしか考えていない人が増えたというか、ガツガツしていて品がないというかしょぼん


そんなことを感じた同日の帰り道、私はいつも通り一駅前で降りてお散歩しながら帰りました。最近お散歩が楽しくて仕方がないんです音譜


そこで、今はあじさいがきれいないつものお気に入りコースを歩いていると、あるご高齢の女性が向こうから歩いてきました。外見から判断すると70代か80代くらいでしょうか?お買い物の帰りか、手押しのショッピングカート(何と呼ぶの?)を杖代わりにゆ~っくり近付いてきます。


細めの道ですが、お互いよけずにすれ違う幅は十分にある歩道です。私がその女性に道を譲ったわけでもないのに、すれ違い様にその女性が私に向かって軽く会釈をされました。


富士山を登るときにすれ違う人同士が「こんにちは」と挨拶するように、その場にぴったりマッチするすごく自然な行為で、そのあじさいの咲く散歩道とあじさいと同じような薄紫色のブラウスを着たそのご高齢の女性の品のある会釈にドキッとしてしまいました恋の矢


何て素敵なおばあさまでしょうキラキラ


あの会釈は挨拶なんですよね~。都会では知らない人に「こんにちは」と挨拶する習慣はもうなくなってしまいましたが、その女性はいつもお散歩するときにすれ違う人に会釈で挨拶しているのでしょう。私も温かい気持ちになって、つられて会釈で挨拶しました。


私の生け花の先生もあの女性と同年代ですが、同じように上品で身なりもおしゃれだし、言葉遣いや何気ない所作に品があってとても素敵です。


いくつになっても品のある人は素敵だと思います。いい家柄に生まれたかどうかが問題ではなく、庶民であっても品があるかないかは何気ない言動に表れるものです。そして気品は身に付けようと思ってすぐに身に付くものでもなく、日々の暮らしの中でほんのちょっと意識することで少しずつ身に付けていくものだと思います。


私もあんな70~80代になれるように心がけたいですо(ж>▽<)y ☆