四月の一週めは「清明」。
清明の名前の由来は「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれる也」という漢文の一節だそうで、世の中が生命で満ちあふれはじめる季節のはじまり、ということらしい。
遅かった桜もようやくちらほらと咲き始め、桜だけじゃなく草木がぐんぐんと伸び、花が咲き、蜂や蝶々が飛び交い、燕も渡ってくる。
清く明るい、って言葉だけでも清々しいですよね。
 
で、生命力にあふれ、清く明るいといえば、例えばこういう音楽だな、ってことでサム・クックさんです。
 
The Man and His Music/ Sam Cooke
 
最初に聴いたときは、なんだか白っぽい普通のポップスだと思ったんだ。ストリングスの入ったアレンジなんかもけっこうあって、全然悪っぽくない、善良な市民のための音楽、これがソウルなの?って。
今思えば、サム・クックの深さやかっこよさ、ある種の潔さがわからないなんてガキだな、なんて思ったりするのだけれど(笑)。
 
 歴史のことはよく知らない
 生物だって得意じゃない
 数学だって苦手だし
 フランス語なんてどうでもいい
 でも、君を好き、ってことは知ってる
 もし君も同じように僕を愛してくれたなら
 世界はとっても素敵になるんだけど
    (Wonderful World)
 
初恋に落ちたばかりの中学生が歌いそうな、ピュアで可愛らしい歌ですよね。純粋に、勉強や世の中のルールなんかより愛が大切、そして愛されたいという歌。
サム・クックの声の持つピュアネスやイノセンスがこの歌をより清々しく、キュートに響かせてくれる。春の始まりの清々しさと同様に。
ただ、サム・クックがすごいのは、一見ただのポップ・ソングに聞こえるような歌に、深い思想を練り込んでいるところだと思うのです。
優れたポップ・ミュージックには両義性がある。
この歌が歌われた時代はまだ黒人への差別が露骨だった頃。この歌を歌っているのが、差別と貧しさで学校へもろくに通えなかった黒人少年が白人たちに向けて歌っている、と置き換えてみるとどうだろうか。学力や学歴なんてなくっても、愛する心が大切。互いに愛し合うことができれば世界はとても素晴らしくなる、というメッセージに聞こえてきませんか?
サム・クックはライヴのステージではもっと荒々しくシャウトしていたことが後に世に出たライヴ音源などで知られていますが、シングルは敢えてそういう黒っぽさを控えて軽くポップに仕上げていた。それはまだまだ黒人音楽は売れないという実状があったにせよ、サム・クックは黒人だけのスターでいることをよしとしなかった。それは、黒人としてのメッセージをアメリカ中に聴かせたいという思いがあったからだと思う。
そういうメッセージを忍び込ませた歌を、黒人向けだけではなく白人の少年たちもすんなり受け入れられるようなポップなサウンドで聴かせる。
演説や、デモや、まして暴力ではなく、こういうポップなフィールドで世の中を変えたい、そんな意思があったのだと思う。そういう清く明るい変革の意思。敵を作って格差や分断を煽るやり方ではなく、愛と共感をベースにしたやり方で。
そんなサム・クックの姿勢こそ、今の時代に必要なはず、と思うのです。
清く、明るく。
笑われたって、腰抜けと言われたって、そういう力を信じたいですよね。