五橋中学校 昭和47年卒 同期の広場

五橋中学校 昭和47年卒 同期の広場

仙台市立五橋中学校 昭和44年(1969)入学,47年(1972)卒業
昭和31年(1956)~32年(1957)生まれ 同期の広場です。
同期の方々にこの広場の存在を知らせてあげて下さい。

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「昭和47年卒 五橋中同窓会」が

平成16年(2004)9月18日に開催されてから21年が過ぎるよわ。

 

一時期あったネット上の掲示板が無ぐなりその代用どして

「五橋中学校 昭和47年卒 同期の広場」を開催中です。

 

情報交換の場として活用してけさい。

気になる学級やクラブ室に入って
気軽にブログ(黒板)にコメント(落書き)してけさい。

 

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また、同期の方々にこの広場の存在を知らせであげでけさいね。

1学年2学年組毎の先生方のお名前を憶えでいる方も

連絡してけさいね。

 五橋中学校2年生の時、

授業中に生徒の髪を切った先生がいました。
本名は出せませんが、あだ名は”マ〇〇”でした。

 

席がすぐそばのS野君に対し、

髪の毛が長いと言いながらハサミを取り出しました。
取り出すだけでまさか切る事はないだろうと

思う間も無く切り出したのでした。

 

えっーウソだろう、

ジョリジョリという音と共に無造作に切り続けました。
S野君を見るとなすすべ無く、目から涙が流れていました。

 

この出来事を思い出す時、

どうして自分はそばで黙って見ていたのだろうと後悔します。
「先生、授業中にそんな事をするのはやめて下さい」

ぐらいは言えたはずです。

 

もしS野君に会えたら謝りたいです。

「あの時は何も言えず黙って見ていて済まなかった」と。
一方もし”〇ムシ”に会えても何も言う事はありません。

おそらく憶えてもいないだろうから。

今回のテーマ:もし再度入学するなら五橋中学校に入りたいか?!

AIアシスタント

うーん、あなたの中学校時代の思い出が蘇って、

懐かしい気持ちになっているのですね!とてもよく分かります。

五橋中学校に再度入学したいかどうかは、その学校でどんな

経験をしたかによって、人それぞれ感じ方が違うと思いますよ。かけがえのない学生時代を過ごせたなら、「もう一度通いたい!」と思うかもしれませんし、そうでない場合は、

新しい学校で学びたいと思うかもしれませんね。

 

🏫 五橋中学校での経験、どうだった?

 

良い思い出があればもし五橋中学校があなたにとって

楽しくて充実した場所だったなら、再入学は素晴らしい選択

かもしれませんね。昔の友人に会えたり、もう一度学校生活を

謳歌できるのは魅力的です。

新しい経験を求めるなら:もし、違う環境で新しいことに挑戦

したい気持ちがあるなら、別の学校を選ぶのも良いでしょう。

新しい出会いや学びに心を躍らせることができるはずです。

 

中学校時代とは別の選択肢も

 

もちろん、大人になった今は、中学校とは全く違う

学び方や経験の場がたくさんあります。例えば、

・もう一度勉強するなら専門学校や大学で自分の興味を深める

・趣味のサークルや習い事で新しいことに挑戦する

・ボランティア活動に参加して社会と関わる

等、自分に合った方法で充実した時間を過ごす事ができますよ。


👉️ あなたが五橋中学校でどんな思い出があるのか、

もう少し詳しく話してみましょうか?



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先ずは管理人gokyo47から行ぐすか。

 

答えはイエス、もし再度入学するなら五橋中学校に入りたいです

。あれほど優秀で興味のそそられる集団は他に無かったです。

良い思い出と悪い思い出が半々ですがそれでも魅力的です。

もしやり直せるなら少しは改善の余地があるかと思います。

 数年前、昆虫のカマキリに何度か出会いました。
その時、五橋中学校の山合先生を思い出しました。

 

逆三角形の顔立ちで、あだ名が”カマキリ”でした。
隙が無く独特の言い回しで鎌を刈るが如きでした。

 

ある時、先生はテスト作成指針についてこうおっしゃいました。
「自分が作るテストは100点も0点も取らせない」と。

 

100点は取れないけど0点は取れるのではと思いましたが、

結局どちらも取れませんでした。


100点を取れなかったのは学力が無かったから、

0点を取れなかったのは意気地が無かったから。

今回のテーマ:通信簿の想い出

AIアシスタント

通信簿の思い出についてですね。多くの方にとって、

通信簿は学校生活の記憶と深く結びついています。

懐かしさを感じる一方で、

評価のあり方について考えさせられることもありますよね。

 

🏫 通信簿とは

通信簿(通知表とも呼ばれます)は、

児童生徒の学校での学習や生活の状況を、

保護者の方に定期的に伝えることを目的としています。

学校と家庭が協力して子どもの教育にあたるための

大切なツールなんです。

 

💡 昔と今の通信簿の違い

保護者の方の時代と比べると、

今の通信簿にはいくつか変化があります。

 

評価方法の変化
・昔は「相対評価」が一般的で、

クラス内で最高評価をもらえる人数や割合が決まっていました。
・今は「絶対評価」が導入されており、

各学校が定めた基準に基づいて評価が行われます。
評価の示し方
・3段階や5段階、◎○△のような記号、

数字(321)、アルファベット(ABC)など、

学校や学年によって様々な表現方法があります。
 

📝 先生からの「所見」

通信簿の所見欄は、

先生が子どもの学校での様子や頑張りを具体的に記す部分です。日頃見る事のできない学校での振る舞いや言動が書かれている為

、保護者の方にとっては特に楽しみにしている項目でもあります。

 

🗣️ 言葉がけの大切さ

通信簿を受け取った後、先生や保護者の方からの言葉がけは、

子供の受け止め方に大きく影響します。評価の内容だけでなく、子供への伝え方にも少しの気遣いが大切です。

ご自身の通信簿の思い出を振り返ってみると、

どんなことが心に残っていますか?

 

 

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先ずは管理人gokyo47から行ぐすか。

 

 五橋中学校1年生の時に一度だけ通信簿で1を頂きました。
成績が一番ではなく、その逆で5段階評最低の1です。

 

急病で期末テストを受ける事が出来ず、
その後学校へ行ったら、音楽の縦笛の演奏実技試験があり、
全然一度も吹いた事のない曲を楽譜も読めずに

(今も読めないのですが)吹ける訳もなく、
1学期の音楽の通信簿は見事1でした。

 

学校時代2はいくつかもらった事がありましたが、
1はそれひとつだけで今でも記憶に残っています。

 

普通だったら音楽とはそれで「はいさようなら」だったですが、
幸運にもその後に良い音楽との出会いがありました。
それだから人生は面白い、感謝しています。

 

対照的に同じく中学校1年生の時に1と共に5も頂きました。

先日再確認したらその学年で12345すべて頂いていました。

なんちゅう生徒やねん。

 冬季五輪、Gokyo関連で幾つかの事を思い出した。
時は1972年(昭和47年)冬、

私達は高校受験の直前真っ只中だった。

聖火リレーが行われたかと思う、小雪が舞っていたかと。
確か生徒会長がその大役を全うしたかと、記憶が合っていれば。

一世一代の非常に誇らしい事だったのでは、

ご本人はどう感じていたか。
生徒会長とはこういった時のためにもいるのかと、

非常に羨ましかった。

高校受験を前に一日七時間授業とか、放課後の補習授業とか。
休日にも特別補習授業があったような、無かったような。

そんな最中に日の丸飛行隊の表彰台独占。
国旗を3本並べたのを見た記憶は受験勉強の暗記よりも尊い。

日にちを調べてみたら2月6日の日曜日、丁度54年前の今日。
おそらく休日特別補習授業があった日だったのでは。

金メダル笠谷幸生選手の飛行フォームのキレイだったこと。
当時はスキー板がピッタリとくっ付いていた。

時は過ぎて1998年の長野オリンピック、

再び日の丸飛行隊の大活躍。
スキー板はV字飛行で開いていたが、

船木和喜選手のフォームのキレイだったこと。

 五橋中学校3年生になって、数学で√(ルート)を

習い始めたのですが、√1からずらずらずらっと√何百まで

A3の大きい用紙だったかな?
それを授業中に各自解かされたわけです。

 

そして褜治先生に一人ずつ前に呼ばれてチェックされたのです。
大抵の人は最初から順にやっていくんだろうけど、
私は難しいとこは飛ばして、

簡単に分かる所からやって行きました。

 

私の番が来て呼ばれ前に行くと、

褜治先生は「ほー、こう来たか」
みたいにチェックして頂きました。
なんて事無いんだけど、それが褜治先生との第一次遭遇でした。

 


次は、正確には忘れちゃったけど、何とかの定理があって、
2aブンノ -b ±√ b二乗 -4ac だったかなー、
これを憶えて、褜治先生いわく

「校内ですれ違った時はこれを言う事」
とか言われて、でもとうとう一度もその機会はなかったなー。

 

こっちはいつでも準備OKだったんだけど。
褜治先生、生きておられてもし会ったらこれ言ってやろう、
そしたら褜治先生どんな顔するかなと思ってたんだけど。
褜治先生ならきっと憶えていてニヤッと微笑んだと思うけど。

 


また、職員室で成績表を渡されていたら、

横から褜治先生が通られて、
「おっ、〇〇のちょっと見せてみて」とか言われて。

 

私は3年生の時、成績があまり良くなくて、

1年生より100番くらい下がったかな? 
「んーん、そうかー」

てっきりハッパ掛けられるのかと思ったら、他の先生みたいに

なんだかんだガチャガチャとは言わなかったです。

 


特に大きな思い出は無いんだけど、独特の雰囲気があって、

とっても印象に残る先生でした。
そんな褜治先生に個人授業を受けた生徒がいるらしい、

なんとも羨ましいーーー。

 

漢和辞典で調べたら、たぶん「えな」だと思います。
胞-えな-胎児を包む薄い膜。と言うことは、

褜治-包み込むように治める、しずめる、平和にする。
名は体を表すと言うか、褜治先生にぴったりです。

今回のテーマ:1クラス50人がもたらすもの

AIアシスタント

1クラス50人という状況は、教育現場やその他の様々な場面で

言及されていますね。特に教育の文脈では、

時代によってその意味合いが大きく異なるようです。

 

🏫 過去と現在の教育現場における1クラス50人

昭和の時代には、1クラス50人という大人数でもクラス運営が

成り立っていました。これは、当時の学校が「娯楽の場」であり

、「知識の独占源」であったため、先生は知識の提供者として

絶対的な立場にあり、子どもたちはそれを受け入れる側という

シンプルな構図が機能していたためです。

 

しかし、現代の教室では状況が大きく変わっています。

娯楽は多様化し、学びの手段も増え、

先生の役割は「学びの伴走者」へと変化しています。

 

さらに、現代の教室には発達障害の可能性のある子どもや日本語の支援が必要な子ども、家庭環境に課題を抱える子どもなど、様々な背景を持つ子どもたちが共に学んでいます。

 

このような多様性の中で、個々の生徒に目が届きにくくなる為、

1クラス50人という人数は先生方にとって大きな負担となる

可能性があります。実際、先生を対象としたアンケートでは、

効果的に指導できる1クラスの人数は21人~30人が半数以上を

占め、10人~20人を理想とする声も多くあります。

 

 

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先ずは管理人gokyo47から行ぐすか。

 

当時の五橋中学校は1クラス50人以上だったかと思います。

学力やその他の能力が異なる生徒が多数集まっていました。
その事でそれまで出合えなかった人にも出会えたはずです。

 

一つ挙げれば、学力が優れた人はどんな先生が相手でも

一定の良い成績を上げられるのだなーと、感心しました。

自分のように成績は先生次第の生徒には適わない事でした。

 中一時代唯一やる気スイッチを入れて頂いた英語の松山先生、
あれから丁度50年の2019年4月、

仙台行きの際にお会い出来ないかなーと思いました。

 

手元にある松山先生の情報は、

卒業アルバムの中の住所と電話番号だけでした。
しかも住所は旧表記で、

ネットで新表記に変換しても番地までは特定出来ませんでした。

 

仙台市内から思い切って電話を掛けてみました。
「突然で失礼しますが、

もしかして松山先生のご自宅でしょうか?」

 

すると聞き覚えのある声で、「はいそうです。」と返ってきました。
「丁度50年前、中一時代に松山先生の英語の授業を受けていた

〇〇です。」

 

勿論、松山先生は私の事を憶えてはおられませんでしたが、
お会いしてお礼を申し上げたい旨を伝えると、

快く承諾して頂きました。

 


教えて頂いた住所と地図を見比べながら、

松山先生のご自宅に到着しました。
心を落ち着かせインターホンを鳴らすと、

室内から松山先生のお声が聞こえました。

 

「先程お電話致しました、五橋中学校の卒業生〇〇です。」
松山先生はお元気でおられました。

 


当時の五橋中学校は皆様もご存知の通り、

学業優秀な生徒が数多く居ましたが、
そんな中、私は学業優秀とはあまり縁がありませんでした。

 

ローマ字も書けなくて、

中一時代に初めて受けた松山先生の英語の授業、
丁寧で熱心さが充分に伝わって来る内容に、

やる気スイッチを入れて頂きました。

 

それからという一年間、松山先生の英語の授業を受けるのが

楽しみでしょうがなかったです。
他の教科の点数があまり良くなくても、

松山先生の英語だけは良い点を取る事が出来ました。

 

松山先生の英語の授業は、

そういうところに真価があったのだと感じます。
そのお礼を直接お伝えする事が出来てほんとに良かったです。

 


松山先生は、「あらー、教師冥利に尽きるわねー。」と、

優しく微笑んでおられました。
また、中学時代は知る由も無かった

松山先生ご自身の授業への葛藤も伺う事が出来ました。

 

楽しい時間はあっという間に過ぎ、

気づけば外が暗くなり出し、ご自宅をあとにしました。
是非またお会いしてお話ししたいと思いました。

仙台に行く楽しみが増えました。

 

干支が同じで二回り違う事も分かりました。
松山先生、お身体を大切にこれからも末長くお元気でいて下さい

 

 

その後、翌年2020年からコロナ期に入り、

仙台への移動は控えるように成りました。

 

コロナ期が明けた2024年4月、

仙台に帰った際に松山先生へ電話をしてみましたが、

留守電でお話は出来ませんでした。

 

更に一年後の2025年4月、

仙台に帰った際に松山先生へ再度電話をしてみましたが、

やはり留守電でお話は出来ませんでした。

 

ご自宅へ行ってみると、呼び鈴に反応は有りませんでした。

そばを通った宅配便の方に尋ねてみると、

「しばらく配達した事が無い」との事でした。

 

出来る事ならもう一度お会いしたいです。

今回のテーマ:公立中学校と私立中学校の違い

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公立中学校と私立中学校には、運営主体、学費、教育内容、

通学区域などに大きな違いがあります。

 

🏫 運営主体と学費

公立中学校は国や地方公共団体が運営し、教育委員会が管理しています。授業料は無償ですが、給食費や教材費などで

年間約13.2万円(3年間で約40万円)がかかります。また、

高校受験のための塾代が追加で約100万円かかる場合もあります。

 

一方、私立中学校は各学校法人が運営しており、

学校ごとに独自の教育方針を持っています。学費は

年間平均約143.6万円(3年間で約430万円)と高額ですが、

国や自治体からの補助金制度を利用できる場合もあります。

 

📚 教育内容と特色

 

公立中学校の教育

公立中学校は文部科学省の学習指導要領に基づき、

全国共通のカリキュラムで基礎学力の定着と高校受験に向けた

学習が中心となります。地域のすべての生徒が対象となるため、

学力や家庭環境の異なる多様な生徒が集まり、

社会性や多様な価値観を学べる環境です。校則は比較的緩やかで

、制服以外の服装やアルバイトが認められる学校も多いです。

 

私立中学校の教育

私立中学校は学校ごとに独自の理念や校風があり、

特定の分野に特化した教育や大学進学に焦点を当てた

カリキュラムを提供しています。中高一貫校が多く、

高校受験がないため、大学受験に向けて6年間一貫した

指導を受けられるのが特徴です。学習レベルが高く、家庭学習が必須となるなど、多くの学習量が求められる傾向があります。

施設や設備も充実している学校が多いです。

 

🧭 進路と受験

 

公立中学校の進路

公立中学校からは、公立・私立問わず多様な高校に進学できます

。高校受験が必要となり、内申点を上げる努力も重要になります

。地域との関わりのなかで育つ体験ができ、学力面だけでなく、部活動や地域活動を通して人間的な成長も期待できる環境です。

 

私立中学校の進路

私立中学校では、大学受験を見据えたカリキュラムが組まれて

おり、特に中高一貫校では高校2年までに高校内容を終え、

高校3年を大学受験準備に充てるところが多いです。

特定の大学への推薦枠を持つ学校や、難関大学への進学実績が

豊富な学校もあります。中学受験では学力試験が課され、

入学前からある程度の学力が求められます。

 

 

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五橋中学校は公立中学校で文中にもあるように、
『学力や家庭環境の異なる多様な生徒が集まり、
社会性や多様な価値観を学べる環境です。』

振り返れば五橋中学校の一番の魅力はそこでした。
生徒数も多く他校と比べてその幅はより大きく、
今まで所属した集団の中では群を抜くものです。