■第1202話 「じゃがたらお春」のこと(3/3) | My Flame

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■第1202話 「じゃがたらお春」のこと(3/3)

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 今回は以下のメールマガジンに掲載された内容の転載です。

  メイル・マガジン「頂門の一針」3298号 2014(平成26)年5月8日(木)

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(前回から続く)


 以下「ウィキ」による。


 佐々木 俊一(ささき しゅんいち、1907年9月27日 - 1957年1月27日)は戦前・戦後に活躍した作曲家。


 福島県双葉郡浪江町出身。

 本名は佐々木駿一(読みは同じ)東洋音楽学校(現 東京音楽大学)でチェロを学ぶ。

 同期生に万城目正(「旅の夜風」(西條八十作詞; 1938年):映画『愛染かつら』の主題歌などの作曲家)がいた。

 卒業後は万城目と共に浅草の映画館のオーケストラ・ボックスで働く。


 その後、レコードに興味を持ってからは、作曲家を目指す。

 レコード会社に就職するためにドラムを稽古し、日本ビクターにドラマーとして入社。

 バンドの仕事の合間に作曲をしていた。


 かくて1932年、作曲家第1作となった「涙の渡り鳥」が大ヒット。

 同年、小唄勝太郎が歌った「島の娘」が大ヒットし、うぐいす芸者黄金時代を築くきっかけになった等、たちまち佐々木はビクターのヒット・メーカーとなった。


 その後は作詞家・佐伯孝夫とタッグを組み、「僕の青春」、「無情の夢」、「燦めく星座」、「新雪」、「明日はお立ちか」、「月よりの使者」、「桑港のチャイナタウン」、「アルプスの牧場」、「高原の駅よ、さようなら」、「野球小僧」が戦前・戦後を通して、相次いでヒットする。


 1957年1月27日死去。

 49歳没。

 酒と女をこよなく愛し、豪快に生きた生涯だった。

 1963年にその功績をたたえ、浪江町大堀に地元有志によって「高原の駅よ、さようなら」の譜碑が建立された。


 デビュー作であり出世作となった「涙の渡り鳥」は最初にメロディーを作った佐々木が人気作詞家・西條八十にビクターの廊下で直接譜面を渡し、無名の作曲家の作品ながらも佐々木の真摯な態度に西条は作詞を引き受けたという。


 「泣くのじゃないよ、泣くじゃないよ」のフレーズは最初から佐々木によって譜面に書かれていたもので、文法的におかしいと注意した西条に、佐々木はこのままにするよう懇願し、結局は西条が折れる形となった。


(完結)


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■ 歴史好きの素人が語る歴史(第1202号)(2014年05月21日号)

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