2017年から連載の音楽歳時記シリーズもちょうど丸二年。
二十四節気をふた周りしたのですが、性懲りもなく「シーズン3」に突入します。
二十四節気は、さらに七十二候というものに分かれるので、72枚並べてみたいな、っていう目論見なのであります。
飽きもせずコツコツやるのは昔から得意なのだ。
好きなことなら、ってことですが(笑)。
昔、父親が「考古学者とか向いてるんちゃうか。」と冗談なのか本気なのかそう言っていたことがあったけど、あながち外れてないかもしれない。


節季は春分。いよいよ本格的に春。
寒さとあたたかさを螺旋状に繰り返しながら春めいてきた季節が、春分のコーナーを曲がればぐんと春の色調を増してくる。
今日は最高気温19℃くらいまであがるそうだ。

春はいいな、何度も書くけど(笑)。
土手の菜の花みたいに、すっくと背を伸ばして日差しを浴びたい気分。
古いかさぶたがぼろっと剥がれて、ツルツルの新しい肌が顔を覗かせたような気分。
ぼんやりした眠気がなかなかとれないけれど、冬の間、外界と生身を隔てていた心の雨戸のようなものが外れて外の世界と内の世界がグラデーションになって混じりあっていくような気分。

春の訪れには、他のどの季節の始まりにもない嬉しさやさわやかさがある。
昔は、ずっと春ならいいのにと思っていたけど、この歳になってどうやらそういうことでもないと思うようになった。
つまりは、寒い冬があるからこそ春の嬉しさがあるんだってこと。


そんなわけでの3周りめの春分の一枚。
ボニー・レイットのセカンド・アルバムなんていかがかと。

Give It Up / Bonnie Raitt

穏やかな日差しの中で微笑むボニーさんのなんとも可愛らしい感じのポートレートと薄い紫がなんとなく春っぽい。
このとき、ボニー姐さん22才。
こういう爽やかなジャケットのイメージとは裏腹に、のっけから豪快なスライド・ギターが鳴り響くブルージーな佇まいはとても22才の女の子の演る音楽っぽくないのですが、そういう泥臭さの中に、どこか初々しい感じもする気がして。

聴いててとても爽やかな気持ちになれるブルース。
明るい日差しが似合うブルース。
マディ・ウォータースのソレやポール・バタフィールドのソレとはちょっとひと味違う、ラグタイムやブギウギの要素の入ったファンキーなものから、同時代のシンガーソングライターや後のウエストコーストのカントリーロックにも通じるようなものまで懐が広いのがボニーさんのブルース。

自分の声質は軽くてクリアなので、ブルースを歌うには向いてないとボニーさんは当時思っていたそうだ。
それと「どろどろのブルースが売れる時代ではない、もっと当時の時流に乗ったシンガーソングライターっぽいものを」というレコード会社からの要請もおそらくあっただろう。
そういうものがないまぜになってこういうスタイルができあがったようですが、だからといって売れ線狙いの聴衆に媚びた作品にはなっていないのがいい。

資質と、時代と、周囲からの求めと、自分のやりたいことと。

やりたいことだけを脇目もふらずひとの迷惑も無視して(笑)やり通すこともそれはそれですごくエネルギーのいるすごいことですが、ボニーさんみたいに、資質や周囲から求められることと自分のやりたいことの中間くらいをバランスよくミックスして高いクオリティで表現できることの方に僕は憧れるみたいです。
夢と挫折を、有頂天とどん底を、ハッピーとアンハッピーを螺旋状に繰り返しながら体得したそのバランス感覚は、長い冬を越えた春みたいに穏やかだ。

真冬の厳しさも真夏の熱気も心に抱えながらの、春らしい穏やかさ。
真冬の厳しさも真夏の熱気も知っているからこそ、春の日差しをやさしく感じられる。
きっとそういうものなんだろう、と。