たまたま見たドラマで

「見たい景色と見える景色は違う」

と言っていました。


これを仕方ないんだという
諦めの節でみるのかどうか。





最近このカードがよく出ます。




どう解釈したものか

何を伝えたいのか?


について色々考えてみました。





持って生まれたカルマが人それぞれ違う。

だから環境も状況も能力も

何もかも人それぞれである。


それゆえに解決しなければならない課題も

全ての人の容貌が違うように

それぞれに全く違う。



これは確かに否定することができない。



だから、自分が当たり前にできることや

何の苦もなくできることは

そもそもその人の人生にとって

克服しなければならない課題ではないのだ。



でも自分が当たり前にできてしまうことを

他の誰かが全くできないという事は

なかなか理解できないものだ。


だからまだ人間をやってるのだろう。




だから、他人の課題が

軽く見えてしまったりすることもあるし


逆に他人の課題が羨ましく見えてしまったり

することもあるだろう。



その課題に込められた意味が

全くわからないこともある。



しかし、

課題の重さや軽さだけが

問題でない事は確かである。


そこだけにとらわれてしまうと

肝心の本当に解決したいし、

しなければならないものが何なのか

を見失ってしまう。



それでは全く意味がない。



たとえ重い課題をやり抜いたとしても

そこからのフィードバックを

全く得ようとしなければ

単なる自己満足で終わってしまいかねない。



もちろんそれをやり抜いたという

体験から得るものはある。



でもそれが何なのかという明確な意識や

何を克服したいからそれをやるのか

ということはやはり重要なのだと思う。



なければせっかくの課題も

意味が30%減になってしまう。




でもね、課題に向けて取り組んでいる最中って

それがなかなか見えないものなんですよね。



なぜこの課題をやってるのかわからなくて

むしろそこをなんとか理解しようと思いながら


自分はここから何を得ようとしているのか

を考えながら取り組むうちに

いつか答えにたどり着くような感覚ですね。



それどころかいざ本番を迎えたときに

終わった後にこそ

ようやく答えがこれだったのかとわかる

ということもたくさんあるのだと思います。



その体験のうちに

全てが解放されるような不思議な感覚

があるように気がします。



これが言葉でも頭でもなく

体験を通してわかる

ということなのだと思います。



昔教えてもらったことに



「言葉にできることの範囲など

非常に限られたものだ。


この世で体験する事は

言葉にできないことの方が多い。


その方が膨大なのだから

言葉に絞って浄化しようとすると

かえって浄化する範囲を限定してしまう。」



というのがあって

その時は全然よくわかりませんでした。



言葉にできて初めて顕在意識化できる

わからなかったことが明確になる 


という気持ちがあったからです。



今でもこれが間違ってるとは思いません。



けれどもこれは方法のうちの1つであって

体験を通して納得していくことや

体現していくことというのは


いざそれが実際に為されれば

本当に大きな効果をもたらすものだ

ということも今は理解しています。



どちらも大切なことで

どちらかだけでは難しいし


人によって場合によって状況によって

使い分けていくものなのだと思います。




私は他人の課題がきらびやかに見えてしまって

とても羨ましくて自分も同じことをしたい

という気持ちがありました。


それが1番の近道見えてしまって

それができる人がうらやましい

という気持ちがあったんですね。



もちろんきっとそれは

1番の近道なのだと思います。



でも今の自分には

すべてを自分の思うベストな状態に

揃える事は到底できないのです。



残念ながら最高にベストな課題

すべてをかなえる資金力

すべてをかなえる環境

すべてをかなえる時間

は今の時点ではないということを

全く受け入れられなかった。



いってみれば

隣のお友達と同じおもちゃは

我が家には無いのです。


姉に生まれた私には

年下に生まれた弟と同じ条件は

絶対に無いのです。



それなのに、自分にはどうしても

それが必要なのにないのだ、

何故なのだと

地団駄踏んでいたのですね。



こんなふうにまだまだ

過去を握りしめていたんですね。



極端な話をすれば

私がアラブの富豪だったら

今すぐ最高のトレーナーと

最高の食事を管理する人をつけて

環境の良い島にでも行って

朝から晩まで肉体改造に

没頭してればいいわけですが



でもきっとそれが叶う自分だったら

それは克服しなければいけない課題

ではないのでしょうね。


ならばどのような気持ちで

今ある環境と課題を受け取っていくのか。



課題ってほんとに深いですねー。


それが知れたという事こそ

あり得ない体験の一つであり

学びの一環なのだと

皆の体験のシェアを通じて思いました。