錦帯橋から高速バスで広島バスセンター到着、

そこから向かったのが 広島平和記念資料館。

館内の展示内容の知識もなく入館し、すごく衝撃を受けて退館。

もうすぐ17時、閉館まで2時間

見学者多く行列もあり得ると聞いたが、そんなに人いないか?

と中に入ると、やっぱり並んでいた。

チケット代を支払い、右手のエスカレータから常設展示室へ

見学順路に沿って歩く・・・

被ばく前の広島から始まる。

現在の原爆ドーム、当時は、広島県産業奨励館。

一つ一つの展示が驚く事実ばかりで、足を止め、よく読んだり見たり、

コーナーは、1発の原子爆弾に。

 

速足で、サァーっと通り過ぎる人は見かけず、

皆、ショックを隠せない感じ。

米軍が1945年10月~11月撮影した当時の様子。

これまで、写真等で見たことはあるにも拘らず、

ここで見たもの、とにかくショックを受けた。

爆心地の原爆ドーム

もともとの名前は、広島県産業奨励館という県の物産館みたいなものだったのでしょうか。

戦争が激しくなった1944(昭和19)年3月には産業奨励館としての業務が廃止され、

内務省中国・四国土木出張所や広島県地方材木・日本材木広島支社などの統制会社の事務所として使用した場所。

円形ゾーンで1945年8月6日に核爆弾リトルボーイが投下されたイメージが映されている。

ウワーって

気持ちで見ていた

ここから先、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や絵などの資料が展示。

凄惨な写真等はとても写そうとは思えず、ただただ内容を読んで見て廻った。

現在、ロシアがウクライナに侵攻し、戦術核が使われるのではと懸念されている。

北朝鮮もしかり・・・愚か

そんな災禍から立ち直った広島市

すごいな

このあたりを見ながら、できるだけ早く、外の空気を吸いたい気持ちになっていた。

それほど心を締め付けられていた。

誰かのブログで読んだ記述に

ピカドンが落ちたとき、突然の強烈な光が襲ってきて頭を下げた絵が掲示されてたが、

これは、炸裂した瞬間、超高熱で周りを吹き飛ばすすさまじい威力の火球が発生すると同時に、

放射線が周囲の空気に衝突して青白く光らせて光の津波のような閃光が起きる

ともだちの記憶のコーナーは、生き残った人が、突然失った人との記憶などが書かれてたり、悲しいものばかり。

東日本大震災の津波で襲われた人とも通じるものも感じたが・・・

とにかく惨い。

館内の見学 1時間強、多くの心はしんみり。

原爆死没者慰霊碑前で合掌

外人さんは、撮影するため並んでた。

真ん中に平和の光、その向こうに原爆ドームが見える。

 

 

平和の光の炎が消えるとき、核兵器がなくなり戦争がなくなったことを示すそうです。

原爆の子の像

周囲には、多くの千羽鶴

塔の中にも鶴が。

前日と反対岸から見た原爆ドーム

広島平和記念館を見た後の景色は、きれいでもあり悲しくもあり。