今日は長崎の原爆記念日でした。今年は66回目の「原爆の日」です。


8月6日の広島原爆記念日も忘れてはいけませんが、私は個人的に長崎が印象深いです。なぜなら、私は小学校高学年の頃福岡に住んでいて、小6のときに修学旅行で長崎の平和記念公園、原爆資料館を訪ねたことがあるからです。


広島を初めて訪れたのはもう20代後半だったので大人としてある程度冷静に受け止められましたが、まだ小6の私たちにとって長崎の原爆資料館の衝撃はとてつもなく、一生忘れられない思い出となりました。


修学旅行に行く前に、その頃の担任の先生が、戦争の頃まだ幼く、ご家族で中国にいて、終戦で危うく中国残留孤児になりかけたという話をしてくれました。


今の子供たちにどの程度戦争の話がリアルに語られているかわかりませんが、辛い経験をした人々は思い出したくないと過去を封印するのではなく、辛かったからこそできるだけ真実を子供たちに語ってほしいと思います。


年々戦争の記憶が遠くなっていくのは仕方がありませんが、世界唯一の被爆国である日本こそ、平和を願う気持ちを失ってはいけないと思うんです。


11~12歳の私は先生の話を聞いて、「戦争は絶対によくない、二度と日本は戦争に参加すべきではない!」と強く思いました。その気持ちは今でも変わりません。


「戦争のない世の中なんてありえないよ。」という人も多くいますが、私はあくまで理想主義を貫き、死ぬまでずっと戦争反対の立場でいたいと思います。そして微力であったとしても、世界平和のために自分のできることを何かしていきたいと考えています。


それはきっと、小学生の頃に長崎の原爆資料館で見た衝撃が脳裏に焼きついているからだと思います。


小5~6のときのクラスは私の学生生活の中で特に大好きな仲良しクラスでした。平和記念公園の中を歩いているとき、皆まだワイワイキャーキャーはしゃいでいました。写真にも笑顔ばかりが残っています。


でもその後原爆資料館を見て、ほとんどの女の子は泣きました。途中からまともに資料館の写真を見ることができなくなりました。被爆した人の残した詩を読んで胸が詰まり、嗚咽に変わりました。


今思えば先生たちの計算ミスでしょうが、資料館を出てからがお弁当の時間でした。普段ふざけてばかりいる男の子たちも黙りこくって、おにぎり弁当をほとんど皆残しました。今でも三つ並んだおにぎりに手をつけられず、じっと下を向いていた私たちの小さな姿を、はっきり思い出せます。


それまで社会の時間に聞いていた戦争の話が、あまりにもショッキングな写真と重なって、私たちは言葉もなくし、食欲も失せ、ただただ泣くしかなかったのです。


もちろん長崎の修学旅行で楽しい思い出がたくさんできましたが、私にとって一番印象深かったのはグラバー園でも大浦天主堂でもなく、原爆資料館でした。


今夜、平和と東日本大震災の被災地復興を願って浦上川に約800個の灯籠が浮かべられ、万灯流しが行われたそうです。


平和への祈りが世界に届きますように!