なんだか不思議なことがありました。

ある人とお話していて
2人でiPadの歌詞を眺めて
歌の練習をしたのだけど

ふと、むかしこんなことがあった
という気がしたんですね。

こうやって、2人で
本やノートを覗き込んで
何かを一緒にやったり、歌ったり
教えてもらっていたような、、、、


それが、親子だったのか
兄弟なのか
近所のお姉さんなのか
飼い主と猫なのか

それともそういう誰かを見ていて
ただうらやましかったのか


それはわからないし
ただの思い込みなのかもしれません。


けど、なんだか楽しくて
不思議な時間でした。

懐かしいような
ただただ穏やかな日の当たる縁側で
本当に楽しい幸せな時をすごしているような。


帰りの電車で
小さな子どもがずっと遊んでいて
喋り続けていました。


降りる時にその子の顔をみたら
なんと嬉しそうな顔をしているのかと
驚きました。

その後の大人になった時の顔が
なぜだかリアルに思い浮かんできました。



きっと自分も小さな頃は
こんな表情をしていて
本当に楽しかったのだろう。


iPadを見ていたあの時感じた
その楽しさはこれと同じだった。

こんな風にたのしかったのか。


これが、本来感じていた楽しさか。


子どもの頃のような無邪気な楽しさ
という表現は嫌いだった。

そんなもの覚えてないし
もうわからない。

そもそも自分はそんな子どもではなかった。
そんな良い魂ではなかったんだ。

そんなものに値しない。


って固く思っていたんですね。


冷たく固く閉した心で生きてきて
ひねくれて思い込みで固まった自分と

本当の無邪気な楽しさと幸福に満ちた自分


その二つの真実を同時に
理解したような気がしました。


私は人々が話している
大人のふりした子どもの自分って何なのか
全くわからなかったから
そこに戻って楽しみたい気持ちも
全くわかりませんでした。

だから、ただしらけていた。
そんなものはない!
ってどこかで信じていたのか。


でも、自分にもそんな純粋さがあったのを
ようやく見つけたのかもしれず

夢のような二日間でした。
けれど明日からはまた娑婆で修行です。

どちらもある。
希望と絶望を合わせ持つ
複雑な自分を受け入れて修行に励むんだね。