9月8日が白露。
白露という節季は少しなじみが薄いけれど「陰気ようやく重なり、露凝って白し」という意味だそうで、要は、秋がいよいよ本格的となっていく時期、ということ。

引き続きいろいろ忙しいけれど、一番エネルギーがかかる部分は越えた、ここから先はキープ、まぁそれはそれでたいへんではあるんだけど、ちょっとほっとした感じ。

いやぁ、エネルギー、いったよね。
普通、無理じゃない?
でも、できないって言いたくないじゃない?
無理って言ったらそれでハイおしまい、でもそれでオマエはいいのか、って。
自分を動かせるのは結局のところ自分なんだってことだよね。
・・・なんて、いつになく矢沢口調(笑)。

まだまだ蒸し暑さの残る初秋の一枚、矢沢でいこう。

Rising Sun / 矢沢永吉

ちょうど数年ぶりのニューアルバムが出たばかりの矢沢さん。新譜はまだ聴いてません、っていうか、リスナーとして矢沢のレコードをそんなにたくさん聴いているわけでもないんだけど。
一番よく聴くのは、80年代初め~中頃、ちょうどアメリカへ渡る頃の作品群で、中でも大好きなのは『Rising Sun』。
このアルバムが出た頃、まだ中学生だったのかな。1981年。

生徒会の会長って、立候補して演説聞いて投票するじゃない。中2のときの生徒会長に立候補したひとつ上の先輩がいて、演説のときに特攻服着てE.YAZAWAのタオル首からたらして、「オレ、会長。ヨロシク。」とか言うわけよ。
それを見て、あほなんちゃう?って思って、やっぱりロック好きな奴なんてロクなもんやないな、、、って思ったことがある。
当時、ロックはまだ「不良」のものだったのだ。
そして僕は、恋もしたことのないウブで真面目な中学生だった。
そいつのせいで僕の中で明らかに矢沢に対する偏見ができたよね(笑)。
でもそのあと、“This is a Song for a Coca-Cola”や“Yes My Love”がヒットして、あ、けっこうええやんと思って。
で、当時できたばっかりのレンタル屋で借りてきたのがこれだったのかな。
なんだかわかんないけど、かっこいい。
描かれていた大人の世界は正直背伸びしてわかったつもりになっても実際のところ全然わからなかったけど、なんていうんだろうか、クールというか粋というか、ゴージャスに着飾って突っ張っては見せても背中で哭いているようなロマンというかね、そういうかっこよさ。不良の音楽のイメージとはまるで違う、大人の音楽。
今剛や松原正樹、後藤次利や佐藤準ら一流ミュージシャンたちによる洗練された音がまたそのかっこよさをより引き立てている。
今ならよくわかる、とまでは言わないし、当然あんなかっこよさは自分のキャラではないこともよく知っているんだけど、今でも、こういう男のかっこよさに憧れる気持ちはすごくわかる気がする。


街を抜け出したこんな夜
テラスにはセプテンバー・ムーン
苦いスコッチを掻き立てて
海からの苦い風
(September Moon)

渋いね。
人生を一年に例えれば、永ちゃんの音楽はやっぱり夏の終わり~初秋の頃がしっくりくる気がする。
真夏のような熱い気持ちを歌っていたとしても、青春真っ盛りの歌ではなく、どこか翳りや哀愁がある。楽しみも悲しみもそれなりの数をこなしてきた人だけが持つ味わいがある。



このアルバムから38年。
今だに矢沢永吉はとてつもなくエネルギッシュで。
なんていうんだろうか、矢沢さんは自らに課したミッションにものすごく忠実な人なんだね。自ら作り上げた「矢沢永吉」というイメージに忠実。
やりたい・やりたくない、とか、できる・できないではなく、「矢沢永吉」としてやるべきと思ったことを自らのミッションにする。そのための努力や苦労を厭わない。厭わないどころか、楽しめる。
そういうプラスのエネルギーが、聴き手の心を熱くするんだろうな。

秋はこれからどんどん深まっていく。
いわゆる人生の秋もどんどん深まっていく。
もう少し、やれるところまでやってみようと思えるのは、矢沢永吉のような大人がいてくれるお陰だと思う。