The Gift / Midge Ure

ミッジ・ユーロの“If I Was”は1985年にUKチャートでNo.1になったヒット曲。
当時好んで聴くのはギターがぎゃんぎゃん鳴っているハードなロックやパンク系の攻撃的な音一辺倒だったから、ミッジ・ユーロや彼が在籍していたウルトラヴォックスにはまるで興味もなかったし、彼が曲を書いた“Do They Know It's Christmas”みたいな、みんながんばりましょう的チャリティーなんて中指立ててfxxk you的に大嫌いだったんだけど(笑)、この曲だけはけっこう大好きだったんだよな、って、冬に似合うレコードを考えているときに突然30年ぶりくらいに思い出して。

スカスカな打ち込みのリズムと大仰で安っぽいシンセ、ただただ淡々とリズムを刻み続けるギターとベース。
でもそのシンプルさがすっごく心地よかった。
安っぽいけど温かみがあるんですよね。
冬の夜、きらびやかなクリスマスのイルミネーションや賑やかな酔っぱらいたちを横目に通りすぎながら、心の底には個人的に大切な思いをひっそりと抱いているような、そんなささやかだけどとてもかけがえのない温もりを感じたのです。
大騒ぎも悪くはないけど、こういう感じのほうが好きだな、と。


“If I Was”はこんな歌。

If I was a better man
Would fellow men take me to their hearts
僕がよりよい男だったら
仲間たちは心を開いてくれるだろうか

If I was a stronger man
Carrying the weight of popular demand
もし僕がより強い男だったら
たくさんの人に影響を与える人気者になれるだろうか

もし僕が賢い男だったら、
もし僕が優しい男だったら、
もし僕が兵士なら、
もし僕が絵描きなら、
もし僕が詩人なら、
もし僕が指導者なら、、、

簡単にいえば弱っちい男の弱々ソング。
「もし○○だったら」をいくつもいくつも夢想する歌。
大人になってしまった僕がもしもそんなふうに夢想ばっかりしている気弱な青年に出会ったとしたらきっとこう言うだろうと思う。
「そんなふうに夢想ばっかりしてたって何にも変わらない。それより何でもいいからやれることをやれよ。」
って。
でも。
それは大人になったから言えること。
それはひょっとしたらこういう夢想の中にある、「ある種の無防備な柔らかさ」を失ってしまったということなのかもしれない、と気づいて少しがっかりしてしまうのだ。

ある種の無防備な柔らかさ。
それを守りたい。守ってあげたい。
この歌のブリッジの展開のところに、そういうメッセージに聞こえる場所がある。

Come here my baby
Oh they can't touch you now
I'll keep you safe and warm
I'll never leave you at all

Come here my baby
Oh they won't touch you
Dishing up love for a hungry world
Tell me would that appease you
I want to please you again

あなたをあいつらに触れさせはしない。

世界は邪悪なもので溢れている。
邪悪な、というか、ピュアなものをピュアなままにしておくことを許さないような圧力のようなものが確かに存在する。
放っておけば、「ある種の柔らかさ」は無防備であるが故に、汚され、引き裂かれ、踏みつけられてしまう。
そんな力からあなたを守りたい。
そういう思いこそが愛なんだと思うとき、夢想だらけのこの歌が、強く、深く、温かく聴こえてきたのです。


12月22日、冬至。
例年より暖かいせいか、それとも忙しすぎるのか?
もうすぐクリスマス、あと一週間と少しで今年が終わる、という感じがどうもピンと来ない。
クリスマスの夜もきっと普通に仕事してそうだ。
まぁ、それもいいだろう。
クリスマスのチキンやケーキもいいけれど、冬至のかぼちゃや柚子の方がなんとなく心がほかほか温まる気がする。
短くなっていく一方だった日の光があたる時間がこの日を境に反転する、冬至は明るい兆しの始まりを象徴する日。
よりよい男でも強い男でもなくていい。
かけがえのない身近な人たちの「ある種の無防備な柔らかさ」が、邪悪な心に不用意に傷つけられないことを願いたいと思う。