My Flame -23ページ目

My Flame

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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成26(2014)年6月16日(月曜日)
     通巻第4267号 
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 ILIC(イラク・レバントのイスラム国)の武装蜂起で漁夫の利
   クルド族が大油田地帯を掌握、自治区編入の動きへ
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 キルクークはイラクの大油田地帯。トルコとパイプラインが繋がった。
 ここ数日、シリア国境から出撃して突如、モスルを占拠した武装組織は、電光石火の下リア作戦を展開し南進を開始した。
 スンニ派がネットに流している情報によれば、すでにスンニ派民間人1700名が処刑されているという(ウォールストリートジャーナル、6月15日)。

 イラク政府は反攻作戦にのりだし、攻撃機などを動員し、武装勢力の拠点を襲撃した。
このなかには間違えてクルドの拠点を誤爆、7名が死亡したともいう。

イラク政府は、武装勢力の南下を食い止めるのに必死である。このイラク政府を支援するのがイラン、そして米国も条件付きで支援を表明し、空母「ジョージ・ブッシュ」をイラク沖へ派遣し、オバマは「数日以内にいかなる軍事作戦の介入をするか決める」と発言している。

 クルド族がおさえたキルクークには旧サダムフセイン政権時代のバース党の残党も混在しており、日頃からクルドとは仲が悪いものの両者はILICを当面「共通の敵」として共同戦線、マリキ政権もこの動きを見て見ぬふりをしている。そればかりか政府軍はキルクー九の武器庫をクルドに明け渡して逃げた。

 突然の軍事衝突によって周章狼狽するイラク政府、どう介入するか態度を決めかねる米国。北からILIC拠点を空爆するシリア、そしてせっかく開通させたパイプラインの安全を懸念するトルコという構造の中、もっか、最大の漁夫の利をえたのはクルドということになる。
 ともかく中東情勢、一寸先は闇。
   ○
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  鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
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鍛冶俊樹の軍事ジャーナル
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 <中国空軍の恥さらし>
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「よく喋るオウムは飛ぶのがうまくありません」とは飛行機を発明したライト兄弟の言葉だ。ライト兄弟は後年、スピーチを依頼されることが多かったらしく、こう言って自らの口下手を詫びたという。つまり「自分達は空を飛ぶ自信はあるが、おしゃべりの自信はない」ということである。
 実はこの言葉は飛行機乗りにとって普遍の真理を含んでいる。飛行機乗り、特に戦闘機乗りは実に孤独な職業であって、大空にあって基本的に一人なのである。勿論、通信による会話は可能だが、お喋りに打ち興ずるパイロットは余り褒められたものではない。
 従って日本の航空自衛隊を含めて世界の優秀な空軍は皆、無口であるのを美徳とする。戦闘機乗りは黙々と緊急発進し、偵察機は黙々と情報収集し、レーダーは黙々と空域を監視し、必要最低限の指令と報告しかないのが、空軍の世界なのである。
 ところが中国空軍の最近のお喋り振りときたら、世界中の空軍関係者の失笑を買うのに十分な程である。「こんなに喋る中国空軍はきっと飛ぶのはうまくないだろうな」という訳である。
 5月24日に中国軍戦闘機が自衛隊機に異常接近した。日本は危険行為として抗議したが、中国国防省は翌日、あろうことか日本の抗議に反論したのである。もし中国が自ら主張する防空識別圏を確保しているなら、反論の必要はない筈である。ただ黙々と防空識別圏の確保維持に努めるだけであろう。つまり防空識別圏を確保していないと自ら認めている様なものであり、空軍としてはこんな声明を出すのは本来恥ずかしい事なのだ。しかも6月11日にも中国戦闘機は自衛隊機に異常接近し、翌日、日本の抗議に反論する形で日本の主力戦闘機F15の飛行映像を公開した。
 この映像はおそらく中国軍の偵察機が撮影したものであろう。こうした映像を黙々と撮影し、情報部で黙々と分析し情報を蓄積していくのが世界の空軍の常識であって、それをすぐさま公開されたら、情報収集の意味はなくなってしまう。私が中国空軍の軍人ならこんな国防省広報官は直ちに、たたき斬られているだろう。
 しかもその映像のF15の飛行の見事な事、まるで航空自衛隊の質の高さを宣伝しているプロモーションビデオかと思われる程である。プロの飛行機乗りは相手の飛行を一目見るだけでもその技量を見抜く。おそらく世界中の空軍関係者は空自の技量の高さに改めて感嘆したであろう。
 それに引き換え自衛隊機に異常接近してきた中国戦闘機の飛行振りときたら、自衛官が呆れる程の技量であったらしい。日本が危険だと抗議したのは捏造でも誇張でもない。隊員は心底、危険を感じたのである。中国空軍軍人に告ぐ。こんなアホな広報官は一刻も早くクビにして、もっとまじめに訓練に励め!
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者之声
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(読者の声1)貴誌前号にて『孫子の兵法』に関する分析を伺いました。
『自滅する中国—なぜ世界帝国になれないか』(芙蓉書房出版 )の筆者で戦略思想家のエドワード・N・ルトワックは、「今日の中国が抱えている外交的諸問題は彼らがきちんとした大戦略を有していないために生じている。ここには“逆説的論理(ある行動—この場合には国力の増大だが—は反作用を引きおこし、この作用は元の行動を止めるわけでは無いのだが、それでも単純かつ線的なベクトルの物事の進行を阻止する)”が顕著に作動しているからだ」と解説しています。
私にはこれが安倍首相の「地球儀外交」に符合しているようにみえます。
さらにルトワックは「孫子の兵法というのが問題で、外国より自国のほうが優れているという孫子の教えが大きな誤解を中国の指導者におよぼしている。中国の歴史は長い敗北の歴史であるのが事実だが、指導者たちはそれに気付いていないで兵法書に心酔している。兵法書の述べている策略や画策はどれも同じ文化の中(ルネッサンス時代のイタリアも同一文化内、同じ民族間での戦いであったらしい)なら効果があるものの、異文化間ではうまく機能しない。過去1000年間において中国人(漢民族)が中国全土を支配した期間の合計は、過去千年のうち三分の一を僅か超えるだけである」
と書いています。
しかし何よりも私が一番興味を引かれるのはルトワックが安倍首相と面談したことがあるということです。
  (足立生)


(宮崎正弘のコメント)ルトワック氏とは小生も二回会っておりますから当然、安倍さんとも何回か会談しているでしょうね。ルトワックのすごいところは『孫子』はそれほど価値のある戦略指南書ではない、と断言しているあたりです。



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(読者の声2)外国の宗教団体の日本侵入についての感想です。「日本人の宗教的無警戒」
昨日、イスラム教徒の学生が浅草寺の仏像を何体か破損したというニュースがあった。異教を滅ぼす宗教的確信犯だ。イスラムの聖戦(ジハード)が日本に及びだしたのである。
これはわれわれ日本人の異教徒にたいする不用心を示すものである。
マスコミも悪い。常に対立を避け、世界皆兄弟のような非現実的で不健全な妄想を振りまくからだ。
イスラムは、戦闘宗教である。片手にコラーン、片手に剣と言うが、本当だ。中東でイスラム教徒同士の残酷な戦闘がつづいている状況を見ると、イスラム教が平和を第一とする宗教ではない事が分かるだろう。
イスラムの平和とは異教(仏教、神道、ユダヤ教、キリスト教)と異端(イスラムの宗派)を根絶やしにした時に始めて達成されるのだ。
日本の解決はイスラムなど異教徒を日本に入れない事である。
イスラム教徒に住みやすい国を作ってはならない。イスラムが嫌う豚肉は魔除けになるだろう。異教徒には日本人の理屈も約束も通じない。イスラム教徒は契約はアッラーとしかしない。人間との契約書は紙に過ぎないとまで言う。全く価値観も慣習も違うのだ。
神道は他の宗教に対する寛大さを自慢してはならない。なぜなら日本人の世界の宗教に対する無知によるものだからだ。「神道が外国の宗教に寛容でも、外国の宗教は神道には寛容ではない」。
   (東海子)


(宮崎正弘のコメント)イスラムは砂漠の民の「血と祈りの大地」(村松剛)の信仰です。大川周明はイスラムを理解していました。戦前の日本の知識人はイスラムへの偏見がすくないですね。いまテロに突っ走るセクトは、イスラムの解釈を勝手に解釈しているカルトで、一般民衆が信仰するイスラムの神とはほとんど無縁のものです。
 敬虔なイスラム教徒とカルトは峻別したいと思います。



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(読者の声3)大統領の権限について、Presidential War Powerが米国憲法で定められている。
http://www.libertyclassroom.com/warpowers/
米国人は単に「戦争を決定できる大統領の特権」としている。米上院安全保障委員会(マケインは重鎮)は、この戦争権をオバマから剥奪する動きが出ている。
この男が軍を嫌っていて、米軍の派遣には全て反対か消極的だった。いわゆる、ピースニックですね。日本なら鳩山の「友愛の海」です(笑)。
戦争が好きな人間は少ないが、これほど戦争を忌み嫌う米国大統領は歴史にない。宮崎先生の分析に賛成です。安倍さんもことチャイナだとぶれない。だがね、オバマはどっちつかずなんです。ヒラリーの忠告さえも聞かなかった。ミシェルはそのチャイナに政府専用機で出かけて豪遊した。嗚呼!というしかないです。
(伊勢ルイジアナ)



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(読者の声4)きたる6月17日(火)6時より憲政記念館にて、呉竹会フォーラムが開催され、西村眞悟先生が、掲記のテーマで講演されます。皆様のご参加をおすすめする次第です。
 今回は、憂国の政治家である西村眞悟先生をお招きし、今後の日本をどのように牽引するおつもりであるか伺ってみたい、そのよう思いで企画を致しました。昨今話題となっております日本維新の会石原派への合流に関しまして、是非ともお話を頂戴したいところでございます。当日は、西村眞悟後援会会長代行であり、呉竹会顧問でもあります外交評論家の加瀬英明氏にも御挨拶を頂戴することも決定致しました。是非とも多くの皆様にご参集いただきたく、お知り合いの方をお誘い合わせの上ご参加願いたく存じます。

日時:6月17日(火) 開場17時30分 講演開始18時00分
会場:憲政記念館(東京都千代田区永田町1-1-1)
   半蔵門線/有楽町線/南北線 永田町駅2番出口より徒歩5分
会費:大人2,000円/学生無料
講師:西村眞悟(衆議院議員)
演題:「日本再興論~甦れ日本精神~」
参加申込ページ:http://j.mp/asia_41



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(読者の声5)第16回 家村中佐の兵法講座「楠(くすのき)流兵法と武士道精神」
今から約680年前、後醍醐天皇の討幕挙兵にいちはやく出陣した大楠公・楠木正成は、天才的な兵法(戦略・戦術・戦法)で鎌倉幕府を滅亡に追い込みました。こうした大楠公の活躍を描いた古典『太平記』の「軍事解説書」である『太平記秘伝理尽鈔』は、日本の兵法史上第一級の書物であり、江戸時代の天才兵法家・山鹿素行が最も愛読し、影響を受けた名著でもあります。
本講座では、この『太平記秘伝理尽鈔』の中から「千早城」や「湊川」など、大楠公の代表的な合戦を抜粋し、その戦略・戦術・戦法について、図解を交えて分かりやすく紹介いたします。
今回は、山間隘路からの分進合撃や泣き男の奇策など、大楠公の智謀を最大に発揮して足利尊氏から京都を奪還した建武三年正月二十七日合戦と、兵庫までの追撃戦について解説いたします。
『太平記秘伝理尽鈔』を読む(その5:京都奪還作戦)
         記
日時: 6月21日(土)12:30開場、13:00開演(15:30終了予定)
場所: 靖国会館 2階 田安の間
参加費:1,000円(会員は500円、高校生以下無料)
お申込:MAIL info@heiho-ken.sakura.ne.jp
 FAX 03-3389-6278
 件名「兵法講座」とご連絡ください。資料準備のため事前申込みをお願いします。
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 宮崎正弘最新刊の案内  http://miyazaki.xii.jp/saisinkan/index.html
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宮崎正弘『「中国の時代」は終わった』(海竜社、定価1080円) 
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——高度成長で世界が瞠目し、日本企業も中国進出がめざましかった。しかし中国は経済力をつけるや軍事力増強を背景に横暴にして傲慢となって世界中から嫌われ始めた。米国はアジア・シフトへ移行し、アセアンは反中国で結束した。
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『中国共産党、三年以内に崩壊する!?』(海竜社、1080円)
  ——中国の支配政党の独裁システム崩壊シナリオを七つの視点から予測
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『中国バブル崩壊が始まった』(海竜社、1080円)
——中国のバブル崩壊を予測した先駆作 斯界騒然の話題作! 
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  (上記三冊で「中国終焉シリーズ三部作」です)

<宮崎正弘のロングセラーズ>
『世界から嫌われる中国と韓国。感謝される日本』(徳間書店、1026円)
  http://www.amazon.co.jp/dp/4198637385/
『中国を動かす百人』(双葉社 1620円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4575304875/
『習近平が仕掛ける尖閣戦争』(並木書房、1620円)
http://www.amazon.co.jp/dp/4890632999/

< 宮崎正弘の対談シリーズ >
宮崎正弘 vs 川口マーン惠美
『なぜ、中国人とドイツ人は馬が合うのか?』(ワック、972円)
Http://www.amazon.co.jp/dp/4898316964/
      
『2014年の中国を予測する—中国大陸から次々と逃げ出すヒトとカネ』(ワック)
 石平氏との対談第五弾
http://www.amazon.co.jp/dp/4898316891/
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『2013年後期の中国を予測する』(石平氏との対談第4弾 ワック)
『2013年の中国を予測する』(石平氏との対談第3弾 ワック)
『増長し無限に乱れる欲望大国、中国のいま』(石平氏との第2弾 ワック)
『絶望の大国 中国の真実』(石平氏との対談シリーズ第1弾。ワック)
『猛毒国家に囲まれた日本』(佐藤優氏との対談。海竜社)
『日米安保、五十年』(西部邁氏との対談。海竜社)
『世界が仰天する中国人の野蛮』(黄文雄氏との対談。徳間書店)
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宮崎正弘のホームページ http://miyazaki.xii.jp/
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◆池間哲郎『新聞が教えない感動の日本史』ご紹介。


詳細はこちら↓
http://directlink.jp/tracking/af/693532/M7r8dlZe/


講演回数2900回超日本の素晴らしさを全国で伝え続ける池間哲郎先生が語る学校・テレビ・新聞が教えない感動の日本史。



※注目すべきポイント。


・自分の胸にしまっておくつもりだった真実の歴史。
それを人々に伝えることを池間先生に決意させたのは、あの東日本大震災でした。



・号泣必至の、日本とある国との友情の物語。
欧米の植民地時代に人口が10分の1になってしまったその国で日本が行ったこととは?
それに感謝して今なお続く、その国の親日表現とは。


・20年以上にわたって10億円近くの費用を投じ、ネパール、タイ、カンボジア、ミャンマー、モンゴル、スリランカ、ラオスなどアジア各国で支援活動を続け、貧困地域で暮らす人々とともに汗を流し、その壮絶な過去を分かち合い、多くの人々の命を救ってきた池間先生。



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◆ 平成26年6月16日 第1802号「春田先生の期末テスト」
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  ■世界の名言

   自然界には奇跡などありえないようだ
   みんなあたりまえのことなのだから
   もし一度も花を見たことのない者がいたら
   タンポポでさえ世にも驚きの大事件となることだろう
   ( 作者不明 )
   The miracles of nature do not seem miracles because they are so common.
   If no one had ever seen a flower, even a dandelion would be the most startling event in the world.
   ( Source unknown )


●春田先生の期末テスト

 私は東京オリンピック前年の昭和38年(1963)に都立戸山高校に入学しました。そして1年生のクラスを受けもっていただいたのが、蛾の研究を専門とされていた生物担当の春田俊郎先生でした。

 余談ですが、林望さんが当時の戸山高校の様子を『帰らぬ日遠い昔』という小説に書き残していて、その中に「春田先生のケインズ」という章が設けられています。林さんは、春田先生の生物の授業は、いまから思うと本格的な生物学の入門で、当時目ざましく発達を遂げつつあった、分子生物学の理論的入門をまったく理路整然と、間然するところなく論述していかれた、と記しています。

 さて学年末になって春田先生は、期末試験は教科書、辞書持参可で実施すると発表されました。これは楽勝と思って試験に臨んでみると、出されたテーマはゆいつ「生物とは何ぞや」でした。

 ○×テストの教育にどっぷり浸かった16歳の少年にとって、この哲学的命題はまったく歯の立つものではありません。教科書の第1ページに書いてある「生物は自己再生し、自己増殖する」という文を書き写すのが精一杯でした。

 それから30年以上の歳月が流れたある日のことです。新聞を読んでいたら、ひとりの人間の細胞は約60兆個あり、しかもその細胞はすべて1年以内に入れ替わると書いてあるではないですか。脳細胞も含めてです。もう、びっくりしてしまいました。

 恥ずかしい話ですが、それまで食べたり飲んだりすることは、ちょうど車にガソリンを給油するようにエネルギーを補給することだとずーっと思っていたのです。それが、食べることはエネルギーの補給ではなく、食物を分解してタンパク質をつくり、細胞を構成している古いタンパク質と入れ替わるというのです。目からウロコとは正にこのことでした。

 その頃、たまたま知った仏教説話にこういうのがあります。

   ある旅人が一軒家で一夜を明かすことになりました。夜中に一匹の鬼が人間の死骸をかついで来ました。すぐ後ろにもう一匹の鬼が来て、その死骸は自分のものだと争いますが決着がつきません。そこで二匹の鬼は旅人に判断を仰ぎました。旅人が最初の鬼のものだと言うと、後から来た鬼は怒って旅人の手を体から引き抜きました。
  それを見た先の鬼は死骸の手を抜きとって代わりにつけてくれました。他の鬼はますます怒り、もう一方の腕を引き抜くと、また先に来た鬼が死骸のを取ってつけてくれる。こんなことをどんどんやっているうちに、旅人と死骸の体はすっかり入れ代わってしまいました。二匹の鬼はそうなると争うのをやめ、死骸を半分ずつ食べて行ってしまいました。驚いたのは旅人です。自分の体は鬼に食われてしまったのですから、今生きている自分が、いったいほんとうの自分かどうかわからなくて困ってしまいます。

   旅人は坊さんに相談しました。坊さんはこう説明します。「あなたの体がなくなったのは、何も今に始まったことではないのです。
  いったい、人間のこの『われ』というものは、いろいろの要素が集まって仮にこの世に出来上がっただけのもの、愚かな人達はその『われ』に捉えられいろいろ苦しみもしますが、一度この『われ』といものが、ほんとうはどういうものかということがわかって見れば、そういう苦しみは一度になくなってしまうのです」。

 ここまできて、突然私の頭に「生物とは奇跡そのもの」という言葉が浮かんできました。春田先生の期末テストが甦ったのです。以来どんなに学んでも奇跡は奇跡のままで謎はいっそう深まるばかりです。


■参考文献

『帰らぬ日遠い昔』http://tinyurl.com/y528rl、林望
『ユング心理学と仏教』http://tinyurl.com/y7tfgk、河合隼雄
『もう牛を食べても安心か』http://tinyurl.com/dys4es、福岡伸一


★お勧め情報

▲『プレスコード30について(1)』杉田水脈 AJER2014.4.16(5)
 http://www.youtube.com/watch?v=mhXd6AWRSYM
 ⇒維新の会の杉田水脈議員はプレスコードが現存しているとしか考えられないといいます。

▲【伊藤貫】アメリカと世界はどうなる[桜H26/3/20]
 http://www.youtube.com/watch?v=0NjhNWc_p-E
 ⇒アメリカは日本から自主防衛能力を永遠に剥奪しておきたい!

▲The Fake of Nanking Massacre 1(南京大虐殺の嘘 1)
 http://tinyurl.com/k83y732
 The Fake of Nanking Massacre-2(南京大虐殺の嘘-2)
 http://www.youtube.com/watch?v=VpvHB2zDjEo
 ⇒大虐殺などなかった! 百聞は一見に如かず

▲『セックスと嘘と従軍慰安婦』http://tinyurl.com/b9q6bsz
 ⇒慰安婦問題の虚偽を粉砕する!【 拡散希望 】


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■第1212話 国宝金印の「謎」(1/3)

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 今回は以下のメールマガジンに掲載された内容の転載です。

  メイル・マガジン「頂門の一針」3330号 2014(平成26)年6月9日(月)

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━━━━━━━━         
国宝金印の「謎」
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  毛馬 一三

 国宝の漢委奴国金印「王印(かんのわのなのこくおういん)」には、子供のころから「謎」の思いがある。

 福岡に帰郷出来た時、まだ見たことのない「金印」をお目に掛かかり「謎」に迫ろうという思いがあった。


 国宝「金印」の出土から今日までの経緯を記すと、下記のようだ。

 <天明4年2月23日(1784年4月12日)、筑前国那珂郡志賀島村(現福岡市東区志賀島)南端・叶ノ浜の「叶崎」で出土。

 発見したのは甚兵衛という地元の百姓である。

 ところが近年の研究では発見者は秀治・喜平という百姓で、甚兵衛はそれを那珂郡奉行に提出した人物だとうという説が有力。

 水田の耕作中に偶然発見したとされる。

 一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。

 那珂郡奉行から福岡藩へと渡り、儒学者亀井南冥によって「後漢書」に記された金印であるとされた。

 その後、この「金印」の「委」は「倭」の省略形で、中国史書「後漢書」(東夷伝の倭伝)に「後漢の光武帝が建武中元2年(57年)に朝貢した倭奴国に印綬を下賜した」と記されており、この印綬が「漢委奴国王」印であることが確定した。

 出土した後は、福岡藩主黒田家に伝えられ、明治維新後に黒田家が東京へ移った後は、東京国立博物館に寄託され、その後は福岡市美術館の開設に際して1978年(昭和53年)に福岡市に寄贈された。

 最初は、1979年(昭和54年)から福岡市美術館で展示され、1990年(平成2年)からは、福岡市博物館で保管・展示されてきた>。参考ウィキペディア


 さてここからが本題。

 「金印」出土した場所は「志賀島」の南端・叶ノ浜の「叶崎」。

 そこは、福岡市内の辺鄙な処にある。

 JR香椎線(地方交通線)の西戸崎前から「海の中道」を経由して志賀島へ渡り、島の南側を行くと「金印公園」に至る。

 私は小学生の頃、父に連れられて博多築港から遊覧船で志賀島に渡った。

 「金印」の出土現物を見る旅行だった。

 その時は「金印」が出土した現場の叶ノ浜の「叶崎」を見られて本当に感動した。


(次回へ続く)


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■ 歴史好きの素人が語る歴史(第1212号)(2014年06月16日号)

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・ 作者は、中澤勇二(台湾名 陳澤民)です。

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中国の暴虐を「世界記憶遺産」に登録しよう
 
 中国が日本軍による「南京大虐殺」という、実際にはなかったことをユネスコの「世界記憶遺産」に登録しようとしている、というニュースを聞きました。またか、と不快に思った方も多いと思います。それにしても、この「世界記憶遺産」って何なんだろう? と思って調べてみました。
ユネスコの「世界記憶遺産」は損失や破損の危機にある文化的価値のある文書や書物をデータ化して保存しようというものだそうです。これまで世界各国から申請のあったさまざまな文書や資料が登録されています。例えばアンネ・フランクが書いた『アンネの日記』、アンデルセンの原稿や手紙、ベートーヴェン「第九」の直筆の楽譜、ゲーテの直筆原稿、グーテンベルク聖書、などなどです。しかし、実在しなかった「南京大虐殺」を証明する資料ってあるのでしょうか? 架空のものでも「世界記憶遺産」に登録してしまえば実在したことになる、という発想にはいつものことながら驚かされます。日本人には絶対にない発想です。
 形のないものでも登録できるのなら、日本も中国による「天安門事件」を「世界記憶遺産」に登録しよう、という運動をしたらどうでしょうか? 1989年6月4日、勃発した「天安門事件」では一体何人の中国人学生や一般人が殺されたのか、未だに中国政府は発表していません。外国人ではなく自国の国民を残虐無比に殺した事件として人類共通の記憶に登録したらどうでしょうか?
 もし韓国が「慰安婦の強制連行」を「世界記憶遺産」に登録しよう、という動きを見せたら日本は「ライタイハン」を登録するように申請したら良いのではないか、と思います。ベトナム戦争の時に韓国軍がベトナム人女性を強姦して、生ませた子供のことをベトナムでは「ライタイハン」と呼びます。「ライ」=混血、タイハン=大韓、という意味です。「ライタイハン」の数は正確には分かりませんが、おそらく3万人はいるだろう、と言われています。3万人の混血児が生まれる、ということはどれほど多くのベトナム人女性を韓国軍は強姦したのでしょうか? 生まれた時から父親のいない彼らは「韓国人との混血児」ということでベトナムで差別されているそうです。これも人類共通の記憶としてとどめるべきことではないでしょうか?
 「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。自分のやったことを棚に上げて人を呪えば、それはいつか必ず自分に返ってきます。日本政府や外務省は中国や韓国の暴虐を「世界記憶遺産」に登録すべく、申請運動をするべきだと思います。
 
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日本は国連を脱退すべき
 
 先日、知り合いの男性が「慰安婦っていうのはお金をもらっていたんだよね?」と私に聞いたので「あぁ、良かった~」とホッとしました。ようやく日本の中で「慰安婦=売春婦」という当たり前の事実が浸透してきたようです。しかし、国内では真実が徐々に伝わりつつありますが海外(主に欧米)では韓国(バックに中国、北朝鮮がいます)のロビー活動に完全に負けています。特に問題なのは国連です。
 衛星テレビ局「日本文化チャンネル桜」で「提出間際! 国連の「慰安婦報告」への反論を急げ」という番組をやってくれましたので、是非こちらをご覧頂きたいのです。これを見ると国連を舞台にした情報戦争がいかに激しいものであるか、がおわかり頂けると思います。
http://www.youtube.com/watch?v=DIZIkFcMlwk
 国連というと、まだ多くの人が「公平・中立な国際紛争を解決する機関」とか「平和のために活動している正義の機関」と思い込んでいます(思い込まされています)。しかし、国連の実態はそんなものではなく、ごく一部の大国が牛耳る、国益が熾烈に衝突する場に過ぎません。そして、わが国はアメリカに次ぐ世界第二の巨額な分担金を払わされながら、「日本は慰安婦を強制連行して性奴隷にした邪悪な国」という、韓国の嘘を信じた国連によってなんと! 「慰安婦問題に日本政府は真剣に向き合いなさい」と勧告されているのです。
 国連の安全保障理事会の常任理事国はどこか、知っていますか? アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の5ヶ国です。では、この中で第二次世界大戦でわが国が負けた国はどこでしょうか? そう、アメリカだけですよね。残りの国は戦勝国とは言えません。少なくとも日本はイギリス、フランスには完全に勝っていたし、中国共産党は第二次世界大戦に参戦すらしていません。それなのにこの5ヶ国だけが拒否権を持っています。5ヶ国のうちのどこか1ヶ国が拒否権を使えば、国連はもう何も決められません。実際には国連は国際紛争を解決できない仕組みになっているのです。
 いま、慰安婦=性奴隷という嘘が国際社会では「常識」のように語られていますが、この「性奴隷(sex slave)」という言葉を広めたのはなんと! 日本人です。戸塚悦郎という弁護士です 戸塚悦郎はNGO「国際教育開発」代表だそうですが、この人が1992年、国連の人権委員会に「慰安婦問題を取り上げるように」執拗に要請したのです。1992年といえば「河野談話」が出る1年前です。日本人がそう言っているのだから事実なんだろう、と外国人が信じてしまうのは当たり前です。韓国と中国はもう20年以上前から国連で日本人を使ってロビー活動を繰り広げていたのです。それに対してわが国の政府や外務省は何もしてきませんでした。
 日本は国連の分担金の約20%も負担しながら、未だに第二次世界大戦における連合国の「敵国」扱いです。国益にもプラスにならないのですから、いい加減、国連から脱退したらどうでしょうか?
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☆★☆★☆★☆★☆★
日本の心を伝える会
メールマガジン2
  No.009
  2014/6/10
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  【転送歓迎】
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こんにちは。
日本の心をつたえる会です。

☆゜:*:゜☆゜:*:゜☆゜

『ねずさんの 昔も今もすごいぞ日本人!
第二巻
「和」と「結い」の心と対等意識』

2014/04/12 発売
ISBN: 978-4-434-18995-1
Cコード:C0021 
本体価格:1350円+税 
判型:四六 
著者:小名木善行 
出版社:彩雲出版

☆゜:*:゜☆゜:*:゜☆゜


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軍用犬利根
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私がまだ学生だった頃、先生から「戦時中の教科書では、犬まで利用して軍国主義をあおっていた」という話を聞いたことがあります。
酷い話だなあと、クラスの誰もが思いました。いまから、40年も昔のことです。

実際には、私たちは戦後の教科書を使っていたわけですから、戦時中の教科書に何が書かれてあったのか、その時点では知りません。
しらないから、教師からそう教われば、単純に「そうなんだ」と思い込む。

けれど、社会人となってだいぶ経ったとき、実際に戦時中の教科書で語られた、その「犬」の物語を読む機会がありました。
それは、戦時中の小学3年生の教科書に掲載されていた物語でした。

一読して、このどこが軍国教育なのか?と不思議に思いました。
思っただけでなく、その物語に、ものすごく感動しました。
それは、動物を愛する「心の物語」だったからです。

ちょっとみなさんに、その物語をご紹介します。

======
軍犬利根


シェパードで軍用犬の利根は、小さい時、文子さんの家で育てられました。
文子さんがちょうど小学三年生になったころ、お父さんが、おじさんの家からまだ生後まもない子犬をもらってきたのです。

子犬の親は軍用犬で、戦地で働いていました。
お父さんは、子犬に「利根(とね)」という名前をつけました。
家の近くを流れている利根川からつけた名前です。
堂々とした大河のような、そして日本を代表するような立派な軍用犬に育ってほしいとの願いからでした。

文子さんの家は、みんな犬が大好きでした。
文子さんは、とても利根を可愛がり、朝夕、体の毛をすいたり、布でからだを拭いてやったりしました。
散歩にも毎日、連れ出しました。
食べ物にもよく気をつけて、間食などは、できるだけさせないようにしました。
おかげで利根は、子犬がよくかかる病気にもならず、すくすくと育ちました。

利根はかしこい犬でした。
文子さんに教えられると、「おあづけ」も「おすわり」も、すぐに覚えました。
文子さんは、利根がどこへでもついてくるので、可愛くてたまりませんでした。
ただ、学校に行くときに、なんべん追い返しても、あとからついてくるのには困りました。

文子さんはおじさんに聞いて、利根に「まて」を教えました。
子犬ですから、これはなかなか覚えませんでしたが、決して叱ったり、叩いたりしないで、少しでもできると、頭をなでてほめてやりました。

のちには、文子さんが学校へ行くときに、とんできても、
「すわれ」「待て」
といいますと、行儀よく座ってお見送りをするようになりました。

こうして、その年の秋も過ぎ、冬の初めになりますと、利根は、もう子犬ではありませんでした。
近所の、どの犬よりも大きく見えました。
小学三年生の文子さんが連れて歩いているのに、向こうから来る人は、大人でも、遠くからよけて通るほど強そうな犬になりました。

お正月がくるとまもなく、文子さんが願っていたように、利根は、軍隊の軍犬班にはいることになりました。

出発の前の晩、文子さんは、利根にたくさんのごちそうをしてやりました。
自分の育てた犬が、いよいよ軍犬になるのだと思うと、嬉しくてたまりませんが、別れるのは、ほんとうにつらいと思いました。

文子さんは、日の丸の小さな旗を作って、利根の首につけ、寒い日の朝、おかあさんといっしょに、停車場まで見送ってやりました。


それからのち、利根の係の兵隊さんから、ときどき、利根の様子を知らせてきました。
文子さんも、手紙を出しました。

文子さんが、四年生になった秋のころ、兵隊さんから、次のような手紙が来ました。
======
利根は、たいそうりっぱな軍犬になりました。
高い障害をわけなく飛び超えます。
腹を地につけて、ふせをしたり、川を泳いで渡ったり、遠くにかくしてある手ぶくろを、すばやくさがしあてたりします。
もう、軍犬のすることは、どの犬にも負けないで立派にやりとげます。
あなたから手紙が来ると、それを利根に見せてやります。
利根は、なつかしそうに、においをかぎながら目の色をかえて喜びます。
あなたが、可愛がっていられたのと同じ気持ちで、私も利根を一生懸命で育てています。
どうぞ、安心してください。
======

三 
それから半年ほど経って、ちょうど文子さんが五年生になったころ、利根は、勇ましく北支那へ出征しました。
利口な利根は、戦場で、敵のいるところを探しあてたり、夜、ふいに近寄ろうとする敵の見張りをしたり、隊と隊との間のお使いをしたり、何をさせてもすばらしい働きをしました。

そのうちに、利根の付いている部隊は、何倍という敵を相手に、激しく戦う時がきました。
味方の第一線は、敵前わずか50メートルというところまで迫って、塹壕の中から、敵を攻撃しましたが、敵は多数で、弾は雨あられのように飛んできます。

味方はそのままで、一週間もがんばりつづけましたが、その間、第一線と本部との間をお使いするものは、軍犬利根でした。

利根は、毎日、五回も六回も、この間を行ったりきたりしました。
首輪の袋に、通信を入れてもらって、
「行け」
と言われるが早いか、どんなに激しく弾が飛んで来る中でも、勢いよく駆け出しました。

後には、敵が利根の姿を見つけて弾を浴びせかけます。
それでも利根は、弾の下をくぐるように抜けて走り続けました。
係の兵隊さんはもちろん、みんなの兵隊さんが、利根のこうした働きを見て涙を流すほどでした。

いよいよ我が軍が、敵の陣地に突撃する日が来ました。
午前五時、まだ、辺りは薄暗いころ、利根は、最後の通信を首にして、
「行け」
の命令とともに、走り出しました。

敵の弾が、うなりをたてて飛んできます。
利根は、ひた走りに走りました。

本部では、利根の係の兵隊さんが、今にも、利根が来るだろうと思って、待っていました。
すると、向こうのコウリャンのあぜ道間に、利根の姿が見えました。
「ようし、来い、利根」と、兵隊さんは呼びました。
利根は、もう百メートルで、本部というところへさしかかりました。

丁度そのとき、敵の弾がばらばらと飛んで来ました。
利根は、ぱったりと倒れました。

「ようし、来い、利根。ようし、来い、利根」と、係の兵隊さんは、気が狂ったように呼び続けました。

この声が通じたのか、利根は、むっくりと立ちあがりました。
しかし、もう走る力がありません。
係の兵隊さんは、敵の弾が飛んで来るのも構わず、這うように駆け出して利根の体をしっかりと抱きかかえました。

一時間ばかりの後、我が軍は、勇ましく敵に突撃して、到頭その陣地を占領しました。


利根の手柄は、係の兵隊さんから、詳しく文子さんに知らせて来ました。
そうしてお終いに、
「利根は、足をやられただけですから、まもなく、良くなることと思います。利根は、そのうち、きっと甲号功章を、いただくにちがいありません」と書いてありました。

この手紙を見て、文子さんは、
「まあ、利根が!」
と言ったまま、突っ伏して泣いてしまいました。

「利根は偉い、感心なや奴だ」と、お父さん涙を流しながら、お喜びになりました。
=======

お話は以上です。
みなさん、いかがでしょう。
上にご紹介した物語が、軍犬利根の物語として、実際に小学校三年生の教科書に書かれていた物語です。
読みやすいように、現代仮名遣いに直しましたが、文脈はその教科書のままです。

ここに書かれている主題は、文子さんと軍犬利根の愛、そしてその利根を引き取った軍用犬係の兵隊さんと利根の愛、そしてその係の軍人さんの、里親として育ててくれた文子さんを気遣うやさしい心なのではないでしょうか。

まさにこの物語は、動物と人との愛とやさしさがテーマなのであって、物語のどこにも、軍国主義をあおるような記述などありません。
むしろ、戦地に関しては、敵弾が飛んで来るたいへん危険でおそろしく、厳しい場所としての描写がなされているのではないでしょうか。

大東亜戦争では、多くの人々が亡くなりましたが、同時に軍馬が20万頭、軍犬も1万頭以上が戦地で活躍し、命を失いました。
いま靖国神社に行きますと、遊就館の前の広場に「戦没軍馬慰霊」「鳩魂塔」と並んで、「軍犬慰霊像」があります。
これは、戦地で命を失った馬や犬の御霊を慰めるために建てられたものです。

世界の戦争で、多くの動物たちの命が犠牲になりました。
けれど、軍人墓地などの施設で、軍馬や軍用犬などへの感謝の思いを慰霊碑にまでしている国というのは、そう多くはありません。

愛知県の三ケ根山の慰霊碑の中にも、こうした愛馬や軍用犬の慰霊碑がありました。
管理人の伊藤さんから伺った話ですが、戦争が終わり、武装解除して、全員が内地に帰還するということになったとき、支那の軍部は、軍馬や軍用犬は、すべて置いて行け、と高圧的に命令したそうです。

置いて行けば、馬や犬たちがどうなるのか。
これは、あえて聞くまでもないことでした。
何でも食べる支那人たちは、彼らをものの一ヶ月としないうちに、みんな殺して食べてしまう。

いよいよお別れというとき、馬や犬たちが、日本の兵隊さんのところにやってきて、袖口をくわえて放さなかったそうです。
そしてあの可愛がっていた馬や犬たちが、目にいっぱい涙を浮かべていたそうです。

馬でも犬でも、ほんとうに悲しいときは、人間と同じように涙を流すといいます。
「それって、ほんとうのことだったんですね」
実際に、戦地にそのお別れを体験した軍馬、軍犬の係だったかつての兵隊さんたちが、伊藤さんに、そのように語られたそうです。

靖国の軍馬、軍犬の慰霊碑をみると、その犬や馬が、とても立派で凛々しい像になっています。
その像をじっと見ていると、なにやら、馬や犬たちが、「私たちのこと、忘れないでね」と語りかけて来るような気がします。

私たちが決して忘れてはならない歴史が、ここにもある。

どうかみなさんも、靖国神社や三ケ根山、あるいは護国神社に行き、そこで戦没軍馬や、軍犬の慰霊像をみかけたら、是非、手を合わせてやっていただきたい。
そう思います。



回回回回回回回回回
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回回回回回回回回回

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【楠木正成の統率力4】勇臆・老若に応じて人を用いる  


             家村和幸


こんにちは。日本兵法研究会会長の家村です。

 『太平記秘伝理尽鈔』の巻第一には、最初に『太平記』という書物の名称の変遷が記されています。この書は、名を改めることがこれまでに四度あったといいます。

 最初の名は、『安危来由記』でした。
その意味は、古今の世の安定と危機の移り変わりを記して、後世の戒めとするということです。

 二番目の名は、『国家治乱記』でした。
この書を読んで理解すれば、大にしては国の治乱を思い、小にしては御家の治乱を思うということから名づけられました。

 三番目の名は、『国家太平記』でした。
国家の意味するところは、前の書名と同じです。太平というのは、戦乱の治まりつつある当代を賀し奉ろうとの願いからでした。

南朝の正平(1346~70)年間の筆者がこのように称しました。また、
太平の部分は北朝の延文(1356~61)年間頃に改めて号したとも云われています。

 四番目の名は、『天下太平記』でした。
応安元(1386)年、細川武蔵入道頼之(北朝の政治指導者)が「この書の名は、南朝の治乱等の号を捨て、当代を賀し奉ろうというのであれば、どうして国家というのか。

(南・北朝で)同じく天下太平こそが望ましいのではないか」と述べたことから、当時の学才の人等が『天下太平記』と名づけたのでした。

 その頃、京都の住人は、「天下太平と改名してからは、南朝は威を失い、天下の朝敵は自ずから亡びて、実に天下太平になったのだなあ」などと勝手に噂したのですが、これは好ましくないことでした。

天下の治乱とこの書名の善し悪しは、何ら関係がないのです。真実は、武蔵入道が聖賢の道を修得し、無欲に天下の政道を相量り、無私の精神に徹したがゆえに、四海が日を追うごとに豊かになったのでした。

 それで、いつしか『太平記』とだけ、呼ばれるようになったのでした。

 それでは、本題に入りましょう。


【第4回】勇臆・老若に応じて人を用いる


▽ 世に三つの勇者あり

 およそ世に三つの勇者がある。一つには、生得の勇者、二つには、血気の勇者、三つには、仁義の勇者である。

 先ず、生得の勇者とは、生まれつきのものであり、恐ろしい事を知らず、する事をも顧みない者がいる。心が健やかであるだけで、遠く慮ることができない。

 また、血気の勇者とは、生まれつき勝れて勇気があることもない。また、あながち臆病だということもない人である。

そうではあっても、腹を立てて怒る時か、または、人に頼まれると即座に受け易く、また、主人に言葉をかけられなどして、何につけても血気に乗り、上がっている時に、勇気が涌いてくるならば、炎の中や深い水底へも入り、鬼神をも恐れず、剛をなす類である。時が過ぎれば、その勇は少しも無く、人を恐れる気持ちさえあるのだ。

 さらに、仁義の勇者とは、常に事を慎み、行いに失がないだろうかと省み、一命の重きことを思量して、周りの人への礼を厚くし、和を施し、事の切なるに臨んでは、全てを受け容れて遁れず、勇敢に死する者を云う。

(以上、「太平記秘伝理尽鈔巻第六楠天王寺に出張の事付隅田・高橋並宇都宮事」より)


▽ 正成、兵士の勇臆について語る

(以下、終わりまで「太平記秘伝理尽鈔巻第三笠置軍事付陶山・小見山夜討の事」より)

 その昔、楠木正成は息子たちに次のように語りかけた。

 兵士たちの心中をおもんばかって、それらに応じて命令せよ。臆した者には、敵が必ず亡びるのだと説け。こちらが身命を捨てるのだということは説いてはならない。

勇の過ぎる者には、小さな事に軽々しく命を捨てるのは道理に反している。あくまでも、義によって(命を)軽くせよ、と説け。

勇の過ぎる者というのは、生得(生まれもって)の勇者とは違って、ただ死にさえすればよいと思っている者だからである。


▽ 血気の勇者と仁義の勇者

 血気の勇者ということがある。血気とは、向こう見ずな意気である。常日頃は勇気が無いが、怒ると勇気が出てきて、死を顧みない者がいる。
また、人に褒められると俄(にわ)かに勇気が出てきて、炎(ほのお)の中へも入る者がいる。

 人から「頼むぞ」と云われると動じやすく、心変わりしやすい。また、年来の重恩を忘れて、当面の親しさに意を寄せる。

そういう人間は、自分の父母には不孝であって、親しい人に付いて自分以外の父母に意を寄せ、君主の命に背いて、仲間にだけ意を寄せ、兄弟を離れ、他人に親しみ、重恩を捨て、少々の恨みにこだわり、かつての大恩を忘れて、今の小恩に付くのである。

このような行跡(ふるまい)は、全て血気の勇者である。これらに対しては、常に血気ということを語って教え、義に付くことを奨励するようにせよ。

 また、仁義の勇者ということがある。道理をわきまえて実行し、国の為に命を捨てることを喜びとすることから仁という。義によって身命を捨てることから義と呼ばれるのである。

 仁義・生得・血気の三つは、どれもが兵士の中に存在するのである。


▽ 臆病者には「決死」と言うな

 これら以外に、臆病というのがあるので知っておけ。将軍が戦場で死すべきことについて言及したならば、仁義・生得の二つの勇者であれば、益々勇気がわいてくるものである。しかし、血気の勇者は一往勇むことがあっても、時日が移れば勇気も消えうせるものである。

 臆している兵士は、将軍が決死の覚悟を固めたのを見て、死を恐れて逃げ散るものである。
臆病な兵士が散ってしまえば、血気の者もまた臆病になるのである。

 この世の中には臆病が多く、血気すらまれである。生得の勇者はさらにまれであって、仁義の勇者などはほとんどいない。

このため、ことが急を要するような場面に及んで、将軍と死をともにしようと思う者は少なく、一身を立てようと欲するものは多い。世の常の合戦では、将軍は決して死のうなどと軽々しく言わないものだ。


▽ 十死一生の合戦

 ところが、「十死一生の合戦」と言うものもある。

 例えば、兵力において味方が弱く敵が十倍の強さである。それだけではなく、敵に従う兵は日々に増えていき、味方は夜毎に劣勢になり、周辺の国の援助も得られない。このような状況であれば、合戦を急げ。

しかも、通常のような戦い方では、勝つことはできない。大河を後ろにして退くこともままならないようにして、討死を覚悟した上で、敵の堅い陣地を突破せよ。

 生きる望みは一つ、死は九つ。このことから十死一生というのだぞ。生きようと欲すれば死す。
死のうと覚悟すれば生きるのだぞ。軍の大事とはただこのことである。

 正成は息子たちにこのように教えたのであった。


▽ 笠置山を落城させた陶山・小見山の夜討ち

 『太平記』によれば、元弘元(1331)年8月、後醍醐天皇が笠置山に遷幸されると、六波羅探題は七万余騎の軍勢で笠置山を囲んでこれを攻めた。

しかし、笠置山は、西国の軍勢が数万騎で数日間攻めても落ちなかった。笠置勢三千余騎は、足助重範らが奮戦して六波羅軍を悩ませた。

 そうしているうちに、畿内・西国に宮方に与しての挙兵がおこり始めた。急いでこの城を落とさなければ、諸国に六波羅軍の敵が多く出てくるのは疑いなかった。

 やがて鎌倉から東国の軍勢が援軍として上ってきた。しかし、東国の大将には智謀が無い。力攻めだけでは笠置山は落とせないだろう。

 そこで、六波羅軍の陶山と小見山は、9月30日夜、わずかな手勢で笠置山を襲撃した。
陶山は手勢五十余人を率いて、笠置の城の北側の断崖絶壁に回りこみ、崖をよじ登って城内に突入した。

兵力が足りない笠置勢は、北側の入り口付近の地形が険しいことを頼みとして、そこには兵士を置いていなかった。
これにより、官軍側は奇襲され、笠置山は落城した。

 夜討ちの日、陶山は死装束に曼荼羅を書き付けて、郎従たちに十死一生の覚悟を示したのであった。


▽ 山城の守備・新田義貞と楠木正成の問答

 世の中が鎮まって後、新田義貞が楠木正成に対して、雑談のついでに質問した。

 「笠置の城が攻め落とされたことは、寄手(攻撃側の兵士)の勇が優れていたからではない。陶山の智謀と勇が秀でていたからである。

今後もこのような険阻な場所を、優れた兵をもって警固するのは適切ではない。楠木殿は、どう思われるか。」

 そこで、正成が云うには、

 「医師が病気を防ぐのに薬をもってするように為せばよいのです。山城の険しい箇所であれば、敵も必ず忍びを入れるでしょう。

なぜならば、地形の険しさを頼んで、警固の兵士を置かないからです。また、警固の兵も、険しい地形であることに安心して守るのに怠りがあるからです。

 ただし、私の考えるところをお尋ねになられたので、簡単に申し上げたのですが、その意味を奥に残すようであれば、かえって人並みにえらぶっているように思われるでしょうから、さらに説明いたしましょう。


▽ 老兵の特性を活かして用いる

 四十歳以上の老兵を以て、険しい箇所を昼夜にわたり守らせるのがよいと思います。

 その理由は、人は四十歳以前は若くして眠りがちですが、四十歳以後は眠ることが少ない。険しい地形であれば、敵も必ず、夜討ちや忍びを考えるでありましょう。

白昼に攻めるようなことはしないものです。
このような場合の守備は、眠らないことに勝るものはありません。

 また、老兵は積んできた経験も豊富です。
さらに、老兵はあらゆることによく心がけるものでもあります。

 したがって、険しい地形であっても敵が攻めよせて来るかもしれない場所には、四十歳以下の若者たちに少々の老兵をそれぞれ加えて編成するのです。

老いて武功も無く、若い時には強弓と云われた者でも、四十歳以降は次第に弱くなるものです。
かけ引き・歩行・力業(ちからわざ)、これらは皆、二十四、五から三十七、八までを盛りとするものです。

 このような分別なく、兵を配置されるようであれば、闇将でしかありません」とのことであった。

 義貞は深く心を打たれたのであった。


(「勇臆・老若に応じて人を用いる」終り)


(以下次号)


(いえむら・かずゆき)

いただく声が、次回の連載を書くエネルギーになっています。
あなたのご意見・ご感想を、ぜひ聞きたいです。
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▼バックナンバーはこちら
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● 著者略歴

家村和幸 (いえむら かずゆき)
1961年神奈川県生まれ。元陸上自衛官(二等陸佐)。
昭和36年神奈川県生まれ。聖光学院高等学校卒業後、昭和55年、二等陸士で入隊、第10普通科連隊にて陸士長まで小銃手として奉職。昭和57年、防衛大学校に入学、国際関係論を専攻。卒業後は第72戦車連隊にて戦車小隊長、情報幹部、運用訓練幹部を拝命。
その後、指揮幕僚課程、中部方面総監部兵站幕僚、戦車中隊長、陸上幕僚監部留学担当幕僚、第6偵察隊長、幹部学校選抜試験班長、同校戦術教官、研究本部教育訓練担当研究員を歴任し、平成22年10月退官。

現在、日本兵法研究会会長。

http://heiho-ken.sakura.ne.jp/


著書に

『真実の日本戦史』
⇒ http://tinyurl.com/3mlvdje

『名将に学ぶ 世界の戦術』
⇒ http://tinyurl.com/3fvjmab

『真実の「日本戦史」戦国武将編』
⇒ http://tinyurl.com/27nvd65

『闘戦経(とうせんきょう)─武士道精神の原点を読み解く─』
⇒ http://tinyurl.com/6s4cgv/



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    『三橋貴明の「新」日本経済新聞』

     2014/06/15



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From 三橋貴明


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●●月刊三橋がCDで聴けるようになりました!
http://www.keieikagakupub.com/sp/CPK_38CDNEWS_C_2980/index.php


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【近況】
雨が降っているので、傘を用意するとカラリと晴れ、空が晴れ渡っているので油断していると、いきなり豪雨に見舞われる。梅雨の季節がやって参りました。

日本のメディアではあまり報道されていませんが、現在、イラクが大変なことになっています。アルカイダ系組織の流れをくむと言われるイスラム教スンニ派のISIL(イラク・レバントのイスラム国。ISISと表記するケースもあります)が北部より進撃し、イラク第二の都市モスルを制圧してしまいました。すでに、イラク北部はISILの支配下にあり、現在はバクダッドが危機に瀕しています。

昨年、オバマ大統領が「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言し、自ら引いたシリアのレッドライン(軍事介入に踏み切る限界線)も守りませんでした。シリアに続き、中東ではイラク、さらにはウクライナ、南シナ海、東シナ海と、世界各地で緊張が高まってきています。

アメリカのNYタイムズ紙は、オバマ大統領がマリキ・イラク首相からのISILに対する攻撃要請を拒否したと伝えています。まさに、覇権国家のパワーが縮小するG0.5の世界が、次第に「Gゼロの世界」に近づいているのが感じられるわけでございます。

ならば、どうするべきなのか。について、日本国民は真剣に考える必要があると思うのです。

◆一般参加可能な講演・イベント
明日 6月16日(月) 『G0.5の世界』 (日本文芸社) 刊行記念 三橋貴明講演会・サイン会 19時より八重洲ブックセンターにて 
http://www.yaesu-book.co.jp/events/talk/3927/

※電話で事前申し込みする必要があるそうでございます。よろしくお願いいたします。

7月6日(日) 雑誌「正論」トークセッション「日本を移民国家にしてよいのか」13時~ ホテルグランドヒル市ヶ谷
http://members3.jcom.home.ne.jp/takaaki.mitsuhashi/data_46.html#Seiron

◆渡邉哲也氏との対談本、日本ビジネス社「仁義なき世界経済の不都合な真実」が発売開始になりました。
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6月21日(土) テレビ大阪「たかじんnoマネー」に出演します。(予定)
http://www.tv-osaka.co.jp/ip4/takajin/

6月13日(土) チャンネル桜「報道ワイド日本ウィークエンド」に出演しました。
【お知らせ】NHK連続抗議行動、6.20移民関連法反対・尖閣隔離政策抗議国民行動[桜H26/6/13] http://youtu.be/WqYGkySkYLg
【デフレ促進】外国人労働者受け入れと法人税減税の背景にあるもの[桜H26/6/13] http://youtu.be/84ypKytpcCk
【明るい経済教室】無策のススメ、日本の強みを活かした経済再生へ[桜H26/6/13] http://youtu.be/wsFT-4kYwm4

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『人口と経済成長1』三橋貴明 AJER2014.6.10(3)
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行き過ぎたグローバル化が韓国国民にもたらしたものとは?
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■■ Japan On the Globe(853) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

国史百景(8): 木村摂津守とサンフランシスコの人々

 咸臨丸でやってきた木村摂津守の礼節・謙譲あふれる言動はサンフランシスコの人々に感銘を与えた。
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■1.咸臨丸、サンフランシスコ到着

 安政7(1860)年2月26日、咸臨丸が37日間の太平洋横断を無事に終えて、サンフランシスコ湾に入った。船から眺めると、東洋の神秘の国・日本から初めてやってきた船を一目見ようと集まった群衆がアリのように見える。

 2年前の安政5(1858)年6月19日、品川沖のアメリカ軍艦ポーハタン号上で日米修好通商条約が調印されたが、その際に日本側は、条約の批准書交換をワシントンで行うことを提案した。そして正使はポーハタン号で送り迎えして貰う事になったのだが、副使は日本で別の船を仕立てて送り出すことにした。それが咸臨丸だった。

 日本側としては、調印を日本でやったのだから、批准書交換はアメリカで、それも副使用とはいえ独自の船を出す、という形で対等の独立国としての対面を保とうとしたのだった。現代日本とはまったく違った「武士の面目」を、当時の日本は持っていた。


■2.「いきなり太平洋横断ができるわけがない」

 咸臨丸派遣には、もうひとつ重要な狙いがあった。独立維持のため強力な海軍を育てようと、幕府は安政2(1855)年に長崎海軍伝習所を作り、オランダ人教官を招いて乗員養成に努めていたが、航海練習は日本近海での経験しかなかった。そこで、この米国への使節派遣という絶好の機会を捉えて、外洋航海の経験を積もうとしたのである。

 しかし、当時はアメリカ軍艦でも太平洋を横断するのは難事であった。ペリーの黒船艦隊にしても、大西洋を渡り、アフリカ南端の喜望峰を巡り、インド洋を経て、日本にやってきていたのである。このコースなら、相当部分を港を伝いながら陸地沿いに進める。

 太平洋横断は米商船が年に1、2回行っているだけで、軍艦の航行はほとんどなかった。日本近海しか航行したことのない日本軍艦がいきなり太平洋横断を目指すのは、無謀ともいえる企てだった。

 米国への日本船派遣は、海軍創設に尽くしてきた軍艦奉行・水野忠徳ら開明派官僚たちが提案したのだが、老中側は、伝習わずか3年も経たない未熟な腕で、いきなり太平洋横断ができるわけがない、と一度は却下された。

 それを水野らは「できる」と強引に押し切って、正式決定に持ち込んだのだった。日本国の名誉だけではなく、日本海軍の将来がこの太平洋横断にかかっていた。


■3.起死回生のラスト・ホープ

 咸臨丸に乗り組む副使として任命されたのが、水野の後任として軍艦奉行に任じられた木村摂津守(せっつのかみ)良毅(よしたけ)であった。木村家は旗本の家柄ながら、将軍の命により、砂糖や朝鮮人参の栽培・販売などに代々、功績があり、そこで育った良毅は農民や商人、職人たちとも交わり、広い視野を養っていたようだ。

 また、当時は30歳にも届かない青年であったが、長崎海軍伝習所の取締も3年間、勤めていた。当時、反動派の井伊直弼(なおすけ)が大老となり、開明派官僚を次々と左遷・追放し、また長崎海軍伝習所も閉鎖したが、木村は家柄の良さと温厚な人柄のゆえか、その反動の嵐には巻き込まれていなかった。

 咸臨丸の太平洋横断は、虫の息となっていた日本海軍の起死回生のチャンスであり、それを任された木村こそ海軍育成を志す人々のラスト・ホープであった。

 軍艦奉行を命ぜられる準備段階として、その2ヶ月前に任じられた「軍艦奉行並」の格は高くなかったが、木村は「海軍の事は当今国家の最大急務にして、余は初めより専心是事に微力を尽くさんとの素志にあれば、毫(ごう)も不足を感ぜず」と言い切っている。


■4.木村の判断

 木村がもっとも苦心したのは、乗組員の選定であった。海軍伝習所の教監・勝安芳(海舟)を艦長とし、優秀な伝習生を選ぶことは当然の処置であった。しかし、木村は、同時に老中を通じてアメリカ公使ハリスに適当な案内者を依頼した。本格的な外洋航海を通じて人員を育てるには、良き指導者がいるとも考えたのだろう。

 ハリスは海軍大尉ジョン・マーサ-・ブルックを推薦してきた。ブルックは15歳で米海軍に入り、当時33歳のベテラン士官であるばかりでなく、太平洋を2回も横断した米海軍随一の経験者だった。木村と勝はブルックを面接して、その人物、技量を見込んだ。

 ブルック大尉はベテラン水兵を中心に10人を引き連れて咸臨丸に乗り込むことになった。日本人だけで航海を、と意気込んでいた乗組員たちは、当初、余計なお世話と反発していた。

 しかし、咸臨丸が太平洋に乗り出した途端に、ブルック自身が「こんな時化(しけ)には会ったことがない」というほどの暴風雨に襲われた時も、彼は冷静に指揮を執り、ベテラン水兵達が真っ暗闇の荒海でも平気でマストに上り、風向きや波のうねりを見て舵をとった。

 さらに米人水兵がルールを破って、飲料水を洗濯に使っていたのを見とがめた日本人乗組員たちに、ブルックは「これは共同の敵だから、即刻銃殺してくれ」と言った。その謹厳な姿勢に、日本人乗組員は感激して、以後、ブルックの言に従うようになった。

 また、木村は、通訳として中浜万次郎を連れて行くことで、老中の許可を得た。万次郎は土佐の漁師だったが、漂流していた所をアメリカの捕鯨船に救われ、そのまま米国で航海士としての教育を受け、アメリカの捕鯨船の副船長にまでなって、3年間も世界の海を航海した経験を持つ。[a]

 万次郎はブルックとも友情を結び、日本人乗員たちとの良き仲介役となった。この二人がいなければ、咸臨丸は暴風雨の中で太平洋の藻屑として消え去ったかも知れない。あるいは、帰りにはブルックたちを下ろして、今度は本当に日本人だけで太平洋を横断したのだが、それほどの技術習得もできなかっただろう。

 咸臨丸の乗員が、その後の日本海軍の中心的役割を担っていった事を考えれば、木村の判断が日本海軍の未来を救ったと言える。

 もう一つ、木村が優れた人物眼を示したのは、福沢諭吉を乗せたことである。福沢が見ず知らずの木村に会って、従者として連れて行って欲しい、と頼むと、木村はその場で快諾した。福沢の人となりを見抜いたのだろう。福沢はこの渡米経験から、後の文明開化のリーダーとして成長していく。[b]


■5.金の工面

 人員と並んで木村が出航前に苦心したのは、金の工面であった。米国が船を出して使節を送り迎えしてくれるのに、なぜ巨額の費用を使って副使のために別の船を出す必要があるのか、という反対が勘定所を中心にくすぶっていた。

 その一方で、士官たちは3、4年も長崎海軍伝習所で航海術を学んで腕を上げていても、俸禄は入所の時と変わっていない。その不満を良く知っていた木村は俸禄の増額を請願したが、毫も顧みられなかった。

 やむなく木村は、水夫や火焚きも含めて乗員への恩賞と、米国滞在中に日本武士の面目を保つだけの費用を自分で用意することとした。家財道具を処分して3千両を作り、さらに幕府から500両を借りた。100両あれば、土地付きの屋敷が買えた時代である。現在価値で言えば、二桁の億という所だろう。

 木村はこの金で、士官や水夫に何度も恩賞を与えたり、サンフランシスコで土産物を買う費用を与えたりした。米国の水兵たちにも十分な謝礼を与えた。帰国した時には、自前で用意した費用はすべて使い切っていた。

 幕府からは、別途、邦貨とドル貨が支給されたが、食料品などの経費を切り詰めて、受取額の2割以下しか使っておらず、帰国後に大半を返納している。しかも返納5770両1分31文4分などと、きめ細かく計算している。木村の律儀な性格が窺われる。


■6.「一見しただけで温厚仁慈の風采を備えた人物」

 出航前の様々な難題を乗り越え、太平洋で何日も続いた暴風雨・荒波を切り抜けて、ようやくたどり着いた咸臨丸を、サンフランシスコ市民は大いに歓迎した。一つにはアメリカが開国させた日本からの最初の使節を受け入れる、という事は、自分が育てた生徒が成長したという満足感を与えたからだろう。

 もう一つは、東部からサンフランシスコに至る大陸横断鉄道がもうすぐ完成し、ここからさらに日本を結ぶ太平洋横断航路が開ければ、同市はアメリカの東洋進出の中心的拠点になる、という期待もあった。

 咸臨丸が錨を降ろすと、ただちに新聞記者たちが取材に押しかけてきた。「デーリー・アルタ・カリフォルニア」紙はこう報じた。

__________
 彼(木村)は、一見しただけで温厚仁慈の風采を備えた人物で、四十前後と見受けられた。(髷や衣装を整えた後)やがて彼は紳士的な服装で謙恭な態度で現れた。[1,p101]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 日本人は欧米人からは年より若く見られるのが普通だが、木村が反対に10歳も年長に見られたのは、その落ち着いた物腰からであろう。記者たちは咸臨丸を隅々まで見て回り、ブルック等から航海中の様子を聞いて、精しく記事にした。

 艦内は「清潔で秩序正しくゆきとどいていた」。水夫たちも「サンフランシスコの支那人より、はるかに教養が高いように思われた」などと報じている。[2,p265]


■7.「こんどは大統領の名前を先に」

 3月2日、サンフランシスコ市の正式の歓迎会が催された。当直を除く全員が招待され、市庁を訪れると、17発の祝砲が街を震わせ、周囲の建物の窓ガラスがみな割れるという騒ぎだった。

 会場では市の幹部や士官たちと握手したが、室外にも大勢の人がいたので、木村はその人々とも握手させて欲しいと提案して、その後30分も握手が続いた。人々が日本刀と絹の着物に強い好奇心を抱いていたので、握手することでこれらを間近に見せたのである。

 次に一行はホテルでの宴席に案内された。ご馳走の山を前に差しつ差されつの賑わいが続いた。頃合いを見計らって、市長が立ち、乾杯の音頭をとった。日本の皇帝と米国大統領、そして日本の提督すなわち木村のためと、3度乾杯した。次に木村が立ち、万次郎の通訳で、提案した。

__________
 今、日本の皇帝のために乾杯していただいたが、その名前が米国大統領の前にあった。こんどは大統領の名前を先に、米国大統領と日本皇帝のために乾杯していただきたい。[1,p105]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 当然、大歓声が起こったに違いない。神秘の国・日本から来た客人が、これほどアメリカ人の心をくすぐるような機転を利かせたことを、市民たちは驚きと喜びをもって迎えただろう。


■8.国際派日本人の先駆け

 翌日、咸臨丸は船体修理のため、サンフランシスコの北東40キロほどにあるメア・アイランド海軍造船所へ移った。米側はここでマスト2本の取り替え、帆の新調、ペンキ塗り替えなどの大がかりな補修作業をわずか2ヶ月足らずでやってくれた。

 修理が終わって、木村は費用を払いたいと申し出たが、造船所のカニンガム長官は、咸臨丸がはるばる米国まで来てくれた事に対する米国大統領のお礼の気持ちとして、米側が負担するという。結局、サンフランシスコの消防士や船員の未亡人団体に2万5千ドルを寄付する、ということで、ようやく話は落ち着いた。

 この修理の最中に、幕府の正使を乗せた米軍艦ポーハタン号がサンフランシスコに着き、咸臨丸を追ってメア・アイランドまでやってきた。米側が正使一行を迎えて、サンフランシスコで盛大な歓迎会をすると言うので、木村は正使たちとともに便船で市内に向かった。

 それを見送るポーハタン号の放った礼砲で、たまたま岸壁を通りかかったカニンガム長官が顔面に火傷を負った。サンフランシスコに着いた後、電信でこの事を知った木村は直ちにメア・アイランドに引き返した。

 歓迎会はそのまま開催されたが、人々は木村の姿が見えないのを不審に思った。そこでブルックが、カニンガム長官の負傷を気遣って、木村が傍を離れられないために欠席した、と告げると、会場から大喝采が起こった。ここでも木村の振る舞いはアメリカ人に感銘を与えたのである。

 日本文学者ドナルド・キーンは次のように語っている。

__________
 咸臨丸が浦賀湾に投錨したのは5月5日であった。長い航海もついに終わったのである。そしてそのことは、今や日本人が船を操って太平洋を横断出来る、という事実を、立派に証明した。

 しかし、おそらくこちらのほうがもっと大事なのだが、2百余年にものぼる鎖国のあとにも、木村のような日本人が存在し得た事実をも、それは証明したのである。すなわち外国の土地で、外国人に交じって、日本人としての自己を失わずに易々と、しかも相手に感銘を与えながら振る舞うことの出来た日本人のいたことである。[2,p281]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 江戸時代に日本は世界最高水準の教育[c]と礼節と思いやりに満ちた社会[d,e]を築いていた。その日本文明の粋を身につけていた木村は、そのまま米国でも尊敬される人物として通用したのである。木村摂津守良毅こそ国際派日本人の先駆けの一人であろう。

(文責:伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(252) ジョン万次郎とメリケの恩人
 アメリカの捕鯨船に救われた漂流少年は、近代術を学び、開国間際の日本に帰っていった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog252.html

b. JOG(379) 文明開化の志士、福澤諭吉
 無数のイギリス軍艦が浮かぶ香港で、諭吉は何を考えたのか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h17/jog379.html

c. JOG(030)江戸日本はボランティア教育大国
 ボランティアのお師匠さんたちの貢献で、世界でも群を抜く教育水準を実現。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog030.html

d. JOG(506) 花のお江戸の繁盛しぐさ
 江戸っ子たちは粋なしぐさで、思いやりに満ちた共同体を築いていた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h19/jog506.html

e. JOG(680) 江戸時代の庶民は幸福だった
 貧しくとも、思いやりと助け合いの中で人々は幸福に暮らしていた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h22/jog680.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 土居良三『軍艦奉行木村摂津守—近代海軍誕生の陰の立役者』★★、中公新書、H6
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4121011740/japanontheg01-22/

2. 土居良三『咸臨丸 海を渡る』★★、中公文庫、H10
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4122033128/japanontheg01-22/


■前号「孫子に学ぶ対中戦略」に寄せられたおたより

■虚青山さんより

 村山富市氏が東京都内の講演で、「丸裸の日本を攻める国などない。安心しておればよい」と発言した由報道されている。「みなさん。鍵を掛けなけれは泥棒は入りません。安心して鍵は外しなさい」と言っているようなものだ。

 村山氏は中国の「心理戦」にやられて、「輿論戦」に加担しているのかも知れない。

■編集長・伊勢雅臣より

 安倍政権になってから、こういう古手の政治家が急に中国の肩を持つようになりました。中国共産党からの指示が一斉に出たかのようです。

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