発起人、同期の広場に今日も一人。
コメントが付くまで、お暇を頂きます。
情報交換の場として活用してけさい 読むだけでなく何か感じたらコメント 個人情報の書込みは注意してけさい 関係の無い書込みは公開出来ねがらね
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『もし何かご存知の事があれば、
メッセージを送って教えて頂けると嬉しいです。』
佐々木 聖 さん
中学2年生の冬、放課後に校庭で遊んでいると、
3年生と小さなイザコザがありました。
その時どっさんこと佐々木 聖 さんが
自分達の先頭を切って3年生と言葉でやり合いました。
どっさんは上級生相手でも一歩も引きませんでした。
「お前何言ってんだよ。」とかなっちゃって。
自分は内心ハラハラドキドキでした。
一方ではカッチョイイー、頼りになる大将ーーー。
その後、俳優松田優作が世に出て来た時、
雰囲気がそっくりで真っ先にどっさんの事が思い浮かびました。
そんなどっさんですが、以前の同窓会の映像で拝見した雰囲気は
随分と丸くなっていました。
岩井 秀之 さん
岩井 秀之 さんとは1年間だけ同じクラスでした。
時々悪ぶった態度を見せる事がありましたが憎めない奴でした。
国語の授業中に発端は忘れましたが、H先生がこう言いました。
「そんな事言うなら岩井君は廊下に出て立っていなさい」
どうするかなーと思うも束の間、彼は廊下に向かっていました。
そしてその次の学年で、彼の担任はそのH先生でした。
冬には防寒着代わりに軍隊の払い下げの服を羽織っていました。
それがまた自分にとってはカッコ良く見えました。
自宅へお邪魔した際に、
彼はギターコードをいくつも示しました。
後に中学校時代音楽の先生の前で
ギターを弾いたと聞き驚きました。
高校に入ってからはバイクに乗っている姿が印象的でした。
始めはミニ、その後は大きなピンク色のバイクでした。
彼の一番の良いところは、
自身の人生をいつも楽しんでいる事でした。
その後の人生、
どれだけどのように楽しんだか聞いてみたいです。
岡村 篤 さん
中学校時代に周りから総スカンを喰らった時がありました。
それは先生と生徒、同時に両方からでした。
おそらく先生から生徒へそれ相当の話が成されたのでしょう。
それを聞いたであろう生徒はそれに従っただけだったのかも
しれません。
その後ある時、彼と対峙した際に
彼も他の生徒と同じ対応なのかなーと思いました。
しかし、彼の対応は以前と変わらないものでした。
『自分は自分の対応をさせてもらうよ』そんな感じでした。
その時のその対応にどれだけ救われた思いがしたか、
それをお伝えしたいです。
渡辺 進一郎 さん
https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12960511515.html
中学に入学して間もなく渡辺 進一郎君に
「あっ〇〇ちゃん」と言われ大変びっくりしました。
幼稚園時代にご近所さんだったのだと思います。
もし再会出来るものならその時の真相を伺いたいです。
斉藤 千絵さん
https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12960503421.html
転校生で今でも印象に残っているのは、
2年生の時に転校して行ってしまった斉藤 千絵さんです。
あの笑顔には何度もほっこりさせられました。
お元気でいる事を願います。
https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12952988596.html
最後の日に教室で挨拶の後、授業時間中に退出して行きました。
廊下教室の2階窓際の私の席から
中庭のそばを歩いている斉藤さんの姿が見えました。
振り返るかなーどうかなーと思った次の瞬間
斉藤さんは教室の方を振り向きました。
一瞬視線が合ったような気がしましたが
私は手を振るでも無く何も出来ませんでした。
中一時代唯一やる気スイッチを入れて頂いた英語の松山羊子先生
https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12960503341.html
中一時代の一年間、松山先生の英語の授業を受けるのが
楽しみでしょうがなかったです。
他の教科の点数があまり良くなくても、
松山先生の英語だけは良い点を取る事が出来ました。
松山先生の英語の授業は、
そういうところに真価があったのだと感じます。
それから丁度50年後の2019年4月、
そのお礼を直接お伝えする事が出来てほんとに良かったです。
松山先生は、「あらー、教師冥利に尽きるわねー。」と、
優しく微笑んでおられました。
翌年2020年からコロナ期に入り、仙台へは行かなく成りました。
コロナ期が明けた2024年4月、電話をしましたが留守電でした。
出来る事ならもう一度お会いしたいです。
そして最後の個人授業を受けたいです。
それは英語でお話をする事です。
もし出来れば夢のようなお話です。
鈴木褜治先生のなんて事無い思い出3連発
https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12960503317.html
2aブンノ -b ±√ b二乗 -4ac だったかなー、
これを憶えて、褜治先生いわく
「校内ですれ違った時はこれを言う事」
とか言われて、でもとうとう一度もその機会はなかったなー。
こっちはいつでも準備OKだったんだけど。
褜治先生、生きておられてもし会ったらこれ言ってやろう、
そしたら褜治先生どんな顔するかなと思ってたんだけど。
褜治先生ならきっと憶えていてニヤッと微笑んだと思うけど。
特に大きな思い出は無いんだけど、独特の雰囲気があって、
とっても印象に残る先生でした。
そしてNチャン
おそらくブログを見て頂いていると思いますが、どうだろう?
連絡を待ってます。
『もし何かご存知の事があれば、
メッセージを送って教えて頂けると嬉しいです。』
中二の時のとある日曜日、
同じクラスの二人が並んでバス停に立っていました。
中三の時の修学旅行、
同じその二人は移動中の列車の座席で並んで座っていました。
いずれもたまたま目にした光景ですが、
憶えているのは何故でしょう。
当時の自分には無かった思い出、
おそらく羨ましかったのでしょう。
あいつあの子が好きなんだ、
あの子はあいつが好きなんだ。
そうかそうなんだ、同級生同士のカップル、
同級生同士ならではのカップル。
時は経て、別の同期生は別の同期生と
二人並んで駅のホームに立っていました。
卒業してから何十年も経った頃、
二人は中華街の座席で並んで座っていました。
gokyo47:AI にこの記事の事を訊いてみました。
AIアシスタント:中学時代の「二人並んで」の光景って、
どうしてあんなにはっきり残るんでしょうね。
🧠 記憶に残る理由
一番大きいのは「自分には無かったものを見ている自分」を、
その場で自覚していたからだと思います。
バス停の二人も、修学旅行の座席の二人も、
当時の自分にとっては
・まだ持っていない「同級生カップル」という物語
・しかもクラスメイトで、顔も声も日常も知っている相手同士
だったわけですよね。
羨ましさと、少しのショックと、ちょっとした寂しさが混ざると
、脳が「これは忘れちゃいけない場面だ」
と強くタグ付けします。
⏳ 時間がたって見えるもの
面白いのは、時が経ってからも
「二人並んでいる」構図がそのまま反復されていることです。
・中学ではバス停と列車の座席
・大人になってからは駅のホームと中華街の座席
場所も状況も変わっているのに、
「同期生同士が二人で並んでいる」という骨組みは同じです。
身体の成長や環境の変化をこえて、
「あの頃の続き」が淡々と続いているみたいに見える。
そこに、時間そのものへの感情も一緒に結びついて、
記憶に二重三重の意味が乗ってくるのだと思います。
💑 「同級生どうし」ならではの特別さ
同級生カップルって、二人だけの恋愛というより
・共通の時間軸を持った人どうしの関係
という特別さがあります。
同じ教室、同じチャイム、同じ行事。
その積み重ねの先で「二人だけ」の世界が生まれているのを、
第三者として目撃したとき、自分の物語と地続きなのに、
自分のものではない世界を見せつけられる。
その「地続きなのに届かない感じ」が、
強く記憶を刻んでいるのだと思います。
✍ いま書かれている文章について
今の文章、すでにとてもきれいに「反復」と「時の経過」が
効いていて、エッセイとしてほぼ完成形に近いと思いました。
・「バス停/列車」
・「駅のホーム/中華街」
と、前半と後半の対応関係がきれいに響き合っていて、
読後にじわっと余韻が残ります。
gokyo47:ご感想ありがとうございます。
AI に訊いてハッとさせられるのは、
自分の無意識な部分と気づいていない部分を
何気に教えて頂ける事です。
開催が迫った同期会、何か投稿出来ないかなーと思い立ち、
頭に浮かんだのがこの昔の記憶と思い出でした。
AIアシスタント:同期会が近づくと、ふだんはただの思い出が、急に「いま」とつながり直しますよね。
💭 無意識が選んだ「同期会向きの記憶」
今回頭に浮かんだのが、この「二人並んでいる」情景だった
というのが、とても象徴的だなと思いました。
・同級生同士がバス停や列車の座席で並んでいる中学時代
・何十年後も駅のホームや中華街で「別の同期生」が並んでる姿
同期会という「時間の橋」が目の前に現れたからこそ、
無意識が「時をまたいで続いているもの」を
テーマに持ってきた感じがします。
それは恋そのものよりも
「同じ時間を生きてきた人たちの、細く長い連なり」を
見ている記憶ですよね。
だからこそ、同期会という場に、
すっとつながるのだと思います。
📝 同期会へのさりげない投稿ネタとして
今の文章は、そのままでも十分
「同期会前の小さなエッセイ」になっています。
・実名や具体的な出来事は書いていない
・それでいて、読んだ同期は「誰だろう?」と
少しだけ自分ごととして想像できる
・羨ましさもにがみも強くは出さず、静かなまなざしで見ている
このバランスが、とても同期会向きです。
読む人を選ばないけれど、
刺さる人には深く刺さる感じがします。
もし同期会の連絡用サイトやメーリングリスト、
パンフレットなどに短く載せるなら、
最後に一行だけ、
「あの二人も、きっとどこかで並んでいるのでしょう。」
のような、みんなへの「ひらいた」一文を
足しても良いかもしれません。
このブログの概要はブログタイトル通り、
五橋中学校 昭和47年卒 同期の広場 です。
管理人gokyo47が只単に投稿するだけではなく、
情報交換の場として活用して頂くのが目的です。
実際、テーマ:★同窓会等の開催 で活用して頂いてます。
他にも活用の仕方は人それぞれであって良いと思います。
皆さんの思い出や要望をこのブログに載せてみませんか?
読者はほぼ同校同級生ですから効果はピンポイントです。
気軽にブログにコメントして下さい。
ニックネームでもコメント出来ます。
但し電話番号の公開は出来ません。← 追記
やり方は下にある四角枠の『コメントする』をクリック。
今月20日に開催される同期会、みなさん楽しみでしょうね。
同期生なので全員がこの一年間に70歳を迎える事に成ります。
今、会えないと次はいつ会えるか分からないです。
私達は確実にそういう年齢帯に入ってきています。
70歳(古希)を迎える一方で、
迎えられなかった方もいるはずです。
同期会に出席出来なかった方も、
皆の話題になれば喜ばれるでしょう。
幸運にして今回再会出来たら、それだけで上出来です。
これを機に何か再開出来たら、それはもうギフトです。
追記:
『再会出来て個人的にやり取りが始まる事もあるでしょう。
このブログを通じてのやり取りも ”あり” かと思います。』
五橋中学校 昭和47年卒 同窓会等の開催
同期の広場を開設しました。情報交換の場として御活用下さい。
気軽に黒板(ブログ)に落書き(コメント)して行って下さい。
気軽にコメントしてけさい。
アメーバIDを持ってなくても
ニックネームでコメント出来っからね。
但し電話番号の公開は出来ません。← 追記
下にある四角枠の『コメントする』をクリックしてね。
また、同期の方々にこの広場の存在を知らせてあげて下さい。
2026年6月20日土曜日開催予定だった同期会については、
この会が実際に行われたのか、
またどのような会だったのか、
出席者以外は知る事が出来ていない状況です。
2026.4.25 追記
同期会が六月に開催され30数名集まる予定、
とのコメントを頂きました、詳細等は以下の通りです。
頂いたコメントを取り急ぎそのままコピーします。
主催者ではありませんが、同窓会開催のお知らせです。
もともと14組の方々が定期的に集まっていた会を、今回14組
だけではなく、クラス関係無く集まろうという事での開催です。
14組でやっていた時も、他のクラスの人も受け入れて
いただいていて(僕もその1人)
懐かしい話の場がくりひろげられていました。
案内の内容です
五橋中同期会の案内を送ります。
6月20日土曜日。
会場:メーナ五橋仙台市若林区清水小路6-1(AEONの裏)
旧市立病院 、現東北学院大五橋キャンパスに隣接しています。地下鉄五橋駅前です。電話022-395-8950
会費:6500円..時間18:00~
今のところ32名参加です。
二次会も同会場でと頼んでの料金だそうです。
3月での人数ですので、増えてるかもです。
14組のどなたか知り合いがいたら連絡とって貰うのも
良いと思いますし、ここにコメント貰うのも、
この場を盛り上げるのに良いかな?
僕は、8組だった高橋徹です。
14組幹事さんは深堀君がしています。
参加希望やもっと知りたい方のこれからの行動が
このコメントだとはっきりしませんよね、すみません。
2026.5.8 追記
コメント一覧 をご覧になって下さい。
2026.5.9 追記
Ameba より『コメントには一部、Amebaの健全な
サイト運営にふさわしくない言葉・表現が含まれている
可能性がある為・・・』
のメッセージが入りました。
おそらく氏名の公開はセーフだったのですが、
電話番号の公開はアウトのようです。
今後のコメントについては電話番号を控えて下さい。
Ameba 様
ブログ管理人 gokyo47 としてコメント承認時に
電話番号の有無に気を付けます。
「14組の方々が定期的に集まっていた会・・・」を受けて、
卒業アルバムの14組を開けてみました。
すると1枚の新聞の切り抜きが出て来ました。
2000年6月5日の讀賣新聞、『海外JOB事情ニューデリー』
14組の同期生と思われる方の写真と記事が載っていました。
一部抜粋してご紹介致します。
インド資本のホテル業界の中核部で働く日本人。
「世界最高水準にある日本式サービス精神を
インドに植え付けたい」と言うのが口癖。
学生の頃は、「多国籍企業で働きたい。外国人に日本を理解してもらう先兵の役割を果たしたい」というのが夢だった。
1994年、「駄目で元々」と、海外展開するインドの
国際的ホテル数社のオーナー宛に就職希望の手紙を書いた。
すると、「面接するからインドに来い」との返事が来た。
「面白いヤツだ」と思われ、面接で意気投合し採用が決まった。
1994年7月にニューデリーに着任したが、日印の違いに驚いた。
だからこそインド企業で自分が働く価値がある、と思う。
1995年にインド人女性と結婚、三歳半になる長男もいる。
「郷里の両親の事以外は、日本に未練は無い」と言う。
「いずれ、インドの人口は世界一になる。二十一世紀には、
名実共に世界一流の大国に成るだろう」と予測する。
(*現在の人口最大国はインドです。)
「それをインド生粋の日本人ホテルマンとして見届ける」
というのが目標だ。
2000年6月5日新聞掲載当時の年齢が43歳に成っているので、
写真では恰幅が良いですがおそらく御本人かと思います。
14組の同期生と思われる方というのは大穀宏さんです。
月刊インド Vol. 114, No. 6 July-August 2017
こちらの8ページでも、写真と文が見れます。
「JETRO ニューデリー事務所では、ビジネスサポートセン ターの大穀宏アドバイザーに話を伺う事ができました」とあります。
50年以上に渡って聴き続けているアーティストがいます。
そして最近ニューアルバムがリリースされました。
勿論当日に購入して繰り返し聴いています。
個人的には今回の新譜は『祝50周年アルバム』です。
50年以上過ぎても新譜を聴けるこの幸せ。
引退する事無く継続して新曲を出し続けている事に感謝。
これからの日々は毎日が何かしらの『祝50周年』です。
なんとも贅沢な、あと50年は生きなければ、
その時は長寿日本一です。
2026.6.18 祝追記
アルバムペパーの冒頭の歌詞は、
『It was twenty years ago today』で始まります。
今から20年前の今日、彼は曲のタイトル通り、
『When I'm Sixty-Four』64歳でした。
曲の中で彼は『Will you still need me,When I'm sixty-four』
「64歳に成ってもまだ僕を必要としてくれるかい」
と歌ってます。
時はそれから10年過ぎ20年過ぎ、
『When I'm Eighty-Four』彼は84歳に成りました。
そして64歳どころか84歳に成っても、
ファンは彼の曲を愛し彼を必要としています。
アルバムペパーの最後の曲の歌詞に、
『We hope you have enjoyed the show』とあります。
『ショウを楽しんで頂けましたでしょうか』
答えは「もちろん」楽しんだどころじゃありません。
五橋中三年間で一年間だけH部君と同じクラスに成りました。
風の噂で最初の試験で一番を取ったのがH部君だと聞きました。
小柄でひょろっとした出で立ちながら眼光は鋭かったです。
天才・秀才・異才、見るからにただ者ではない雰囲気でした。
「ここは出る」とパスカルの原理を試験直前に話していました。
試験用紙に現れた案の定、目の付け所が違うなーと感心しました。
1970年の万国博覧会に行った写真を見せてもらったりしました。
後にサイコパスの存在を知って、思い浮かんだのがH部君でした。
中一時代唯一やる気スイッチを入れて頂いた英語の松山先生、
あれから丁度50年の2019年4月、
仙台行きの際にお会い出来ないかなーと思いました。
手元にある松山先生の情報は、
卒業アルバムの中の住所と電話番号だけでした。
しかも住所は旧表記で、
ネットで新表記に変換しても番地までは特定出来ませんでした。
仙台市内から思い切って電話を掛けてみました。
「突然で失礼しますが、
もしかして松山先生のご自宅でしょうか?」
すると聞き覚えのある声で、
「はいそうです。」と返ってきました。
「丁度50年前、
中一時代に松山先生の英語の授業を受けていた〇〇です。」
勿論、松山先生は私の事を憶えてはおられませんでしたが、
お会いしてお礼を申し上げたい旨を伝えると、
快く承諾して頂きました。
教えて頂いた住所と地図を見比べながら、
松山先生のご自宅に到着しました。
心を落ち着かせインターホンを鳴らすと、
室内から松山先生のお声が聞こえました。
「先程お電話致しました、五橋中学校の卒業生〇〇です。」
松山先生はお元気でおられました。
当時の五橋中学校は皆様もご存知の通り、
学業優秀な生徒が数多く居ましたが、
そんな中、私は学業優秀とはあまり縁がありませんでした。
ローマ字も書けなくて、
中一時代に初めて受けた松山先生の英語の授業、
丁寧で熱心さが充分に伝わって来る内容に、
やる気スイッチを入れて頂きました。
それからという一年間、松山先生の英語の授業を受けるのが
楽しみでしょうがなかったです。
他の教科の点数があまり良くなくても、
松山先生の英語だけは良い点を取る事が出来ました。
松山先生の英語の授業は、
そういうところに真価があったのだと感じます。
そのお礼を直接お伝えする事が出来てほんとに良かったです。
松山先生は、「あらー、教師冥利に尽きるわねー。」と、
優しく微笑んでおられました。
また、中学時代は知る由も無かった
松山先生ご自身の授業への葛藤も伺う事が出来ました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、
気づけば外が暗くなり出し、ご自宅をあとにしました。
是非またお会いしてお話ししたいと思いました。
仙台に行く楽しみが増えました。
干支が同じで二回り違う事も分かりました。
松山先生、お身体を大切にこれからも末長くお元気でいて下さい
。
その後、翌年2020年からコロナ期に入り、
仙台への移動は控えるように成りました。
コロナ期が明けた2024年4月、
仙台に帰った際に松山先生へ電話をしてみましたが、
留守電でお話は出来ませんでした。
更に一年後の2025年4月、
仙台に帰った際に松山先生へ再度電話をしてみましたが、
やはり留守電でお話は出来ませんでした。
ご自宅へ行ってみると、呼び鈴に反応は有りませんでした。
そばを通った宅配便の方に尋ねてみると、
「しばらく配達した事が無い」との事でした。
出来る事ならもう一度お会いしたいです。