軍事情報特別連載 「書き換えられた縄文時代(三内丸山遺跡の発見)——昭和と平成の教科書を比べて( | My Flame

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応予備自衛官でもあります。
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こんにちは。エンリケです。

きょうの「昭和と平成の教科書を比べて」は、三内丸山遺跡にまつわるお話です。

歴史というものは、硬直した教条的な姿勢で扱ってはいけませんね。
そのことがほんとによく分かります。


それではきょうも、【昭和と平成の教科書を比べて】をお楽しみください。


(エンリケ)

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                 荒木 肇
『書き換えられた縄文時代(三内丸山遺跡の発見)——昭和と平成の教科書を比べて(34)』
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□ご挨拶

 2020年に東京で夏季オリンピックとパラリンピックの開催が決定しました。国民の多くが喝さいし、喜びをもってこの大事件を祝ったことを報道で知りました。

 私が東京で居ながらにして世界一流のアスリートたちの競技を見ることができたのは中学校の1年生のときでした。聖火がリレーされて目の前を通りました。代々木の国立競技場の上空には航空自衛隊のブルー・インパルスがスモークで五輪のマークを描きました。五輪旗をもった自衛官、開会のファンファーレを吹鳴(すいめい)した自衛隊音楽隊員、各国選手団の先頭にプラカードをもった防大生には、その凛々しさに感動したものです。

 また、マラソンでは円谷選手の力走、三宅選手の重量挙げ、東洋の魔女といわれた日紡貝塚のバレーボール選手たち、レスリング、柔道のみごとな成績などに、毎日、テレビにかじりついていました。

 ちょうど、中学生になって電車通学も始まり、世間への目も育っていった時期と重なったせいでしょうか。街の変わり方も印象深いものでした。それまでの街の景色はグレーで彩られていたものが、オリンピックの前後でフル・カラーになりました。山手線が緑色、中央線がオレンジ、京浜東北線がブルー、総武線がカナリヤ色などと色分けされ、何より、東海道新幹線が走ります。

 私にとって、昭和戦前社会と縁のあるものが次々と変わった契機になったのが、東京オリンピックでした。

 また、7年後、大きな変革があるでしょう。いや、正確にはこれからじわじわといろいろなものが変わっていきます。おそらく1964(昭和39)年より前から、多様なものが変わりつつあったのだと思います。

 今度は大人としてその変化を目の当たりにするわけですが、心にひっかかるのは東北地方の復興です。いつもそのことを忘れずにいたいと思っています。

□お礼

 五反田猫様、いつもお励ましをありがとうございます。仰る通り、さまざまな視点から、事実を元に教科書は書かれなくてはなりません。教科書は国民のすべての人のコンセンサスでなくてはならないからです。一部の人だけの意見や見方が盛りこまれるばかりではいけません。ありがとうございました。


▼三内丸山遺跡の発見

 長い間、縄文人は狩猟・採集のみの文化に暮らしていたと私たちは思いこんできた。一か所に定住することは少なく、人々は数戸の竪穴住居でグループを作り、獲物を探し、より暮らしやすい場所に次々と移っていったという定説があった。

 昭和版山川教科書では、縄文時代の社会について次のように書いてある。
『縄文時代人は、狩猟や採集が経済生活の基礎となっていたので、獲物のえやすい海辺や河岸の台地、山麓や森林の縁などに集落をつくって住んだ。住居は一般には竪穴式が用いられ、いずれも5人から10人を収容できる広さであった。』

 1992(平成4)年、青森市南西郊外で野球場を建設しようとして縄文時代の遺跡を発掘したことは、教科書にもたいへんな変化をもたらした。この遺跡は広大な集落遺跡だったのだ。

 1994(平成6)年には、大型の掘立柱(ほったてばしら)建物跡とみられる6本のクリの柱が発見された。掘立柱とは土台や敷石の上にのせられずに、ただの深い穴に差し込まれた形式の柱である。ただ、この柱は直径二メートルと想像された。その太く、高い柱(10メートルから20メートルと考えられる)が二列に並んでいたのだ。柱と柱の間は正確に4.2メートルの等間隔である。物見用の櫓か、神殿か、祭祀に用いられたではないかと議論されたが、もちろん確定はしていない。

 平成版の山川教科書では、次のように詳しい記述になっている。
『縄文時代の人びとは、新しい環境に対応した。とくに植物性食料は重要で、前期以降にはクリ・クルミ・トチ・ドングリなどの木の実やヤマイモなどを採取するばかりでなく、クリ林の管理・増殖、ヤマイモなどの保護・増殖、さらにマメ類・エゴマ・ヒョウタンなどの栽培もおこなわれていたらしい。
また、一部にコメ・ムギ・アワ・ヒエなどの栽培もはじまっていた可能性が指摘されているが(中略)食料の獲得法が多様化したことによって人びとの生活は安定し、定住的な生活がはじまった。(中略)住居だけではなく、食料を保存するための貯蔵穴群や墓地、さらに青森県三内丸山遺跡のように集合住居と考えられる大型の竪穴住居がともなう場合もある。』

▼三内丸山遺跡とは?

 三内丸山遺跡は海岸線からおよそ3キロメートルあまり内陸に入った位置のゆるやかな丘陵にある遺跡だが、縄文時代にはすぐそばまで海がきていた。温暖化によって氷河がとけて、一般にいわれる「縄文海進」の結果である。
 竪穴式住居跡が480基もあり、大型竪穴式住居も10棟があったことがわかった。また、掘立柱式の建物跡も100棟分ほどが発見された。ほかに食料の貯蔵所にされたと思われる穴、土器を作るための粘土採掘穴、ゴミ捨て場などがあり、最大で500名以上の人が住んでいたと想像されている。

 石器・土器・木器・骨角器などのほか、新潟県糸魚川産のヒスイ、岩手県久慈産と考えられるコハク、北海道産の黒曜石が出てきた。広い交易関係があったことが想像される。また、ゴミ捨て場からはウサギ・イノシシ・シカなどの動物、マダイ・ヒラメ・アジ・サバといった小型魚の骨のほか、ブリなどの大型魚のそれも見つかっている。

 クリは管理・栽培されていたことも分かった。DNA分析による成果である。さらにヒョウタンやエゴマ、マメ類などの栽培植物が出土したことからも原始的ながら農耕もおこなわれていたことがはっきりした。また、酒も造られていたことがわかった。発酵した果物などにつくショウジョウバエのさなぎが付着しているキイチゴなどの種も発見された。

▼1500年も続いた三内丸山の大集落

 三内丸山遺跡が発掘されるまでは、縄文期の遺跡には大型のものがなかった。小規模で建て替えた跡もなかったことから、人々の定住志向も低かったと考えられていたのだ。この遺跡は今からおよそ5500年前に成立し、1500年くらい続いたと考えられている。
 縄文時代の始まりは約1万3000年前から始まるとされる。水稲農耕が始まる紀元前4世紀ころまでの長い期間になった。放射性炭素14Cによる年代測定(炭素14年代)である。

 平成版の教科書の注によれば、大気や大気中に生きている生物には14Cが含まれているが、生物が死亡すると一定の割合で減少する。この原理を応用して生物遺体の炭素量を測定し、死後の経過時間を算出するのが炭素14年代法である。ただし、この方法は過去から現代にいたるまでの大気中の14Cの濃度が一定との前提に立つが、実際にはその濃度は変動していることが知られている。

 最近ではAMS法(加速器質量分析)の採用によって高精度化した炭素14年代測定法を、さらに年輪年代法などの確実な方法によって補正する研究が進んだ。その結果から縄文時代の始まりは1万6500年前にさかのぼる説が出された。ただし、この補正年代を認めていない研究者もいる。



(以下次号)


(あらき・はじめ)

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●著者略歴

荒木肇(あらき・はじめ)

1951年、東京生まれ。横浜国立大学大学院修了(教育学)。横浜市立学校教員、情報処理教育研究センター研究員、研修センター役員等を歴任。退職後、生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師、現在、川崎市立学校教員を務めながら、陸上自衛隊に関する研究を続ける。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、陸自部隊・司令部・学校などで講話をしている。

◆主な著書

「自衛隊という学校」「続・自衛隊という学校」「指揮官は語る」「自衛隊就職ガイド」「学校で教えない自衛隊」「学校で教えない日本陸軍と自衛隊」「子供にも嫌われる先生」「東日本大震災と自衛隊」(いずれも並木書房 http://www.namiki-shobo.co.jp/ )

「日本人はどのようにして軍隊をつくったのか」

(出窓社 http://www.demadosha.co.jp/ )


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