穀雨 (こくう)の名前は「百穀春雨に潤う」の故事より。田植えや畑仕事の準備が進み、それに合わせるように春の雨が降り穀物を潤してくれる、という意味らしい。
今でこそ晴れの日=いい天気、雨の日=悪い天気、といった言い方を天気予報ですらするけれど、今よりもっと農業が暮らしの中心にあった時代、雨は恵みをもたらす貴重で大切なものだったことを思い浮かべることができる。
 
今夜は雨。
春の雨にはなんとなく優しく柔らかいイメージがある。実際は激しい雨も降るんだろうけど、夏の夕立やゲリラ豪雨とは違って、もっとしとしと降って、けれどじとじとじめじめではなく、世界に潤いをもたらしてくれるようなイメージ。
そんな雰囲気の音楽を、と思い浮かんだのがこのレコードです。
 
 
Pres and Teddy / The Lester Young and Teddy Wilson Quartet
 
レスター・ヤングは33年にカウント・ベイシー楽団に入り、それまでセンターを張っていたコールマン・ホーキンスの男くさく豪快なブロウとはまるで違う、ソフトでシルキーな音色と流れるようなフレージングで一世を風靡し、自身の楽団やビリー・ホリディとの競演で一時代を築いた人。が、第二次大戦で徴兵された軍隊でひどいしごきやいじめにあって精神を病み、除隊後も酒や薬に溺れて、昔日の輝きは失われてしまったという。
そして1959年に49才で亡くなってしまうのだが、その晩年の56年に旧友のテディ・ウィルソンらと共に録音したのがこのアルバム。
いろいろあった若き日を思い起こし、過ぎ去った日々の思い出を語るような、ほのぼのとした味わいの中にひとつまみのせつなさを感じさせるような演奏。
悠然と、時に朗々と、時に朴訥と歌うレスター・ヤングの音色。それに寄り添うテディ・ウィルソンのピアノ。
まるであと数年で人生を終えることが判っていて、なおかつ駆け抜けてきた自らの人生を悔いもせず、柔らかい気持ちで振り返っているような。
喜びも悲しみも怒りも嘆きも全部ひっくるめて全部人生なんだと肯定してくれるような。
そんな音楽の中にある潤いが、まるで春の雨のように優しく、恵みをもたらしてくれるような気がするのですよね。