離婚の話が出た際に、円満に離婚したい、
話がまとまるまで子供には話さず、他人にも言わないと話し合って決めた。
一方的なことではなく、互いに愛情の気配も感じられる話し合いだった。
ところが、夫は瞬く間に他人に話していた。
当時知り合い夫のスポンサーになる可能性があった女性経営者と
離婚相談や恋愛相談をし、朝帰りしたことが数回あった。
いわゆ法的な意味での浮気をする人ではない。
異性とのエネルギーを遊ぶような感覚だろうか。
嬉しそうに内容を話してくれた。
約束と違うというと、「辛かったんだ。」という。
それならば、私たちの重さを尊重できるかわからない
知り合ったばかりの相手に言わなくても良いのに、と思った。
悲しかったし、恥ずかしかったし、悔しかった。
根本原因である暴言には触れず、近所の重鎮にまで話した。
尊敬を集めるその夫婦に私が諭されてしまった。
それでも、私は原因を話さず耳を傾けていた。
「子供が大事よ、家族が大切よ。」とおっしゃるのはもっともだから。
恥を感じたし、失敗した感覚があって公にしたくない、事実化が怖かった。
「離婚」がしたくて別れるわけじゃない。
実際には、良い時間もあったから、子供のためにも耐えてきたのだと思う。
特にひどい喧嘩の後は別人のように暖かい雰囲気になることがあった。
地域には、良い家族だと言ってくださる方々もいらした。
書いていると、苦しかったシーンが次々浮かんでしまう。
沢山の来客の前で「俺はダメな男なんだ」と言い訳しながら
女性たちにとても優しくチャーミングに接する夫に合わせるのは悲しかった。
そういうパフォーマンスの中に私を登場させ、
事実ではないことを組み込みながら夫婦の物語にしてしまう。
いつの間にか何かの役を演じているように見えていた。
何も知らない人々は、夫の話に笑う。
愛すべき、許すべき破天荒な夫が、妻を愛しているのに失敗するような筋書き。
私は傷つきながら遠巻きに付き合う。
そして台所に隠れる。
暴言への謝罪は、そのように終わる。
夫の家族は「外面を作る」ことは当たり前のことだった。
義母からも夫からも、愛想が悪いだの、外面を作ることについて言われた。
私はどちらかといえば社交的な方だと思う。仕事もうまくやっていた。
でも芸能人ではない。
過剰な自己演出や、シナを作ることはできない。
女性らしさも足りないのだろう。
むしろ素のままでいたいと感じている。
荒波のような時間だった。
…綴るのが癒しなのか、傷の上塗りなのかわからなくなる。
それでも、誰かに知って欲しい。
誰一人相談相手もいない中で、幽閉されたように暮らした。
そして、書いていると冷静になって、夫の良いところや良い時間も思い出す。
二人とも幽閉されていたのだと思う。
そして私は、少なくとも夫には社交生活や楽しみが多いと思っていた。
地方都市の行事に呼ばれ、営業だと言っては都会の高額パーティに参加し、
地域でも夜の会合は夫が参加した。人々とどんどん出会い、友達を増やした。
私は育児していたので仕方がない。
私から見れば、夫の方がガスを抜き、人と出会う刺激はあったと感じたが、夫はそれを認めなかった。
私は日中、仕事や会議で出かけていたので、夫からは同等に見えたようだ。
私にとっては、親の世話と仕事、育児であって、
息抜きは、ふとした合間の手芸であった。
友達に会うことができれば、誰かが気づいて助けてくれたかもしれない。
私は出産後に大切な家族を3人看取った。
結婚してからの間、実家に泥棒が入り、母がPTSDから統合失調となり、母の世話をしながら超高齢出産し、母と兄を一月違いで癌で看取り、311の影響を受け2年半も体調を崩し、相続で義姉妹と揉め、実家が火事になり、父が認知症となり、暴力と暴言といじめから逃げるために離婚を切り出し、やがて父が癌で他界した。
最大の喜びと、最悪のこと、人間として生きる様々なことを学ぶ時間だった。
強くなれたし、介護や、法的な手続きに詳しくなった。
でもとても辛かった。誰かに助けて欲しかった。
人に頼りたかったが誰もいなかった。
相談する人がいれば、誰かが修復の協力をしてくれるか、
私の辛さを、夫に諭してくれたかもしれない。
親が末期となり、最も辛い時、夫は「自分の辛さ」を訴え、
私を仲間はずれにした。
こう書いていると、私たちが互いにひどく嫉妬しあったような気がする。
私は一方的な被害者ではなく闘った。
被害者になりたくない。
被害者などなく、全て自分が作っている、という流行の考え方の影響もあった。
女性として負けたくなかった。同時に、わかって欲しかった。
心から助けを求めたい時、そのことを自覚しなかった。
誰もいなかった。
「ケツの穴の小せえ、つまんねえ女。」
昼間から泥酔する夫に罵られ殴りかかられたときは
頭が白くなり、尊厳が粉々になった。女性じゃなくなった。
こんなこと、夫の外での姿からは、誰も絶対に想像しない。
「信じられません。想像できません。」
たまにしか会わない近年の知人、特に女性たちは間違いなくそういうだろう。
二重の被害にあいたくないから、言わなかった。
「旦那さんに比べてあなたは地味でつまらないから、仕方ない。」
「旦那さんほどのカリスマなら、そういう姿も仕方ない。」
と思われるのも怖かった。
夫はテレビに出ていた人という少し特権的とも言える立場のような、
地方においては、暗黙の何かがあった。
そのこと自体が、私の存在しづらさであったことに気づいたのは、逃げてから。
出会った時、私にとっては知らない人でしかなかった。
そして、私自身の仕事柄、有名人も芸能人も珍しくなかった。
でも、農村の暮らしでは、社会的な上下があったのではないか。
そもそも、私が対等でいたことが、過ちの始まりだったのではないか。
だから、何度も「生意気だ。」と言われたのではないか?
二人で頑張ってきた数々のことを台無しにしたくない思いは強かった。
親を看取り、子供が成長し、時間ができたときに、事業を花開かせたかった。
周囲の人々は、私と子供が家を出た理由を知らない。
「実家の片付け」と言って出たからだ。
書き記すことにしたのは、離婚を認めたがらなかった夫が
協議が進み、修復可能性がないとわかった時に
突然、離婚理由を夫婦関係とし、自分が被害者だというようなメールを
送ってきたからだ。
子供を連れて夫から距離を持ち、
親子関係のつまみ食いのような面会だから子供を暴言や暴力が減ったのだ。
今になって、逃げた原因を棚に上げ、自分が被害者であるような言い草で
離婚を私のせいにするのは恐怖だった。
精一杯努力したようなことを書き連ねて送って来たそのことが恐ろしかった。
私が子供と逃げた直後、夫は友人たちと暮らし始め、パーティーを繰り返し、自分の世界を構築した。
近くに暮らしながら共同養育をする合意があったが、具体的な協議の土台が奇妙なことになってしまった。
夫はすでに、地域の中で立場を築き、若手から尊敬され、
離婚協議中の妻をサポートする良い夫だということになっているかもしれない。
離婚の原因を「夫婦関係」にしようとする夫に対して
暴力から逃げたのだということを外の世界に出しておかなければと思った。
養育の問題に触れているから恐ろしかった。
溺愛する長男の孫に執着した義母も背後にいるのではないか?
よく言われるように、夫はいつも暴力を振るったわけではない。
突然発火して汚言や暴力的あり方が止まらなくなってしまう。
病に近いものかもしれないと思いたい。
その姿を何度も見ている子供には、そのように伝えている。
そして特殊な家庭で育った心の闇がそうさせるのだと思っている。
夫にはADHDの自覚があることを間接的に知ったが、そもそも夫は自由人。
良い意味でも悪い意味でも過去よりも美しい未来を語りたがる。
つまり、反省することが好きではなく、事実を認めることが苦しいらしい。
味噌汁をこぼすような大した失敗でもないことで、ひどく落ち込むような。
歳を重ねて生活習慣は徐々に悪化し、養育者として、
そして家事分担や住まい方の意味では、そもそも同居が難しい人だった。
一方で、何事もないときは、子供にとって良い遊び相手でもあった。
別居後は、特に子供のためのことをしてくれるようになった。
子供が生まれてから、離婚の話は何度もあった。すぐに切れてしまうこと、親や心の問題に向き合って欲しいと遠慮がちだが、何度か頼んでみた。
対処はなかった。
離婚に当たって、家族の絆を確認し、近くに暮らして共同養育を行う予定だった。
双方で、関係性を再構築する努力を行い、円満に離婚し再生する。
そのような話になっていたのに。
…でも、最初から夫は友人たちと計画的に未来を構築していたのだ。
別居して2年近くたってようやく夫のずるさ、ずる賢さ?がわかった。
酒とタバコ、不衛生な環境らしく、不法行為も疑われるところに子供を預けることはできなかった。
そのようなアンバランスな状態を前提に、共同養育の開かれた話し合いはできない。
夫の症状が軽減しても、改善したと言えるだろうか?
そうは思えない。
数日前に、突然夫が離婚理由を夫婦関係とし、
自らを被害者とする物語を始めた以上、
養育権で争うことになった時に、逃げた理由を証明するものが足りない。
誰か私たちの状況に少しは気づいていただろうか?
その片鱗はどこかになかったろうか?
私たちを知っている誰かがこの記録に気づいてくれないかと漠然と期待し、
誰かが手を差し伸べてくれないかと夢想し、
一方で、夫やその家族に読まれてしまったら怖いと思いながら
この記録を綴っている。