私はCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の熱心なリスナーではないのでCCRのファンの方や、また筆が荒れているので、その辺りが気になった方もスルーして頂けたら幸いです。

 

私のCCRの想い出について話したいと思います。私が学校を卒業して社会に出たての20歳そこそこの頃。社会に出ると交友関係が広がり、それまで学校では出会えなかった世代の人とも出会うようになりました。私は職場などで年上の人と趣味の話になり、好きな音楽や映画の話しをするのが楽しく、とても有意義でした。心に残っている逸話の一つに、私が年配の人に音楽の話題を振ると「CCRが好きだよ。「雨を見たかい」って知ってる?。年がばれちゃうかな?」と照れくさそうに話していたのがとても印象的で、少年というよりどこか子供っぽい仕草が好きでした。そしてその後も何度か同じ様な場面に出会いました。

 

一昨年、私は職場の現場リーダーから、還暦を過ぎたであろう私よりも年上の同僚を紹介されました。現場リーダーは「Sさんと言う人だが谷ヤンでいいよ」と私に紹介しました。話の流れは分かりませんが、何かのきっかけで私はSさんと音楽の話になり、私がSさんに「好きなミュージシャンは誰ですか?」と質問したら、Sさんは「CCRが好きです。聴いたことがあるかな?」と答えたので、私が「クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルですよね?」と聞いたら、「「雨を見たかい」が好きだよ」と答えました。職場は洋楽を聴かない人が多かったので、他の従業員は私とSさんの会話を目を丸くして聞いていました。

 

CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)はジョン・フォガティ(ヴォーカル、ギター) を中心に、トム・フォガティ(ギター)、ダグ・クリフォード(ドラム)、ステュ・クック(ベース)の4人で結成され、60年代初頭から活動を始め、1968年にレコード・デビューして1972年に解散するまで、短期間の間に多くのアルバムを発表し、ヒット曲を世に送り出します。私は後にCCRがサンフランシスコ出身のバンドだと知りますが、フラワー・ムーブメント発祥の地で、ヒッピーの牙城のようなサンフランシスコから、サザン・ロック・テイストのCCRが誕生したのは少し意外な印象を受けましたが、裏を返せば様々な音楽を生み出す土壌だったのかもしれませんね

 

 

前述した「雨を見たかい」は1970年にリリースされた『Pendulum』に収録されている楽曲です。「雨を見たかい」は多くの人にカバーされ、日本ではサザンオールスターズの桑田佳祐もカバーし、私が初めて聴いたのは桑田佳祐のヴァージョンでした。

 

CCRの「雨を見たかい」(「have you ever seen the rain」)はシングル・カットされるとヒットし、全米8位を記録します。「雨を見たかい」がヒットしていた当時のアメリカはベトナム戦争下で、この時代は多くのグループが反戦歌を歌っていました。「雨を見たかい」の歌詞に登場する「雨」とは、爆撃機が落とすナパーム弾を指しているのではないかと話題になり、反戦歌と解釈されてきました。真意は定かではありませんが、これは暗礁に乗り上げ始めたバンドについて歌った歌だとも言われています。

 

CCRは6枚目のアルバム『Pendulum』をリリースすると、トム・フォガティはジョン・フォガティのワンマン・バンドの感があるCCRを脱退します。デビューから毎年ごとにアルバムをリリースしてきたCCRは2年間のブランクを経て、2年後の1972年に『Mardi Gras』(事実上のラスト・アルバム)をリリースするとグループは解散します。

 

 

A④「have you ever seen the rain」(邦題は「雨を見たかい」)。

 

 

 

数日前に職場の休憩室で現場リーダーが「実は皆さんに話しておきたいことがあります」と前置きすると「Sさんが癌で亡くなりました」と話しました。Sさんは以前から癌を患っていて会社を休みがち(入院)だったので、現場リーダーの冒頭の話しぶりからSさんが亡くなったのは、私を含めて他の従業員にも容易に想像がつきました。そして休憩室は重い沈黙に包まれました。その日は私にとってはもの凄く長い1日となり、仕事中に作業のことや音楽のことなど、Sさんとの想い出が浮かんできました。

 

私はSさんを谷ヤンと呼ぶのは初めてですが、この拙い文章を谷ヤンに捧げたいと思います。

 

「谷ヤン、お疲れ様でした。今まで大変お世話になり、感謝しています。有難うございました」。

 

 

かなり個人的な文章になったので、コメント欄は閉じさせて頂きます。私の拙いブログに、ご訪問頂き有難うございました