
今日 洋なしを剥いて食卓に出したんですが
その時の私と息子の会話です

「何?コレ」
「梨だけど洋梨だよ」
「梨なのに用無しってひどくない?」
「え
」おもしろくて大笑いしてしまいました

このあと息子にはちゃんと説明しましたよ(^∇^)
私の言い方が悪かったのかもしれませんが、息子の勘違いでした~

今日 五木寛之さんの「生きるヒント」を読みました。
まだ全部読み終わってないのですが今日読んだところが
こころに残ったので、それを書かせていただきます(‐^▽^‐)
「悲む(かなしむ)」という章のところです。
マーク・トウェイン(アメリカの作家)の言葉の中で
「ユーモアの源泉は、哀愁である」
というのがあるそうです。
この言葉を受けて
私たちが本当に明るく生きるためには暗さを直視する
勇気を持たなければならないのではないか
本当の喜びというものを知る人間は
深く悲しむということを知っている人間なのではないか
というところに心を動かされました

そしてとても興味深いアサガオの研究家について言及されるのですが
アサガオがどうして朝決まった時間に見事な大輪の花を
咲かせるのだろうと疑問を持った女性がいて
その研究を大学でも続けさらに研究者になって追求した
感動の挿話である、
アサガオは朝の光を受けて花開くように考えられて
いますがその研究家のたゆまぬ実験の結果
光とかあたたかい温度、そういうものだけでは
不充分だということがわかったそうです
アサガオのつぼみは朝の光によって花開くのではなく
それに先立つ夜の時間の冷たさと
闇の深さが不可欠であるという報告だった、とのこと
この一文を読んで心が震えました。
人間にも当てはまる
と思えたからです。そこで以前読んだ本の記述も思い出したんです。
応答形式の本で〈みんなから仲間外れにされて悩んでいる〉という
質問者への答えが
この経験は自分がどれだけ
「自分を嫌いになれるか、どれだけ他人を嫌いになれるか」
のレッスン中なんだ、ということ
白を認識するためには⇔黒を知ってないと区別がつかない
甘いという味⇔苦い味との比較で判別
徹底的に自分を嫌いになる⇔自分を好きになる(効果的な方法)
どんなとき、どんなことが起きても
この経験は〈自分を好きになる、自分をまるごと受け止める〉
というゴールに向かうための通過地点に過ぎない
これだけ嫌いになれるなら
好きになったときのパワーもスゴイ
ということを想像してほしい、とのこと
とても感動して〈目からウロコ〉だったのを思い出しました。
自分を嫌うって辛いと思います

それでも自分のことをわかってくれる、理解してくれる
そういう人がたった一人でもいい・・いればいいですが
誰もいなかったらみじめです。
自分が自分のことを嫌ってしまったら
一体誰が自分を大事にしてくれるんでしょうか
上記のように今は自分を好きになるためのレッスン中なんだ!
と思いながら負けそうになる自分を鼓舞してきました。
辛い経験もいっぱいしましたが
全部ムダではなかった!と思ってます。
これからもいろんな勉強しながら精進していく決意です。