----- Original Message -----
◆黄文雄『日本人は、なぜ特攻を選んだのか』を読み解く
※要旨
・私は戦争や特攻をいたずらに賛美したいわけではない。
避けられるならば、戦争は避けたほうがいいに決まっている。
だが、戦わざるをえない運命、そして負けることがわかっていても、命を賭して立ち向かわなくてはならない状況というものもあるはずだ。
・戦前の台湾で生まれ育った私にとって、「特攻」も「神風」も幼いころから耳慣れた言葉であった。
この言葉を耳にするたびに想像したのは「勇気」と「責任」、そして「愛」、国へ、家族への愛である。
・もっとも戦術としての特攻については、「特攻の父」といわれる大西瀧治郎中将でさえ、「統率の外道」と語っており、実際に行われたのは大東亜戦争末期、おもに1944年10月のレイテ沖海戦と翌45年3~6月にかけての沖縄戦である。
・しかし、わずか1年間にも満たない特攻は、西洋人を驚嘆させ、日本人のイメージを大きく変えた。
特攻を受けた米兵も、またそれ以外の西洋人も、これを行った特攻隊員に敬意の念を抱き、日本人にしかできないものだと論じた。
・死をもって国に殉じるという特攻隊員の精神は、それまで数百年にわたり西欧列強の植民地として屈従していたアジア各国の民族意識を高め、終戦後にアジア各国が独立する道を切り拓いたといっても過言ではない。
・特攻とは何だったかのか、なぜ日本人は特攻という道を選んだのか。
・英国の元陸軍大佐で戦史研究家のA・J・バーカーは、著書『神風特攻隊』において、このように述べている。
「連合軍では、このような攻撃を非人道的、狂信的としながらも、神風特別攻撃隊員たちにたいしては、尊敬をはらっているのである。
それはおそらく、彼らが特別攻撃で手痛い打撃を受けたためであろう」
・ビルマ(ミャンマー)の初代首相バー・モウも、「特攻隊は世界の戦史に見られない愛国心の発露であった。
今後数千年の長期にわたって語り継がれるに違いない」と語っている。
モウは、1944年11月末に台北にある特攻隊訓練基地を訪れ、隊員たちに作戦の成功と別れを告げている。
ビルマに帰国後、特攻隊のことを人々に語ると、誰もが畏敬の念を抱いたという。
・もちろん、こうした自らの命をなげうっての攻撃は、西洋人には理解不能であった。
だが、その西洋人の常識を根底からひっくりかえしたのが、フランス人ジャーナリストのベルナール・ミローだった。
彼は、こうした西洋人の理解に対して、次のように述べている。
「ほんのひとにぎりの狂燥的人間なら、世界のどの国だってかならず存在する。
彼ら日本の特攻隊員たちはまったくその反対で、冷静で、正常な意識をもち、意欲的で、、かつ明晰な人柄の人間だったのである」
・「これらの調査(戦後の特攻隊に関する調査報告)のほとんど全部が一致して報告していることは、特攻に散った若者の圧倒的な大多数のものが、各自の家庭にあっては最も良き息子であったということの発見である。
きわめて稀な少数の例外を除いて、彼らのほとんどは最も愛情深く、高い教育を受け、すれてもひねくれてもいず、生活態度の清潔な青年たちであった。
そして両親に最も満足を与えていた存在だったのである」(ベルナール・ミロー)
・戦後、フランス第五共和国の情報相、文化相を務め、『人間の条件』『空想美術館』などの著書で文壇の巨人として活躍したアンドレ・マルローも、特攻について次のように語っている。
「日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。
それは、世界のどんな国も真似のできない特別攻撃隊である。
日本の特攻隊員たちはファナチックだったろうか。
断じて違う。
彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。
祖国を憂える貴い熱情があるだけだった」
※コメント
特攻隊について軽く論じることはできない。
これは高いレベルの話だからだ。
ただ我々はこのことについて語り継いでいく義務があると思う。
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