遺憾の意をしめす猫



普段は夢を見たことすらも

覚えていないのですが、

すごくはっきり覚えている夢を見ました。



はっきり覚えている夢には意味があります。


前回は我が家の猫ちゃんの夢を見ました。

それはすぐに答え合わせできて腑に落ちました。


今回はこれまでに学んだ事を駆使して

何が課題なのか発見しなければいけませんね。




今回は前後ははっきりしないけれど

会話をしているシーンでした。



「とりあえず親が自分を大切に思ってくれたり

愛してくれたということは認めるけれども、

だからといって他のことを許した訳ではない」

という感じの事を母に言う。


母はものすごく微妙な感じの表情をする。




そこで目が覚めました。

大抵の場合は、目覚めた瞬間はよく覚えているけれど

覚えておこうと思ってもすぐに忘れてしまいます。



しかし、今回のセリフは時間が経っても

はっきり覚えています。



ここ数日、起きたら不愉快な感情だけが残っていて

寝ている間に何かあったのかわからない・・・

という現象が復活しています。


しばらくはこういうこともなく、

親に対する気持ちについては

かなり整理もついて

執着がなくなったと思っていました。



しかし、実際にはそうではなくて

まだまだたくさん握りしめているよ、

という意味なのか?


それとも他に意味があるのかな?


まあ、そのまんまの意味ではないか・・・?



かなりの部分がなくなったとはいえ、

心のどこかでは握りしめた手を解放できていない。


ものすごく執着していているんですね。


一言で言えば「執着」ですが

これを自分が理解できる形に

分解したらどうなるのか。




最近起こっていることで、

この夢に関連しそうなことって

一体なんだろうと考えてみました。


考えられるのは「本音と建前」なのかもしれません。


そこに傷つき続けて、

人は信じられないと思ったのに

自分も結局は同じことをしていただけだった。


母のことをもう悪く思っていないし、

やってくれたことに感謝すらある。

もっと楽に生きられるようにならないものか

と思っているのに、

一方ではどこか許せないと思っている。



でも、そこはずっと棚上げになって

気づきもしなかったことだったけれど

受け入れて変えていくときなのかもしれないな



と思いました。


自分だって同じ構造で

考えたり反応したりしているのに

人がやってると許せなくて傷つけられたと思う。


自分がやってるかどうか?

という事実は客観的に見れもしないし

受け入れられない・・・


そういう部分って

確かにたくさんあるのだな・・・



どんだけ愛が欲しいと思っているのか

際限なく求めているだけ、、、

ということなんですが



欲深い自分勝手な自分がいたんですね。


続く。