『俺たちに明日はない』

 

公開 1967年

 

監督 アーサー・ペン

 

出演 ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイ、マイケル・J・ポラード、ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ、エヴァンス・エヴァンス、デンヴァー・パイル、ダブー・テイラー、ジーン・ワイルダー

 

予告編

 

 

あらすじ クライド・バロウ(ウォーレン・ベイティ)は田舎町を訪れると車を物色しています。クライドを見た車の持ち主の娘のボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ)が家から出ると、クライドに迫ります。クライドはボニーに刑務所から出所したばかりだと話すと、ボニーは半信半疑です。クライドはボニーに度胸があるところを見せるために、近くの商店で強盗をします。ボニーは向こう見ずなクライドに魅かれ、2人は車で立ち去ります。

 

2人は強盗の旅を続けていると、ガソリン・スタンドを訪れます。少し知能は低いが車のメカに精通している店員のC・W・モス(マイケル・J・ポラード)を仲間に入れます。クライドとボニーが銃を持って銀行に押し入ると、モスの失敗が原因でクライドは殺人を冒してしまいます。クライドは殺人犯と共に行動するのはリスクになるので、ボニーに母のもとに帰るように勧めますが、ボニーは離れません。しばらくして刑務所を出所したクライドの兄のバック(ジーン・ハックマン)が妻のブランチ(エステル・パーソンズ)を連れて会いに来ます。クライドとボニーとC・W・モス3人は、バックとブランチも仲間に加わえて行動し、彼らの悪名はアメリカ中西部に知れ渡ります。

 

しかしそんな彼らの悪行も陰りを見せ始めます。5人が隠れ家にしていた空家に、警官隊が現れ、激しい銃撃戦の末にバックは重傷を負い、ブランチも負傷します。何度かの銃撃戦でクライドとボニーも負傷し、クライドは瀕死のバックとブランチを置き去りにして逃走します。クライドとボニーはC・W・モスの実家に行き、彼の父親に匿ってもらうことになります。しかし、その間に先に捕まったブランチが、テキサス・レンジャーの取り調べでモスの名前を話します。テキサス・レンジャーはモスの父親に、ボニーとクライドの情報の提供を条件にモスの刑期を短くする司法取引を持ち掛けると、モスの父親は承諾します。クライドとボニーは町に買い物に行った帰り道で、モスの父親がトラックのタイヤを外していました。クライドが車から降りると、モスの父親は素早く身を隠し、クライドとボニーは木陰に潜んでいた警官隊から一斉射撃を受け、無数の銃弾を浴びた2人は絶命し、2人の逃走は終止符を迎えることになります。

 

 

あとがき アメリカン・ニューシネマの代表作であり先駆的な作品と見なされる『俺たちに明日はない』は、キネマ旬報社が発行した『アメリカ映画200』を参考にすると、当時のタイム誌の12月8日号のカバー・ストーリーに取り上げられ「ニュー・シネマー暴力・・・セックス・・・芸術(アート)」と表紙がうたい、これがマス・メディアがニューシネマという言葉を使った最初とされています。その記事によれば、従来のハリウッド製映画の持つ公式、慣習、検閲などからの解放、八十七発の銃弾を浴びるラスト・シーンの美学で、ユーモアとサスペンス、生と死の平衡感覚などが、ニューシネマたるゆえんであると記されています。前述した記事によるとアメリカン・ニューシネマという呼称が生まれたのは『俺たちに明日はない』がきっかけです。私はアーサー・ペンが前年に制作した『逃亡地帯』で既に『俺たちに明日はない』の下地が出来上がっており、『逃亡地帯』もアメリカン・ニューシネマの1作だと考えています。

 

『俺たちに明日はない』の原題は『Bonnie and Clyde』です。ボニーとクライドとは、ボニー・パーカーとクライド・バロウのファースト・ネームで、2人は1930年代のアメリカに実在したギャングです。物語に入るオープニングで、古いモノクロの写真が映し出されボニー・パーカーとクライド・バロウの簡単なプロフィールが紹介されます。物語の舞台となるのは、世界恐慌時代の1930年代のアメリカ中西部です。1930年代のアメリカに実在したギャングを描いた作品には、ドン・シーゲル監督の『殺し屋ネルソン』やジョン・ミリアス監督の『デリンジャー』があります。

 

物語は終始逃走している逃走劇です。クライドとボニーは行く先々で大不況下のアメリカを目の当たりにします。銀行に家を取られて、家財道具を全て詰め込んで住み慣れた土地を去る老人一家。破産して一文もない銀行。テント生活をする人々。中でも逃走中に母親が恋しくなったボニーがクライド達を連れて、母親と再会するのは印象的です。ボニーの母親は初老の女性で、20代のボニーの年齢からすると高齢で、母よりも祖母のような外見です。クライドは「何よりもボニーを大切にしていて、不景気が終わったら足を洗うつもりで、いずれは落ち着いて家庭を持ちたい」とボニーとの将来の生活を楽観的に話すと、年老いた白髪の皺だらけの顔の母親は2人に諦観していて、「一生、逃げ続けるしかないのよ」と答え、ボニーは母親とは永遠に再会出来ないことに気が付きます。このシーンは淡い色調のトーンで描かれていて、もの悲しさを際立たせています。

 

脚本はエスクァイア誌に勤務する映画好きのデヴィッド・ニューマンとロバート・ベントンの2人が書きますが、2人は脚本を書くうえでゴダールの『勝手にしやがれ』やトリュフォーの『ピアニストを撃て』の影響を受けています。2人はゴダールやトリュフォーに脚本を送り、ゴダールとトリュフォーと会いますが、ゴダールとトリュフォーはスケジュールの関係で制作には至りませんでした。2人はアメリカの映画会社にも脚本を送りますが、どこも無関心でした。トリュフォーから脚本の話を聞いたウォーレン・ベイティはクライド役に乗り気で、彼はプロデュースも希望します。ウォーレン・ベイティは後に監督やプロデュースにも携わるようになるので、『俺たちに明日はない』のプロデュースを務めたのは、自然な流れだったのかもしれません。監督はウォーレン・ベイティが以前出演したアーサー・ペンに以来し、彼は熟考した末に監督を引き受けます。そしてウォーレン・ベイティはフェイ・ダナウェイの起用には最後まで反対しました。

 

『俺たちに明日はない』がアメリカで公開されたのは9月ですが、公開当初は一部の人には注目されましたが、本国アメリカよりもロンドンやパリで大きな話題となり、本国に逆輸入された形で作品は注目を集めました。ヌーベルバーグの影響を受けたデヴィッド・ニューマンとロバート・ベントンが書いた脚本が、公開当初はアメリカよりもヌーベルバーグの本場のパリで注目を集め、本国アメリカに凱旋したのは面白い巡り合わせだと思います。

 

映画はウォーレン・ベイティを除けば無名な俳優や新人が多く出演し、ボニーとは対照的なガサツな性格のブランチを演じたエステル・パーソンズはアカデミー助演女優賞を受賞しました。劇中でブランチは繊細な性格のボニーと対立することが多くある意味ボニーの引き立て役の感がありますが、エステル・パーソンズは賞を受賞し完全にフェイ・ダナウェイをくっていました。

 

 

参考文献  『アメリカ映画200』キネマ旬報社