昨年一年の間で、いわゆる「新作」のレコードはたったの二枚しか買っていない。

一枚はチャック・ベリーの遺作。もう一枚が佐野元春の「Maniju」。コヨーテ・バンドとの息もぴったりの素晴らしいアルバムだった。

佐野元春というアーティストへの印象は、おそらく世代によって大きく違うのだろう。フォークやニューミュージックの世代や、まだロックンロールが一部の不良たちのアウトローだった時期に知った人からすれば気取ったシティ・ポップスの人に見えただろうし、僕らより下の世代からはサザンや浜省と並ぶ日本のロックのオーソリティーだっただろうし、もっと若い人たちからすればおかしなしゃべり方をする変なおじさんなのかもしれない。

今となってはピンと来ないだろうけど、1982年~83年の頃、佐野元春は本当に新しくてヒップなアーティストだったのだ。その頃に高校生になったばかりだった僕にとって、本当に初めて夢中になったアーティストで、僕は佐野元春からロックンロールのスピリットの真髄を教えてもらったのだ。そして、佐野元春のアルバムだけは、新作が出るたびに必ず買っている。「Visitors」での変化についていけなかった友人たちがファンを辞めたあとも、だんだんと作品のインターバルが長くなってあまり話題が聞こえてこなくなってきてからも。


そんな佐野元春のアルバムの中で一番聴かなかったのがこれ、1999年発表の「Stones and Eggs」だ。


Stones and Eggs / 佐野元春


このアルバムは、おそらくファンの間でも一番評価が低いのではないかと思われる。

アルバムはヒップホップっぽい“Go4”で始まるのだけれど、なんだかとってつけたみたいに凡庸。ラップのようなスポークンワードの中に“さよならレヴォリューション”とか“輝き続けるフリーダム”とかかつてのヒット曲のフレーズがはさみこまれているのにも違和感があった。

そのあとに続く曲も、当時の僕にはなんだかとてもバラつきが激しく、ありきたりに聴こえたのだ。新しい表現に常にチャレンジし続けてきた佐野さんが、12作めにして初めて後ろを向いたというか、ありきたりの自己摸倣をしたような気がしたんだ。その頃すでに、かつて大好きだったアーティストがピーク時の劣化コピーみたいな作品を出してはがっかりしてどんどん新作を聴かなくなっていった頃だったから、「佐野さん、あなたもですか・・・」と思ってしまったのだ。

当時僕は32才。佐野さんは43才でデビューから19年が経っていた。

今ならわからないでもない。新しい表現を常に模索していくということは本当にエネルギーのいるしんどいことだと。若いうちは何もかもが新しく新鮮で、また上の世代へのカウンターとしての表現方法がいくらでも見つかる。しかし、ある程度のキャリアを経て一定のスタイルができあがったあとにそれを覆してより新しくよりクオリティーの高いものを作ることは並大抵のことじゃない。

でも、当時はそんなことは理解できなかった。


それから何年かして。

佐野さんはエピックを離れて自らのレーベルを立ち上げた。ひと世代下のメンバーを集めてコヨーテ・バンドを作った。その音楽は見違えるようにみずみずしく勢いがあり、それは昨年の「Maniju」でも健在だった。

やっぱりこの人は別格だな。

そう思って改めてこの「Stones and Eggs」を聴いてみたら、めちゃくちゃよかったんだ。

“C'mon”とか“メッセージ”とか“シーズン”なんてとてもポップで数ある佐野クラシックと遜色ないできだし、“だいじょうぶ、と彼女は言った”もとてもいい。祈りのような気持ちに満ちた“石と卵”もすごくソウルフル。

確かに喉はへたっているし、作品それぞれも水準程度ではあるけれど、決して自己摸倣の作品じゃない、苦しい時期に苦しいなりの足掻きとも呼べるような葛藤があったことや、その中でも新しい表現を模索しようとしていたんだな、ってことが聴こえてきた。

この作品は、確かに中途半端ではあるけれど、今までを精算して次のステージへと行くために必要なプロセスだったんだな、って思ったんだ。


さて、季節は立春。

一応暦の上ではここからが春。

でも実際はまだまだ寒さがとても厳しい。

誰の人生にも冬の時期はある。

冬の寒さを耐えしのいだあとに咲く花がある。

今までを精算して次のステージへ行くために必要なプロセス。

立春とはそういう季節なんだと思う。

今はまだとても寒いけれど、春の気配はやがて立ち始めてくる。