4月20日は穀雨。
穀物を潤してくれる雨が降る頃、という意味の節季だ。
田植えにむけて整えた田んぼを静かに潤す春の雨。
うららかな春の風景に、そこに降る静かな雨を想ってみる。
山も川も家も畑も、静かに濡れて優しくうつむく。その穏やかさを想ってみる。
暑くもない寒くもなく湿気も少なく爽やかな今の季節にはつい、ずっといいお天気なら、と思ってしまうけど、やっぱり雨が降る日もたいせつだと思う。

しとしと降る穏やかな春の雨の日に決まって聴きたくなるレコードのひとつが、ニック・ヘイワードくんのこのアルバム。

North Of A Miracle / Nick Heyward

このアルバムを初めて聴いたのはまだ高校生だった。83年だから、多分二年生。
確かシングルの“Whistle Down The Wind”がFMラジオでかかってたのかな。なんとなく、あ、これは好きかもって思って、名前をメモして、駅前にできたばかりのレンタル屋で借りたんだったかな。
当時はいわゆるエイティーズの全盛期で。デュラン・デュランとかカジャグーグーとか、いわゆる美少年っぽいヴィジュアルを売りにしたバンドがMTVの人気と相まって大ブレイクしていた頃。最新のヒットチャートにも興味はあったけど、そんな女やガキが聴くような甘っちょろいもの聴いてられるかー、って思ってたから、ニック・ヘイワードがヘアカット100のメンバーだったって知っていたらレコードを借りようとは思わなかったかもしれないんだけど(笑)。
家に帰って、ターンテーブルに乗せて針を置く。
ドラムに続いていきなりブラスがパパッパラーと元気よくなって、キラキラと弾ける青春のようなサウンド 。これはちょっと自分には似合わないノーテンキだな、、、と思ったものの、二曲めの“Blue Hat For A Blue Day”が鳴って、あ、これこれ、こーゆー感じ。うつむき加減でセンチメンタルで、ちょっと陰りをまといつつも、明るく微笑んでみせるような。そんな感じがスッと心に落ちた。


シンセ中心の打ち込み系の音が氾濫していた時代だったからなおさら、アコギやピアノのアコースティックな音がよく鳴っているのが心地よかった。ブラスやマリンバや弦楽団なんかの使い方もとてもおしゃれで。おしゃれさとは無縁な田舎の高校生すらうっとりするくらい。
それからもう何年経つんだっけ。
それ以来このアルバムはずっとお気に入り。
50を過ぎた今聴いても、センチメンタルだけど、湿度の低い、そよ風が吹き抜けていくようなさわやかさが、少し甘酸っぱい香りを運んでくれる。
ふとずっと昔のこと、叶わない恋の悩みや、これから先の人生について思い悩んでいた頃を思い出させるような。
そして、それをどうこうしようっていうんじゃなく、そういう気持ちになることもあるよね、って感じでただ漂わせているのがいい。

音楽っていうのは、突き詰めていえば世界観を表すもの。
この人の音楽は「売れてスターになって金持ちになりたい」というギラギラした場所からは少し距離を置いた、もっとゆるくて穏やかでガツガツしていなくて、まぁ今の言葉で言えば肉食系ではなく草食系っぽい世界観を感じるのです。当時そんなふうな言葉で思ったわけではないけれど、思い起こせば自分はずっとこっち方向だったんだよな、と改めて思ったりする。気負ったり勘違いしたりしてガツガツしたこともあるけれど、やっぱりそっちじゃなかった。そんなふうに16才と51才の自分がすんなりシンクロする。

さわやかな晴れの日続きの人生もそれはそれでいいんだろうけど、雨の日をうまくやり過ごせる人生のほうがきっと素敵だ。
ほんのりと心地よい感傷に浸りながら、そんなことを思っていた、穏やかな春の雨の日。