おかえりロッキー、そしてさようなら僕たちの心から永遠に消えることなく
還暦を迎えたシルベスター・スタローンがイタリアの種馬ロッキー・バルボアとして
再びリングに立つ。
ロッキー・ザ・ファイナル(邦題)
ROCKY BALBOA(原題)
このシリーズ最終作も第一作同様ドラマ部分がとても充実していて見応えがある。
エイドリアンのお墓の前にたたずむロッキー
とってもメロウでゆったりとしていて悲哀に満ちた始まり。
ところどころに第一作を彷彿させる場面が散りばめられており
第一作を愛している人はノスタルジアを誘われ、胸を締め付けられることだろう。
エイドリアンとの出会いのきっかけとなったペットショップ
思い出のスケートリンク
愛を育んだアパート
最愛の人を失った痛みと孤独と喪失感
生きる希望を失っていたロッキーに再びチャンスが訪れる。
現チャンピオン、ディクソンとのエキシビジョン・マッチだ。
「恥ずかしいからバカなことを止めてくれ」という息子ロバート。
ロッキーが自分を障害としてしか見ていなかったその息子に語る言葉が印象に残る
「人生は重いパンチのようなものだ。
でも、パンチを恐れる必要はない。
大切なのはどんなに打ちのめされても前に進み続けることなのだから」
ロッキーを奮い立たせるきっかけになったのはリトル・マリーの存在。
かつてロッキーが説教した12歳の不良少女が今では一児の母。
彼女がロッキーに言った言葉がまたいい
「あなたがやりたいと思ったなら、誰がなんと言おうとやるべきよ
後悔しないためにも」
若きチャンピオンに対抗する唯一の方法は
重いパンチを身に付けること。
♪GONNA FLY NOW(ロッキーのテーマ)に乗り、再び特訓の日々が始まる。
生肉叩き
ドラム缶投げ
片手腕立て伏せ
バーベルの持ち上げ
生卵五個一気飲み
そして
フィラデルフィア美術館でのガッツポーズ
観客=ロッキーの図式が成立し
観るものは完全にロッキーと一体化し
胸を熱くさせるだろう。
“敵は我にあり”という言葉がある。
弱い自分と戦うこと
これは誰もが心の中で思っていながら、中々実行できないことのひとつではないだろうか?
弱い自分に負けて、なあなあに一日を過ごすことはないだろうか?
わたしはよくある。
やろうとしたことを後回しにして結局やらずじまいで終わってしまったことの愚かさよ。
この記事だってそうだ。UPすると言っておきながらどれだけの時間が過ぎたことだろう。
ロッキーが支持されるのは
そんな弱い自分に負けない強い姿に共感を覚える部分があるからではないだろうか
試合のシーンはシリーズ最大級の盛り上がりを見せる
ド派手な演出はシリーズを締めくくるのに相応しい。
第一作同様、何度も立ち上がるロッキーの姿から
勝ち負けにこだわることの馬鹿馬鹿しさに気づかされる。
そんなことよりも自分がどう戦ったかの方が大切なのだ。
その瞬間の気持ちの輝きの方が大切なのだ。
ラストがまたいい。
ロッキーはやっぱりこうでなくっちゃ!
この最後の長い戦いを通して
ロッキーは、スタローンは
証明したのだ。
精神は肉体をも凌駕するのだと
─精神さえ若ければ現役であり続けることが出来るのだ─
そして、自分を信じて進み続ければ、叶わない夢はないのだと
いくつになっても夢だけは持ち続けていようと心から思った。
ありがとうそしてさようなら
ロッキー・バルボアよ永遠に
僕たちの心から消えることなく
あなたは不滅のHEROです。
P・S
何を観るか迷っていたカップルの女子の方
「やだー、崩れたスタローンなんか痛々しくて観てらんなーい」
だと?
あんたに何が分かるって言うのさ
いくつになっても挑戦し続ける心意気の素晴らしさを・・・。
見た目に惑わされているようでは分かるべくもないか・・・。
映画も心で観るものなんだぜ!
ま、こんな素晴らしい映画、あんたには勿体無いよ!
(って何時になく大人気ない発言をしちゃいました。
でもね、この女子の言い方がホントムカついたんですよ)