話題の斎藤知事、色んな批判の記事が溢れている



まず始めに言うが、私は斎藤知事を擁護する気は一切ない


どのような背景、どのような理由があろうと、人を死に追いやるようなことや、人を追い詰めるようなことを言ったり、そのような態度、行動をとる人間を私は決して許せない



それはそれとして、というのが今日の話



以降は私の個人的な妄想としてお聞きいただきたい



私は政界に疎いし、精神科が専門でもないのでエビデンスに基づいた話ではない



端的に言うと、斎藤知事は「自己愛性パーソナリティ障害」という、一種の疾患ではないのかな?と個人的に思う



ネット上で知事のことを「自己愛が強い」というのはよく見るが、パーソナリティ障害という視点が意外にも、見当たらない



もちろん疾患名なので、医師が診察をしていないのに周りが勝手につける診断名ではないのだが



説明しよう



まず、「パーソナリティ障害」という言葉を皆さんは御存知だろうか



パーソナリティ障害とは、他人とは異なった感性、考え方が顕著で、対人関係や社会性に大きな障害が生じたときにつく診断名だ



つまり、「あの人ちょっと変わってるよね」が行き過ぎて、生きづらくなる人、というイメージ



「自己愛性パーソナリティ障害」とは、以下3点、MSDマニュアルからの転載



・自己愛性パーソナリティ障害の患者は自分の能力を過大評価し、自分の業績を誇張し、他者の能力を過小評価する傾向があります。

・自己愛性パーソナリティ障害の診断は、自分の重要性と才能についての誇大な、根拠のない感覚、無条件に賞賛されたいという欲求、特権意識などの特定の症状に基づいて下されます。

・基礎にある葛藤に焦点を当てた精神療法が役立つことがあります。



ググって頂いたら分かるが、わりと当てはまりそうなのだ



私が何を言いたいかと言うと、マスコミやブロガーはこぞって斎藤知事のいろーんなエピソードを持ってきて、「こんなやつがこんなこといってる!」「こんなおねだりしてた!」「こんなパワハラがあった!」ととりあげ、エンドレスに実りのない批判を続けている



それはもちろんもっともだ



県知事として相応しい行動や言動があるはずだ



人を死に追いやるなんて、言語道断だし、法律に違反しているという話もある



ただ、これ以上過激な記事を書き続けても、斎藤知事は言動や行動を訂正したり、過去のことを反省して心から謝罪したり、遺族に頭を下げたり、そんなことしないだろう



それがパーソナリティ障害だ



だったら、周りの信頼できる人でも、マスコミでも、「もう知事、辞めようぜ、潮時だぜ」「精神科で心理療法しようぜ」と声を掛けてくれたら、まだ実りがあるんじゃないか



そんな風に思う今日このごろ



存在を否定するかのような過激なアプローチよりも、やりようがあるのでは?



行き過ぎた斎藤知事の批判は、斎藤知事がしていることと同レベルになりかねない



誰か、彼を救ってくれ、日本のために、亡くなった人のために