JR広島駅から乗って宮島口に到着。

JRの船は宮島の大鳥居がナイスなロケーションで撮れるとか。

結構いっぱいの人

ザッとみても半分は日本人以外。

快晴に恵まれ気温も23℃くらいのいい陽気

JR西日本の船は、大鳥居に接近する、大鳥居便

赤い大鳥居が見えて、船の上ではカメラ構えて撮影会

宮島に到着

史跡及名勝

宮島、天橋立、松島の日本三景

カミさんのリクエストは、大鳥居の真下に行きたい。

当初、歩いて大鳥居の真下に行くことを計画していたカミさん、

潮位が100cm以下で歩いて行けると言われており、この日の潮位表は15:30~16:00くらいに100cm以下になる表示。

そこで海の上から艪櫂船に乗って大鳥居をくぐろう。

@1500円だったかな。

前の艪櫂船が大鳥居をくぐったところ。

2艘ある艪櫂船のもう1艘に乗って出発。

笠木の両端には太陽と月の紋章が描かれていて、

東側が太陽、

社殿から約160mの場所、高さ16.6m、棟の長さ24.2m、主柱の高さ約13.4m、主柱まわり9.9m、総重量は約60t、

木造の鳥居としては、日本最大。

扁額は、有栖川宮熾仁親王が書いたもの

左右の昇り龍と降り龍には、黒漆が塗られている。

大きさは、縦2.6m

 

東側の主柱の横、樹齢 500 年を超えるクスノキは、間近に見ると迫力満点。

令和元年6月に始まった大鳥居の修繕に合わせた調査で、

8代目とされていた現在の大鳥居が9代目であることが分かった。

そして、シロアリ被害が想像以上に深刻で根元の幹周り約8~10mの両主柱のクスノキに最大直径0.4~0.5m、深さ約4mの大きな空洞があったが、令和4年12月に大鳥居修理工事竣工。

袖柱は、杉の自然木

くぐると反対側の扁額は、厳島神社が

いつき島にまつれる神という意味から伊都岐島神社と書かれている。

船頭さんは、日本語と英語でご案内。

大鳥居をくぐり、海側から厳島神社に参拝。

社殿のほぼ正面全容が、こちら側から見えるなんて

すばらしい~

参拝が終わり、艪櫂船は再度、大鳥居の方向へ艪を櫂て進みだす。

 

今度は、社殿を背にして大鳥居をくぐる。

海上を参道にして参拝。

もう一度、大鳥居を見上げ、撮ろうとすると・・・

ちょっとした波がきた。

小さい船なので影響がもろに。

天候悪いときは、艪櫂船はお休みのようです。

こちら側の主柱も近くで見るとやはり迫力あり。

海の上で、大鳥居を見上げる素敵な時間、

店員約20名の小さな船で特等席から社殿を見た気分。

そして、戻って上陸。

地上の参道で、社殿へ。

昇殿料を支払い皆の流れに合わせて、前へ前へ。

祭神は、市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命の三女神。

海の神、交通運輸の神、財福の神、技芸の神等として厚く信仰されている。

祓殿から見る平舞台方向へ美しい朱色の回廊を進んでいく。

拝殿前は、撮影禁止。

鏡の池

嚴島八景(鏡池秋月)に選ばれ、完全に引くと真ん中に丸い鏡のような池が現れる。。

五重塔が水面にも少し写っている

楽坊と門客神社の間から見た大鳥居

なにせ平舞台の先、大鳥居の真正面は撮影者の大行列。

平舞台側から見た、本殿と奥の五重塔

 

西回廊から反橋

勅使が渡る橋

反橋のあの角度を上り下りするって尋常じゃない。

西松原から見た厳島神社・五重塔・豊国神社 千畳閣

艪櫂船では、大鳥居の反対側には回らなかったため、

西松原から笠木の反対側の月の紋章を確認。

きれいな三日月の紋章。

大願寺

本堂には、国の重要文化財である仏像が四体あり、その中の薬師如来坐像は、弘法大師作と伝えられている。

このお寺で目惹いたのが、本堂軒下の1/25 錦帯橋の模型。

明治時代に開催されたパリ万国博覧会に出展もの。

カミさんに言われないと気が付かなかった。

三原から新岩国に新幹線に乗ってわざわざ行った甲斐があった。

へーっ
大願って厳島神社を護るってことらしい。
戦国時代以来、厳島の寺社造営の任にあたり、江戸時代には、棚守・座守とともに重要な役割だった。

厳島神社 五重塔
室町時代の1407年創建

高さ27mの五重塔、
隣には、千畳敷の建屋がある。
本来は経堂になるはず?
秀吉が戦歿将兵の慰霊のための経堂建立を命じたが途中で死去で中断。
壁板も天井板もないまま
これがまたいい

江戸時代から土産物として始まった宮島のしゃもじ、
由来は、厳島神社の弁天様の琵琶に形が似ているってことのようです。
さて、宮島到着から約2時間、お昼タイーム