「また、自分でやってしまった」
そう気づく瞬間、ありませんか?
もしかしたら「自力で頑張る」が当たり前すぎて、
ご自分でも気づいていないかもしれません。
誰かに任せようとしても、なんとなく不安で手を出してしまう。
自分のタイミングで動かないと落ち着かない。
自分のやり方でなければ気が済まない。
そうやって、あなたはひとつひとつを自分の手でなんとかしながら、
何十年も生きてきた。頑張ってきた、という言葉では足りないくらい、
本当によく動いてきたのだと思います。
でも、正直に聞かせてください。
それで、うまくいっていますか?
「うまくいっている部分もあるけれど、なんだかずっと疲れている」
「努力しているのに、ある一定のラインから先に進めない感じがある」
「もっと楽に生きたいけれど、手を抜くことができない」
そんなふうに感じているとしたら、今日のお話はきっと、あなたに届くと思います。

自力を使いたくなるとき、そこには「エゴ」がいる
「何でも自分でやらなきゃ!」という感覚、
スピリチュアルな観点でいうと、それは「エゴ」の声です。
エゴというと、自己中心的とか、
傲慢なイメージを持つ方もいるかもしれません。
でも、ここで言うエゴは悪者ではありません。
エゴはただ、あなたを守ろうとしている存在です。
そしてエゴは人に任せることができません。
「何でも自分でやる」「自分でコントロールする」が
「自分、自分、自分・・・」が、エゴの存在意義だからです。
それを手放そうとすると、ものすごーく抵抗します。
自分が消えてなくなっちゃう気がするんでしょうね。
さて、自分でやらなきゃ、自分のタイミングで、自分のやり方で——
そう思うとき、その奥には何が隠れているでしょうか。
「大事な時に私はいつも見捨てられる」
「人は信頼できない」
「他の人に頼ったら、きっとうまくやってくれない」
「どうせ助けてもらえない」
「結局、自分でやった方が早い」
「みんな、自分のことで精一杯で、私のことなんて気にしていない」
「周りはみんな敵」
「誰かに頼ることは弱みを見せること(結果、攻撃される)」
こういった思い込みが、静かに根を張っていることが多いのです。
私自身、精神病院で15年間、臨床心理士として働いていた時代がありました。
人の心に寄り添うはずの仕事をしながら、気づいたらひとりで何もかも抱え込み、
人間不信に陥っていました。頑張れば頑張るほど、孤独感は深まっていった。
あのころの私は、誰よりもエゴを全開にして生きていたと思います。
「自分でやらなきゃ誰もやってくれない」という確信が、体の芯まで染み込んでいました。
あなたが頑張っている間、天は手を貸せない
ここで、少し驚くかもしれないことをお伝えします。
あなたが「自分でやらなきゃ!」と思い、
その方向へ全力で動いているとき、
高次の存在——天やガイド、宇宙と呼んでもいい——は、
あなたに手を貸すことができません。
なぜかというと、あなたが「自分でやる」と決めているからです。
私たちには自由意思があり、高次の存在はそれを尊重する。
それが宇宙の法則です。
ですから「あなたが自力で頑張る」と決めている時、
高次の存在は「そう、じゃあ、頑張ってね」と思っています。
「自分で頑張る」があなたの自由意思だから。
高次の存在はそれを侵すことはしないし、できないのですね。
「自分で頑張る」が本当にあなたの自由意思なのか、
ただの習慣なのか、あるいは潜在意識(自分の思い込み)に
使われているだけなのか・・・
といったことは、ちょっと置いておきましょう。
いずれにせよ、高次の存在からみたら、
それはあなたの自由意思です。
ちょっと想像してみましょう。
「何もかも自分でやらなきゃ!」と思っている人に
「大丈夫?なんか手伝おうか?」と声をかけたとします。
たいてい「うん、大丈夫!」と言われますよね。
(場合によっては「余計なお世話よ!」と言われるかもしれない)
そしたらこちらは(助けてあげたいけど)手が出せませんよね。
それと同じです。
それに見えない世界の助けは、スペースがなければ入ってこられません。
あなたが自分の意志とエネルギーでびっしりと隙間を埋めてしまっているとき、
そこに別の流れが入り込む余地がないのです。
コップの水で想像してみてください。
コップが自分の考え・判断・努力でいっぱいに満たされているとき、
新しい水を注ごうとしても溢れてしまいます。
でも、少しだけ注ぎ出すスペースをつくると、
まったく違う質の水が入ってくることができる。
奇跡というのは、外側からやってくるというより、
スペースをつくることで起きる——私はそう理解しています。
「でも、手放したら何も起きなくなってしまわないか」
と不安になりますよね。
その不安もまた、エゴの声です。
エゴはとても正直に、「私はこわい」と教えてくれています。

エゴを手放すとは、諦めることではない
ここをはっきりお伝えしたいのですが、
自力を手放すとは、何もしないことではありません。
望みを持たないことでも、努力をやめることでも、
受け身に生きることでもない。
「私が全部コントロールしなければならない」という、
その緊張を手放すことです。
たとえば、何かを願ったとき。
「どうすれば実現できるか、もれなく全部考えなきゃ。
段取りして、準備して、確認して、万全にしなきゃ」という動きと、
「こうなりたいと思っている。でも、どんなルートで来るかは、
もっと大きな流れに委ねてみる」という動きでは、エネルギーがまったく違います。
前者は、自分が全部引き受けようとしている。
後者は、自分の意図を定めたうえで、あとは信頼に任せている。
奇跡が起きやすいのは、後者です。
なぜなら、見えない世界が動けるスペースがそこにあるから。
前者は自分で出来ること以上のことはできません。
自分で出来ることは「奇跡」とはいいませんよね。
例えば「もうちょっとお金が欲しいな」と思った時、
前者の「自分で何とかする」場合は、
残業を増やすとか、アルバイトや副業をする
といったことをするでしょう。
そして計算通りのお金が入ってくる。
でも「後者」の場合。
しまい込んだまま忘れていたお金が出てきたり、
思いもかけないところからお金が入ってきたり、
誰かから好条件の新しい仕事の話がやってきたり、
自力以上のことが起こったりします。
「自分」という小さな枠に限定されていないからですね。
そう、自分って小さいのです。
「何でも自分で出来る魔法使い」じゃない。
エゴは自分が小さいことも非力なことも認めたがらないけど、
(それを認めると恐ろしいことが起こると思っているから)
でも小さくでもいいんです。非力でもいいのです。それで大丈夫。
私がスピリチュアルな領域と出会ったとき、
最初に学んだことのひとつが、この「委ねる」という感覚でした。
コントロールを手放すのが怖くてたまらなかった私が、
少しずつ、少しずつ、その緊張を緩めていったとき——
本当に、人生が変わり始めました。
タイミング、出会い、流れ。
自分では絶対に設計できなかった奇跡のような展開が、
静かに起き始めたのです。
自力を手放すための、最初の一歩
エゴを手放すには、その奥にある思い込みを癒すことが必要です。
「どうせ助けてもらえない」という傷。
「みんな敵だ」という警戒心。
「自分でやらないと、裏切られる」という記憶。
こういった感情は、多くの場合、幼い頃の体験から来ています。
助けを求めたのに来てもらえなかった。頑張らないと認めてもらえなかった。
そういった経験が積み重なると、「自分でやる」ことが生存戦略になっていくのです。
40代、50代になった今も、その戦略をずっと使い続けているとしたら。
それは、もう必要がないのかもしれません。
癒しは、難しく考えなくていいです。
まずは、自分の中にある「どうせ誰も助けてくれない」という声に、
気づくことから始まります。
気づいて、「あぁ、そう思っているんだね」と、
自分でその声を受け取ってあげること。
責めなくていいです。そう思い込むには、理由があったのだから。
ただ、もうその信念が事実ではないかもしれない、
と少し疑ってみてほしいのです。
さいごに
あなたがこれまで頑張ってきたことは、本物です。
その努力を否定したいのではありません。
むしろ「今までひとりでよく頑張ったね」
と自分自身に言ってあげて欲しい。
ただ、頑張ることと、自力で全部抱え込むことは、別のことです。
手を放したとき、何かが崩れるのではなく、何かが流れ込んでくる。
私はそれを、自分自身の人生で体験しました。
そして、カウンセリングやチャネリングのセッションの中で、
クライアントのみなさまと何度も一緒に目撃してきました。
自力を手放すと、奇跡は起きます。
それは、あなたの外側から何か特別なことがやってくるというよりも、
あなたの本来の流れが戻ってくる、という感覚に近い。
もし今、「ずっと頑張ってきたのに、なんだか疲れた」
「頑張っているのに全然上手くいっていない」と感じているなら——
それは、変わり時のサインかもしれません。
少しだけ、力を抜いてみてください。
そのスペースに、何かが入ってきますよ ♪
富士山とレムリアと縄文についてお話させて頂きました。
★ゆほびか様に「頼れるヒーリングサロン」として掲載頂きました。
(2022年1月号)









