競合という存在【後編】 | チャンピオンマニアの視点

チャンピオンマニアの視点

チャンピオンTシャツ、リバースウィーブを中心にマニアの視点で50~90年代まで幅広いアイテムの細部を詳しく解説していきます!また、チャンピオンの魅力をIVYに始まる東海岸のカルチャー、70sの西海岸カルチャーの中から当時の写真を交えながら迫っていきたいと思います!

前回は60sまでのスウェット競合の歴史を紹介しましたが

 

今回は70s以降を紹介します。

 

まずは当時の歴史的背景を知らないとスウェットの歴史も語れません。

 

60sの後半はげんこつプリントのTシャツで紹介した通り

 

人種差別や反戦運動等の学生運動が盛んでした。

 

その後、学生は現代の都市生活(贅沢な消費社会)に魅力を感じなくなり

 

「貧しく装う」ってことに傾倒していった。

 

それがヒッピーやバックパッカーという文化を生み出しました。

 

下の本にも当時の学生や若者はお金に執着がなく、くすんだ汚い服装をして

 

自分自身を貧しく見せていると書いてます。

そんな背景が70sのスウェットにも少なからず影響があります。

70s

70sでのチャンピオンのスウェット事業はリバースに集中していきます。

生協に卸していたチャンピオンのスウェットは60sと比較すると少なかったと思います。

おそらく、上の時代背景からも学生たちは着る物は特に質素にというスタイルで

安いものしか買わなかった。

なので儲からないところには積極的な事業展開をしなかったんだと思います。

実際、古着で70sのバータグのスウェットやパーカーを探すのはほんと難しいです。

まだ、リバースの方があるかもしれない。

特に70s、チャンピオンにとって転機になったのはUSMAだけでなく

NAVYとARMYにリバースを展開できたこと。

リバースの耐久性を評価されて軍に大量のリバースを納入できた。

これは本当に大きかったと思います。

これからもやはり付加価値の高い商品の強さを知ることができます。

 

では、生協で売られていたものは?

メジャーどころではCallegate Pacific、ARTEX、Velva Sheen。

それから上のタグでVelva Sheenの右横のタグのようなメーカー不明のタグもの。

そして、前回のBlogで紹介したファクトリー系OEMが売り場を占めるようになります。

 

余談ですが

上のタグでメーカー不明と言いましたがこれは実はこれはラッセルから派生したもの。

なぜわかるかというとタグの一番下にWPL-7232と書いてあります。

下のラッセルのタグにも同じナンバーが。なのでラッセルなんです。

ラッセルはこのような派生ブランドをおそらく10以上は作っていたんじゃないかと。

ほんと多いです。

また、RUSELLが本流のRUSELLタグを付けていたスウェットは

アスリート仕様のものが多かったです。

70sでは比較的このRUSELLタグものは生地も厚く、質も良かった。

なのでチャンピオンがリバースで勢力を広げている中

ラッセルは本流のこのタグで勝負を挑んでいたのでしょう。

そういう意味でも70sのチャンピオンの最大の競合先もRUSELLと言えるでしょう。

 

それと当時の傾向として学生に人気があったのは無地のグレーのパーカー。

特にフルZIPタイプ。

古着でも多いかと思いますがこの手のものはタグ無しのファクトリー系OEMものが多い。

当時は圧倒的に安かったんだと思います。

 

80s

80sに入るとタグを見てもらうとわかりますが各メーカー共にcottonの配合は50%前後

アクリル、ポリ、レーヨンと色々な化繊を独自の比率で加えてます。

80sからは老舗に加え、DISCUS等の新しいメーカーも。

そして、80s以降大きく勢力を伸ばしてきたのは

そう、ナイキです。70s後半からナイキはウェアにも手を出してきますが

ほぼ他社に製造を委託していた。

なのでそれまでチャンピオンとしても大きな競合先ではありませんでした。

しかし、80sになってからは

ナイキが販売戦略としてはシューズとウェアを合わせて提供する。

これはチャンピオンのみならず、他社には真似できない戦略。

80sの前半からナイキはバスケットボールにめっぽう強く

有名大学にはバッシュのSMUを作り、ウェアも提供していった。

さらに、当時の学生の間でも空前のバッシュブーム。

これにて大きく勢力を伸ばし、80s中盤にはチャンピオンとしては

RUSELLよりも怖い競合になったことでしょう。

なので80s中盤からは付加価値の高いリバースでも売上を落としていったのでは。

ではどこで販路を模索するか。

それが今までの実績のある大学の生協。

いろいろな学生の趣味、当時のカルチャーから

トリコタグに一新してカラーバリエーションを大量にそろえて展開していったんじゃないかと。

 

個人的にはアスリート向けからすべての学生に、という販売戦略は

ナイキの影響だったと思ってます。

 

ではRUSELLはどうか。

一貫してアスリート向けに展開。このこだわりもすごいです。

なので80s中盤には本流のラッセルタグものは大学では

かなり勢力を弱めたかと思います。

ではどこに販売先を見出したか。

 

それはhigh schoolなんです。

比較的コストの安いものだったのでRUSELLは

大学ほど予算もない高校に商機を見出した。

なので80sのRUSELLものは高校が多いのではないでしょうか。

さらに同じ80sでもポケットの淵の補強が80s後半では無しになります。

こんなところにもコスト削減の変化を見てとれます。

こんな感じで歴史的背景、販売戦略、競合から

当時のチャンピオン。いや、それ以外の競合先の商品を見てみるのも

とても面白いかと思います。

 

それでは最後にhigh schoolでのRUSELLものを。

RUSELLの50sから変わらない

一環したアスリート向けへのこだわりを感じずにはいられません。

そんな思いでこの写真を見るのは自分だけか。