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訓読みのできないアナウンサー
夕方、炊事をしながら何となくNHKをつけていました。画面は見たくないので(笑)音だけ聞いていたのですが、どうも耳障りな音が聞こえてきます。確か芸者のことが話題になっていたと記憶していますが、アナウンサーが「カガイ」と言っているのです。「カガイ」「カガイ」・・なんだろう? 不思議に思って画面を見てようやく分かりました。花街=はなまちのことを「カガイ」と読んでいるのです。これにはビックリ仰天! 「花街」が読めないアナウンサーがいるのかぁ~!
ところが今週、発売されている雑誌「WILL」でジャーナリストの西村幸祐さんがやはり同じようなことを指摘していらっしゃいます(「メディア・スクランブル」)。ちょっとその部分を引用させていただきます。
たとえば、NHKも民放もアナウンサーが「二人組」を「ににんぐみ」と読む。そんな放送コードがあるのか? 各局のアナウンス部でどんな教育をしているのか、という以前の問題で、現場のディレクターも黙っているのだろう。「ニニングミに襲われたAさんは」と平気でやる。「フタリグミ」と読むアナウンサーに最近、お目に掛かったことがない。
このあとに西村さんは「成人の日」のニュースで「二十歳」を「ニジュッサイ」と読むアナウンサーのことにも触れていらっしゃいます。これらはすべて訓読みができない、という問題だと思います。言うまでもないことですが日本の漢字には「音読み」と「訓読み」があります。「音読み」は中国から漢字が伝わってきた時に一緒に入ってきた音で(伝わった時代によって「漢音」と「呉音」があります)、「訓読み」は漢字が入ってくる前から日本にあった和語を漢字で表記したものです。
中国から漢字をもらったことで中国に恩義を感じている日本人が多いのですが、漢字によって日本語が豊かになったとは必ずしも言えないと思います。漢字が入ってくる前にすでに日本には膨大な和語の語彙がありました。ただ、それを表記する文字がなかっただけです。たまたますぐ隣の中国で使っていた漢字を取り入れたのですが、和語を表記するには漢字は不自由な文字でした。漢字というのは皇帝が官僚に命じる必要から生み出されたものだそうです。また中国の北の辺境と南の辺境から来た人間が会っても言葉が通じないので、筆談なら通じるだろう、という必要性もあって使われていたそうです。市場で商売をする時にも便利だったそうですが、文学的な表現などには向きませんでした。そこで私たちのご先祖は漢字からひらがなとカタカナを作り、さらに一つの漢字に「音読み」と「訓読み」という、違う読み方をさせました。そういう工夫をして初めて漢字は豊かな表現が出来る文字に進化したのです。
四季折々に変化する自然や繊細な心理描写などは和語でなければ表現できません。和歌や俳句は和語がなければ成り立ちません。「二十歳」を「はたち」と読むのと「ニジュッサイ」と読むのではまったく受け取る感じが違ってしまいます。本来、美しい日本語を話すプロであるべきアナウンサーがそんなことも分からない、というのは恐ろしいことだと思います。かつてNHKにはさすが日本語のプロだなあ、と感心するアナウンサーがいたものです。聞いているだけでうっとりするほどきれいな日本語を話す人がいましたが、最近の女性アナウンサーはただ甲高い声で叫んでいるだけです。聞いているだけでイライラしてくるほどです。テレビの劣化はとどまるところを知りません。
せっかく美しい言葉を母語として持っていながら、それを粗末にするテレビ局は自ら日本文化を破壊していると言うしかありません。テレビに美しい日本語が復活する日は来るのでしょうか?


