チャッキーって知ってます?




昔、衝撃的すぎて流行った
アメリカのホラー映画です。


子ども心にもあまりにも怖すぎて
今でもはっきりとその恐ろしさを覚えています。




チャッキーという名の人形が
ある日突然刃物を振りかざして
見境なく襲いかかってくる話で
オーメンとは別の怖さがあります。

その襲いかかり方が怖すぎる。


あまりにも痛そうだし
あまりに怖すぎて理不尽すぎて
なんで襲われるのかわからないし
話は全く通じないのです。


我々ぐらいの世代の人はみんな知ってるかも。






個人セッションが日曜日にあったのですが

私は自分の中にこの「チャッキー」がいる⁉️

という事をようやく理解したのです。



何かことあるごとに
(しかも実に些細な事)
チャッキーが発動してしまい

気に食わない周囲に無差別攻撃しまくり
本気で○す気で襲いかかってくる狂気の人形

周囲の人から見たら、
いつ怒り出すか分からない
本当に訳の分からないキャラクターで

親や保育園の先生からしたら
それはもう育てにくい
訳の分からない子どもだった。

それまで嬉しそうにしてたのに
ふと振り返ると刃物振りかざして
小さな子どもが立ち尽くしているようなもの。



「自分が王様じゃなきゃイヤだ」
と思っていた。

周りがどれだけしてくれても
ほんの一瞬誰かが優先されようものなら

いや、ほんの少しでも相手の気持ちが
逸れようものならば

そういうセンサーだけは
やたら高性能なので全部拾ってくる。

ほんの少しでも何か引っかかることがあれば

途端に手のひら返された、とか
裏切られた、とか解釈して
いきなりチャッキーになってしまう・・・


私は基本的には他人に
「手のひら返された」
という解釈の持ち主だったと
ようやく自覚できたのです。


これまでずっと、これ故に苦しんできた。
自分という人間の根本はこれであり、

これ故に起きていた色々が
なぜなのかを理解できなくて
ずっと何の苦しみなのかがわからなかった。


でも、全ての人生で引っかかってきた物事を
全部並べて見たらば


全部これじゃん・・・


という衝撃を受けたのです。


思えば、幼少期の私にとって、
親はどちらもそういう人だった。

なんでか分からないけど
いきなり怒り出す。

前回は褒められた事も
次回には何故だか激怒される。


これは、親が私と同じカルマを持っている
同じグループであるという事と
自分の課題の写し鏡であるという事でもある。


「(訳もわからず)苦しみ続ける事が
未来永劫続くというカルマ」


なのだという事らしい。


そして、子どもの頃には
他人の事情や気持ちは全く押し測る事が
できなかったので

私にとっては全く理解できなくて
手のひら返されたと思っていた。


という事だったのですね。


兎にも角にも
気付いたのであれば
チャッキー発動は令和四年中に
やめないといけません。


しかも、それは周囲はみんな知ってるのに
自分だけ知らなかったのです。


なんて恐ろしいのでしょうか・・・
これもある意味ホラーです。




日向さんが言ってました。

それぞれがそれぞれの人生の主人公だから
みんなキャラクターのようなものだ。

だから、何をしだすか・何を思うのか

それを理解してどのような布石を打つのかを
考えるのだと。


だから、みんなが被害をうけて
大変な事にならないためにも
まずこのチャッキーの呪いを
解かなければならない訳で

あれこれとしていただいていた
ということなのですね。


なんだか、人生50年の謎が解けた日でした。
そして、方向性がはっきりした日でした。



昔孔子が言っていましたが、
人間は50にして天命を知るってホントなのね。


そして、私も皆のように
人生の根本をしって自分を知って

スッキリしたいという望みが
叶えられた日でした。


そして、愛の深さというものを
またさらに受け取れたような気がします。