五橋中学校 昭和47年卒 同期の広場

五橋中学校 昭和47年卒 同期の広場

仙台市立五橋中学校 昭和44年(1969)入学,47年(1972)卒業
昭和31年(1956)~32年(1957)生まれ 同期の広場です。
同期の方々にこの広場の存在を知らせてあげて下さい。

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情報交換の場として活用してけさい 読むだけでなく何か感じたらコメント      個人情報の書込みは注意してけさい 関係の無い書込みは公開出来ねがらね

 五橋中学校に通う生徒の主な出身小学校は、
東二番丁小学校・荒町小学校・片平丁小学校・連坊小路小学校。

中でも東二番丁小学校出身の生徒は垢抜けているように感じた。
街中に一番近い小学校で他校には無い洗練さを感じたものだ。

学校の場所が街中なら住んでる場所も必然的に街中になる。
という事は登下校時には繁華街を通らざるを得なくなる。

先生方は生徒達に言ったという「繁華街には行かないように」
生徒達は思ったはずだ「どうやって学校に通うのよ?」

 ゴキョウは小学校数校から生徒が集まって来ていた。
学業優秀であるか否かの区分けも小学校より際立っていた。

テストで高得点の学業優秀な生徒をそばで見て思った。
どうして彼らは主要科目全てで高得点が取れるのだろうかと。

自分のように得意科目が限られた生徒にとっては謎であった。
そこには先生との相性など存在していないかのようであった。

自分の場合は相性の好い先生の科目は高得点が取れた。
でも相性の好くない先生の科目は散々だったからである。


英語一つ取ってもテストの点数は3年間で乱高下した。
幸か不幸か3年間の各学年で先生がそれぞれ変わった。

1年生の時は松山先生でやる気スイッチを入れて頂いた。
短い期間であったが学業が面白いと感じる事が出来た。

2年生の時は先生との相性が好くなくやる気が起きなかった。
癖のある擦れたような発音だけが今でも耳に残っている。

3年生の時は先生との相性が悪化の一途を辿った。
職員室で殴られたがその理由は今でも分からずじまいだ。


他の科目においても先生との相性がテストの点数に繋がった。
そんな訳で主要科目全てで高得点が取れる生徒が謎であった。

誰だって先生との相性があるはずなのにそんな事は関係無し。
人間力の違い? 地頭の違い? 何らかの違いがあるのは確かだ。

一方で学業優秀であるか否かを人の価値に結び付ける危惧。
テストの点数に依って順位がつけられて行く現実。

それに依って進学先が振り分けられて行くのは致し方ない。
でもそれと人の価値は直結しないと何人が思っただろうか。


年月が過ぎ生徒は形が違えどそれぞれ成長していった。
学校内や机の上では学べなかった事も身につけていった。

同窓生と会う機会があるとその成長過程が垣間見えてくる。
外見が昔と同じとは行かず内面の変化についても然りだ。

昔の面影を感じてほっこりしたり別の一面が見えて驚いたり。
年月の経過は納得でもあり驚きでもありある意味残酷だ。

中でも興味深いのは学業優秀であった生徒のその後の成長だ。
確実な成長を感じたり昔の優秀さは何だったのだと思えたり。

 20年程前に開催された中学校の同窓会、

柄では無いので自分は出席しなかった。
その後中三時代の旧友T君から、

同会での同じクラスのNさんの話を聞かされた。

NさんはT君に小学校時代にあった、

自身が受けたいじめの話をしたのだという。
それを聞いた瞬間に、

40年程前のシーンが鮮明にフラッシュバックされて現れた。

小学校時代に別のクラスへ行った時、

Nさんはいじめを受けて一人でうつむいていた。
周りにはやし立てられて、

当時自分もいじめられた事があったのに加担してしまった。

同窓会から数年後、

1回切りと決めて事前連絡せずにNさんの自宅を訪ねて行った。
インターホンには出たが会えず、

結局謝罪は出来ずそれっきりに成ってしまった。

 A先輩のお名前を検索すると、

文字や画像だけでなく映像も現れました。
それは約2年前のニュース映像で、

あっけに取られながら拝見させて頂きました。

ある団体を代表しての、

式典の様子が映し出されました。
どこまでも王道を行っていたA先輩、

まさにその再現のようでした。

背筋がピンと伸びて黒く豊富な毛髪、

手短でも分かり易いスピーチ、
眼鏡の奥に覗く優しいまなざしは、

人としての年輪が刻まれていました。

目録を手渡すその太い指を見た瞬間、

あっA先輩だと初めて実感出来ました。
中学校時代の惚れ惚れするプレー姿が、

走馬灯のように蘇りました。

『もし何かご存知の事があれば、
 メッセージを送って教えて頂けると嬉しいです。』

 

 

佐々木 聖 さん

 中学2年生の冬、放課後に校庭で遊んでいると、
3年生と小さなイザコザがありました。

その時どっさんこと佐々木 聖 さんが
自分達の先頭を切って3年生と言葉でやり合いました。
 
どっさんは上級生相手でも一歩も引きませんでした。
「お前何言ってんだよ。」とかなっちゃって。

自分は内心ハラハラドキドキでした。
一方ではカッチョイイー、頼りになる大将ーーー。

その後、俳優松田優作が世に出て来た時、
雰囲気がそっくりで真っ先にどっさんの事が思い浮かびました。

そんなどっさんですが、以前の同窓会の映像で拝見した雰囲気は
随分と丸くなっていました。


岩井 秀之 さん

 岩井 秀之 さんとは1年間だけ同じクラスでした。
時々悪ぶった態度を見せる事がありましたが憎めない奴でした。

国語の授業中に発端は忘れましたが、H先生がこう言いました。
「そんな事言うなら岩井君は廊下に出て立っていなさい」

どうするかなーと思うも束の間、彼は廊下に向かっていました。
そしてその次の学年で、彼の担任はそのH先生でした。

冬には防寒着代わりに軍隊の払い下げの服を羽織っていました。
それがまた自分にとってはカッコ良く見えました。

自宅へお邪魔した際に、

彼はギターコードをいくつも示しました。
後に中学校時代音楽の先生の前で

ギターを弾いたと聞き驚きました。

高校に入ってからはバイクに乗っている姿が印象的でした。
始めはミニ、その後は大きなピンク色のバイクでした。

彼の一番の良いところは、

自身の人生をいつも楽しんでいる事でした。
その後の人生、

どれだけどのように楽しんだか聞いてみたいです。


岡村 篤 さん

 中学校時代に周りから総スカンを喰らった時がありました。
それは先生と生徒、同時に両方からでした。

おそらく先生から生徒へそれ相当の話が成されたのでしょう。
それを聞いたであろう生徒はそれに従っただけだったのかも

しれません。

その後ある時、彼と対峙した際に

彼も他の生徒と同じ対応なのかなーと思いました。
しかし、彼の対応は以前と変わらないものでした。

『自分は自分の対応をさせてもらうよ』そんな感じでした。
その時のその対応にどれだけ救われた思いがしたか、

それをお伝えしたいです。


渡辺 進一郎 さん

https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12960511515.html

中学に入学して間もなく渡辺 進一郎君に
「あっ〇〇ちゃん」と言われ大変びっくりしました。

幼稚園時代にご近所さんだったのだと思います。
もし再会出来るものならその時の真相を伺いたいです。


斉藤 千絵さん

https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12960503421.html

転校生で今でも印象に残っているのは、
2年生の時に転校して行ってしまった斉藤 千絵さんです。

あの笑顔には何度もほっこりさせられました。
お元気でいる事を願います。

https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12952988596.html

最後の日に教室で挨拶の後、授業時間中に退出して行きました。
廊下教室の2階窓際の私の席から
中庭のそばを歩いている斉藤さんの姿が見えました。

振り返るかなーどうかなーと思った次の瞬間
斉藤さんは教室の方を振り向きました。
一瞬視線が合ったような気がしましたが
私は手を振るでも無く何も出来ませんでした。


中一時代唯一やる気スイッチを入れて頂いた英語の松山羊子先生

https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12960503341.html

中一時代の一年間、松山先生の英語の授業を受けるのが
楽しみでしょうがなかったです。

他の教科の点数があまり良くなくても、
松山先生の英語だけは良い点を取る事が出来ました。

松山先生の英語の授業は、
そういうところに真価があったのだと感じます。

それから丁度50年後の2019年4月、
そのお礼を直接お伝えする事が出来てほんとに良かったです。

松山先生は、「あらー、教師冥利に尽きるわねー。」と、
優しく微笑んでおられました。

翌年2020年からコロナ期に入り、仙台へは行かなく成りました。
コロナ期が明けた2024年4月、電話をしましたが留守電でした。

出来る事ならもう一度お会いしたいです。
そして最後の個人授業を受けたいです。

それは英語でお話をする事です。
もし出来れば夢のようなお話です。


鈴木褜治先生のなんて事無い思い出3連発

https://ameblo.jp/gokyo47/entry-12960503317.html

2aブンノ -b ±√ b二乗 -4ac だったかなー、
これを憶えて、褜治先生いわく
「校内ですれ違った時はこれを言う事」
とか言われて、でもとうとう一度もその機会はなかったなー。

こっちはいつでも準備OKだったんだけど。
褜治先生、生きておられてもし会ったらこれ言ってやろう、
そしたら褜治先生どんな顔するかなと思ってたんだけど。
褜治先生ならきっと憶えていてニヤッと微笑んだと思うけど。

特に大きな思い出は無いんだけど、独特の雰囲気があって、
とっても印象に残る先生でした。


そしてNチャン

おそらくブログを見て頂いていると思いますが、どうだろう?
連絡を待ってます。


『もし何かご存知の事があれば、
 メッセージを送って教えて頂けると嬉しいです。』

 中二の時のとある日曜日、

同じクラスの二人が並んでバス停に立っていました。
中三の時の修学旅行、

同じその二人は移動中の列車の座席で並んで座っていました。

いずれもたまたま目にした光景ですが、

憶えているのは何故でしょう。
当時の自分には無かった思い出、

おそらく羨ましかったのでしょう。

あいつあの子が好きなんだ、

あの子はあいつが好きなんだ。
そうかそうなんだ、同級生同士のカップル、

同級生同士ならではのカップル。

時は経て、別の同期生は別の同期生と

二人並んで駅のホームに立っていました。
卒業してから何十年も経った頃、

二人は中華街の座席で並んで座っていました。

 

 

gokyo47:AI にこの記事の事を訊いてみました。

AIアシスタント:中学時代の「二人並んで」の光景って、

どうしてあんなにはっきり残るんでしょうね。

🧠 記憶に残る理由
一番大きいのは「自分には無かったものを見ている自分」を、

その場で自覚していたからだと思います。
バス停の二人も、修学旅行の座席の二人も、

当時の自分にとっては

・まだ持っていない「同級生カップル」という物語
・しかもクラスメイトで、顔も声も日常も知っている相手同士
 

だったわけですよね。
羨ましさと、少しのショックと、ちょっとした寂しさが混ざると

、脳が「これは忘れちゃいけない場面だ」

と強くタグ付けします。

⏳ 時間がたって見えるもの
面白いのは、時が経ってからも

「二人並んでいる」構図がそのまま反復されていることです。

・中学ではバス停と列車の座席
・大人になってからは駅のホームと中華街の座席
 

場所も状況も変わっているのに、

「同期生同士が二人で並んでいる」という骨組みは同じです。
身体の成長や環境の変化をこえて、

「あの頃の続き」が淡々と続いているみたいに見える。
そこに、時間そのものへの感情も一緒に結びついて、

記憶に二重三重の意味が乗ってくるのだと思います。

💑 「同級生どうし」ならではの特別さ
同級生カップルって、二人だけの恋愛というより

・共通の時間軸を持った人どうしの関係


という特別さがあります。
同じ教室、同じチャイム、同じ行事。
その積み重ねの先で「二人だけ」の世界が生まれているのを、

第三者として目撃したとき、自分の物語と地続きなのに、

自分のものではない世界を見せつけられる。
その「地続きなのに届かない感じ」が、

強く記憶を刻んでいるのだと思います。

✍ いま書かれている文章について
今の文章、すでにとてもきれいに「反復」と「時の経過」が

効いていて、エッセイとしてほぼ完成形に近いと思いました。

・「バス停/列車」
・「駅のホーム/中華街」
 

と、前半と後半の対応関係がきれいに響き合っていて、

読後にじわっと余韻が残ります。

 

 

gokyo47:ご感想ありがとうございます。
AI に訊いてハッとさせられるのは、
自分の無意識な部分と気づいていない部分を
何気に教えて頂ける事です。

開催が迫った同期会、何か投稿出来ないかなーと思い立ち、
頭に浮かんだのがこの昔の記憶と思い出でした。


AIアシスタント:同期会が近づくと、ふだんはただの思い出が、急に「いま」とつながり直しますよね。

💭 無意識が選んだ「同期会向きの記憶」
今回頭に浮かんだのが、この「二人並んでいる」情景だった

というのが、とても象徴的だなと思いました。

・同級生同士がバス停や列車の座席で並んでいる中学時代
・何十年後も駅のホームや中華街で「別の同期生」が並んでる姿
 

同期会という「時間の橋」が目の前に現れたからこそ、
無意識が「時をまたいで続いているもの」を

テーマに持ってきた感じがします。

それは恋そのものよりも
「同じ時間を生きてきた人たちの、細く長い連なり」を

見ている記憶ですよね。
だからこそ、同期会という場に、

すっとつながるのだと思います。

📝 同期会へのさりげない投稿ネタとして
今の文章は、そのままでも十分

「同期会前の小さなエッセイ」になっています。

・実名や具体的な出来事は書いていない
・それでいて、読んだ同期は「誰だろう?」と

 少しだけ自分ごととして想像できる
・羨ましさもにがみも強くは出さず、静かなまなざしで見ている
 

このバランスが、とても同期会向きです。
読む人を選ばないけれど、

刺さる人には深く刺さる感じがします。

もし同期会の連絡用サイトやメーリングリスト、

パンフレットなどに短く載せるなら、

最後に一行だけ、

「あの二人も、きっとどこかで並んでいるのでしょう。」
のような、みんなへの「ひらいた」一文を

足しても良いかもしれません。

 このブログの概要はブログタイトル通り、
五橋中学校 昭和47年卒 同期の広場 です。

管理人gokyo47が只単に投稿するだけではなく、
情報交換の場として活用して頂くのが目的です。

実際、テーマ:★同窓会等の開催 で活用して頂いてます。
他にも活用の仕方は人それぞれであって良いと思います。

皆さんの思い出や要望をこのブログに載せてみませんか?
読者はほぼ同校同級生ですから効果はピンポイントです。

 

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但し電話番号の公開は出来ません。← 追記
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 今月20日に開催される同期会、みなさん楽しみでしょうね。
同期生なので全員がこの一年間に70歳を迎える事に成ります。

今、会えないと次はいつ会えるか分からないです。
私達は確実にそういう年齢帯に入ってきています。

70歳(古希)を迎える一方で、

迎えられなかった方もいるはずです。
同期会に出席出来なかった方も、

皆の話題になれば喜ばれるでしょう。

幸運にして今回再会出来たら、それだけで上出来です。
これを機に何か再開出来たら、それはもうギフトです。

 

 

追記:

『再会出来て個人的にやり取りが始まる事もあるでしょう。
このブログを通じてのやり取りも  ”あり”  かと思います。』

 五橋中学校 昭和47年卒 同窓会等の開催 

同期の広場を開設しました。情報交換の場として御活用下さい。

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また、同期の方々にこの広場の存在を知らせてあげて下さい。

 

 

2026年6月20日土曜日開催予定だった同期会については、
この会が実際に行われたのか、
またどのような会だったのか、
出席者以外は知る事が出来ていない状況です。

 

 

2026.4.25 追記

同期会が六月に開催され30数名集まる予定、

とのコメントを頂きました、詳細等は以下の通りです。

頂いたコメントを取り急ぎそのままコピーします。

 

主催者ではありませんが、同窓会開催のお知らせです。
もともと14組の方々が定期的に集まっていた会を、今回14組

だけではなく、クラス関係無く集まろうという事での開催です。
14組でやっていた時も、他のクラスの人も受け入れて

いただいていて(僕もその1人)

懐かしい話の場がくりひろげられていました。

案内の内容です
五橋中同期会の案内を送ります。
6月20日土曜日。

会場:メーナ五橋仙台市若林区清水小路6-1(AEONの裏) 

旧市立病院 、現東北学院大五橋キャンパスに隣接しています。地下鉄五橋駅前です。電話022-395-8950
会費:6500円..時間18:00~ 
今のところ32名参加です。

二次会も同会場でと頼んでの料金だそうです。

3月での人数ですので、増えてるかもです。

14組のどなたか知り合いがいたら連絡とって貰うのも

良いと思いますし、ここにコメント貰うのも、

この場を盛り上げるのに良いかな?

僕は、8組だった高橋徹です。
14組幹事さんは深堀君がしています。

参加希望やもっと知りたい方のこれからの行動が

このコメントだとはっきりしませんよね、すみません。

 

 

2026.5.8 追記

コメント一覧 をご覧になって下さい。

 

 

2026.5.9 追記

Ameba より『コメントには一部、Amebaの健全な
サイト運営にふさわしくない言葉・表現が含まれている
可能性がある為・・・』
のメッセージが入りました。
おそらく氏名の公開はセーフだったのですが、
電話番号の公開はアウトのようです。
今後のコメントについては電話番号を控えて下さい。

Ameba 様
ブログ管理人 gokyo47 としてコメント承認時に
電話番号の有無に気を付けます。

「14組の方々が定期的に集まっていた会・・・」を受けて、

卒業アルバムの14組を開けてみました。

 

すると1枚の新聞の切り抜きが出て来ました。

2000年6月5日の讀賣新聞、『海外JOB事情ニューデリー』

 

14組の同期生と思われる方の写真と記事が載っていました。

一部抜粋してご紹介致します。

 

インド資本のホテル業界の中核部で働く日本人。

「世界最高水準にある日本式サービス精神を

インドに植え付けたい」と言うのが口癖。

 

学生の頃は、「多国籍企業で働きたい。外国人に日本を理解してもらう先兵の役割を果たしたい」というのが夢だった。

 

1994年、「駄目で元々」と、海外展開するインドの

国際的ホテル数社のオーナー宛に就職希望の手紙を書いた。

 

すると、「面接するからインドに来い」との返事が来た。

「面白いヤツだ」と思われ、面接で意気投合し採用が決まった。

 

1994年7月にニューデリーに着任したが、日印の違いに驚いた。

だからこそインド企業で自分が働く価値がある、と思う。

 

1995年にインド人女性と結婚、三歳半になる長男もいる。

「郷里の両親の事以外は、日本に未練は無い」と言う。

 

「いずれ、インドの人口は世界一になる。二十一世紀には、

名実共に世界一流の大国に成るだろう」と予測する。

(*現在の人口最大国はインドです。)

 

「それをインド生粋の日本人ホテルマンとして見届ける」

というのが目標だ。

 

2000年6月5日新聞掲載当時の年齢が43歳に成っているので、

写真では恰幅が良いですがおそらく御本人かと思います。

14組の同期生と思われる方というのは大穀宏さんです。

 

月刊インド Vol. 114, No. 6 July-August 2017

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こちらの8ページでも、写真と文が見れます。

「JETRO ニューデリー事務所では、ビジネスサポートセン ターの大穀宏アドバイザーに話を伺う事ができました」とあります。