まったり読書空間
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ステレオタイプ

 前回の書き込みとリンクするのですが、今、宮本常一の「忘れられた日本人」を読んでいる訳であります。宮本常一って人は記録に残らないような人に話を聞いて、それを記録した人なのですが、実際に読んでみるとこれがすごいんだな。佐野眞一さんが「僕は、だから、書く。」の中で「記憶に残るものしか記録できない」という宮本の言葉について語っておられたのですが、宮本常一もメモを基本的に取らないインタビュー方式だったそうです。(お弟子さんが横でメモを取ることもあったようですが)
 でなにが、すごいかっていうと「なんでそこまでしゃべってもらえるの?」という話がわんさか出てくるわけです。その相手の懐への飛び込み具合がすごいんです。

 今日とある老舗にインタビューにいったのですが、まあまがいなりにも下準備をしていくわけですね、こういうときは。どんな製品を作っていて、ご主人はどんな人でとか。でも調べているとほとんど同じ切り口な訳です。京都の老舗で創業何年、全国的に見ても独自の製法で・・・てな具合で。
 まあすぐに影響を受ける私のこと、今日はできればステレオタイプな質問はやめて、ご主人自身の話を聞ければいいなあと思っていたのです。そうしたら結構いろいろ面白い話をして下さったんです。前職から、その仕事に移った経緯や、いまやりたいこと(実は商売と直接結びつかないことだったりするのですが)などなど。記事に出来ない話もいっぱいあるのですが、貴重な時間を割いて話して下さったことに感謝です。いやー、でも今日のインタビューは楽しかった。これで記事を書かなくて良ければ最高なんだけど(笑)。
めざせ! 宮本常一! (すいません、ほんの少しアルコール入ってます)

だから、僕は、書く。 佐野眞一著

だから、僕は、書く。
平凡社 ¥1,300- +税

 図書館で他の佐野さんの本を探していてたまたま手に取ったのですが、佐野さんのノンフィクションに対する考え方とか、仕事の進め方などがぎっしりと詰まった本で読みごたえがありました。
(ちなみに元々探していた本は「あぶく銭師たちよ」(ちくま文庫)という本で、細木数子さんほか計6人の現代の錬金術師たちをドキュメントしたもの。こちらも佐野ワールドが満喫できる1冊です)

 「だから、僕は、書く。」の特色は、主な内容が林野庁・文部科学省共催の「森の“聞き書き甲子園”」という高校生が森に関わる方にインタビューして記録をまとめるという企画の研修会で、佐野さんが話されたことを中心にまとめた本であるというところ。高校生に「聞き書き」とはどういう事なのか、ノンフィクションとは、インタビューとは何なのか、書くことの心構えみたいなことを、佐野さんの経験に基づいて話されており、説得力があることはもちろんですが、佐野さんの本を1冊でも読んだことがあるならば、その取材過程の綿密さとか、メモを取らないインタビュースタイルなど、そのノンフィクションがどのように産み出されたかの裏側を窺い知ることができて、その点も興味深く読めます。
 また内輪話で申し訳ありませんが、編集ライター講座の受講生にとっては宮本常一を追うにあたってのエピソードが詳しく書かれているので、授業を思い出しながら宮本常一について知識を深めることができます、はい。

 特に印象に残った部分から引用をば・・・
 『だれが「本」を殺すのか』のなかで、僕がいちばん書きたかったのは、本というのは1冊では絶対に本にならないということでした。本と本との影みたいなものが、実は本なんです。

 読後『だれが「本」を殺すのか』を再読したくなったことと、宮本常一著「忘れられた日本人」(岩波文庫)を買ってきたことを付け加えておきます。
 また「だから、僕は、書く。」には、続編「だから、君に、贈る。」という本もあり、こちらは佐野さんがNHKの「課外授業 ようこそ先輩」に出演され、母校の小学校に行かれたときの話を中心に書かれています。こちらも読みごたえがありますので、興味のある方はどうぞ。
 

「待つ」をやめるとき  田中俊英・金城隆一・蓮井学 編著

「待つ」をやめるとき
さいろ社 ¥500-(税込)

なんせ32ページしかない本なので、これは本というよりも冊子と言った方が当てはまっているかもしれない。でも何かの因果で手にとって紹介したいと思ったので載せておこう。

最近新聞などで「ニート」という言葉が目に付く。学校にも通わず、仕事に就くための専門的教育も受けていない、働く意志のない若者のことだが(なんてステレオタイプの書き出しなんだ・苦笑)、「登校拒否」「不登校」「社会的引きこもり」「ニート」と流行のように呼び名が変わる青少年支援の現場での試行錯誤を、実際に現場に関わる3人の著者の討論を中心に1冊にまとめている。
特にその論点の中心は「待っていれば青少年は自主的に動き始めるのか」という問題で、ひきこもりやニートと呼ばれる若者の支援の常套手段として、「待つ」「見守る」という方法が一般的な状況の中で支援のあり方について一石を投じる内容となっている。
ニート問題に詳しい方の中には、「ニート」と「ひきこもり」はイコールではないんじゃないのと思われる方もおられるだろうが(実際に、玄田有史・曲沼美恵著「ニート~フリーターでも失業者でもなく」の中では、実際にニートの全てが引きこもりでないことが記されている)、その点については本書では時代を追って、登校拒否や引きこもり問題を追っているので理解しやすいかもしれない。本文中では、親和性が高いという表現を使っているが、「ニート」という言葉の登場で一連の問題に対する施策や議論が活性化したと評している。
ニート問題に関心がある方はご参考に。

ニートに興味があったことはもちろんなのだが、この本を紹介したかったのにはもうひとつ理由がある。「さいろ社」という出版社が気になっているからだ。
神戸にある医療問題を中心に出版している小さな会社なのだが、出版社を1年で辞めてしまった二人が一から立ち上げた出版社なのである。
http://www.sairosha.com/index.html
サイト内の「さいろ社とは?---その歴史と真実」を読めば、なれそめが分かるので是非。

「京のわる口、ほめころし」~京の不思議と素敵な話 石橋郁子著

京のわる口、ほめころし

淡交社 ¥1,600+税

前回の書き込みで、本を読むときに「書くに至った時間を読むようになった」と書いたが、この本は著者が子供の頃からの実際に京都の家庭で生まれ育った経験を元に書かれたエッセイだ。実際に目の当たりにしてきた近所づきあいから、しつらい、風習などを通し、京都の底に流れる心のあり方を解説している。読後感の爽やかさは特筆すべきものがあり、背筋がすっと伸びるような気がする。
著者は、団塊の世代と書かれているので、子供時代の経験というのはおそらく昭和30年代中心と思われるが、つい40年ほど前には当たり前行われていた(と思われる)京都の暮らしぶりが手に取るようにわかって興味深い。昭和40年代生まれの自身の経験と照らし合わせて、「そうそう」と同感できる部分もあれば、目からウロコの話しもあり、急激に失われていった生活習慣やそれに伴う人間関係について京都というフィルターを通して考えさせられる。その部分については、著者自身も非常に危惧している部分で、いかに京都の心のあり方を伝えていくか、この部分にこの本の主題があるような気がする。

数ヶ月前、「町家の文化をいかに継承していくか」という内容のシンポジウムを覗いた。最近の京都ブーム、町家ブームは、旧来の京都の町家の外見的価値を再認識させるという意味では大きな役割を果たしたといえるが、本来そこで営まれていた職住一体の生活にあった家族も含めた人と人との関係については、見直される機会はあまりない。シンポジウムでもその部分が最終的に焦点となった。
京都以外の資本も入り、町家の価格を釣り上げていく。町家バブルとも言えるそんな現在の京都の状況を考える上でも、良い参考書になるように思う。

更新しなきゃ

ブログを立ち上げたとは言え、この更新状況じゃイカン。
雑記でも書いておくかと思ったのだが、急ぎの原稿をあげてビール飲んじった。しかも2本。
あー、どうも時間の使い方がうまくいかない。
せっぱつまらないとやらない性格が災いしている(というのは完全に言い訳だ)。

今日も本当は、時間が作れればVIPな方とお会いできるかもしれないチャンスだったのに、フイにしてしまった。
でも、原稿のレベルは落としたくないなあ。みんなどうやって折り合いを付けているんだろう。
慣れなのかなあとも思うけど、あまり慣れたくないような気もする。

実は次に紹介しようと思っている本は決まっている。京都の本だ。
京都本は、春と秋の観光シーズンをめがけてどっと出る。雑誌の特集も然り。
でも、こんな本を作りたいと思うような本はあまりない。
本を一冊幸運にも出させてもらって変わったことは、その本を書くに至った時間を読むようになったことだ。即物的に作られた本には、あまり興味を持てなくなった。
そんな感情を持ちはじめてから、将来こんな本を書けたらなあと思えた京都本。
次に紹介するのはそんな本です。
思わせぶりな告知でした。

「落語と私」 桂 米朝著 

文春文庫 本体419円+税

一回目に書く本は何にしようか迷ったが、自分自身良書と思った本を紹介するという線に則りこの本を選んだ。

この本を最初に読んだのは確か2年ほど前のこと。東京から京都に帰ってきて小さな落語会にちょくちょく出掛けるようになってからのこと。その時は図書館でポプラ社から出版されているハードカバーを借りて読んだ。
この本の素晴らしいところは、桂米朝師匠が中学生、高校生向けに易しく噛み砕いて落語を解説しているというところだ。それだけに落語入門書としての価値は高い。
落語の話芸としての特異性からはじまり、作品や歴史について、寄席の流れ、東西の落語家と解説は続き、落語の楽しみ方の幅を広げてくれる。
特に個人的に落語を見る目が変わったと思える点は、落語家の所作である。落語は一人で何人もの登場人物を演じ分け、観客の想像力を借りて話が進んでいくわけだが、何気なく見える演者の所作により、その演じられている空間や距離感、登場人物の性別、年齢、性格、地位まで細かく演じ分けられている。
もちろんネタを聴き、面白かっただけでも楽しめるのであるが、所作ひとつひとつに注目することで、話は何倍にも面白くなるように思う。

余談であるが、この本は再読の素晴らしさも教えてくれた。2ヶ月ほど前、本屋で文庫を見つけ、再読したのだが、以前読んだときには読み流していた「はじめに」を読んで、もう一度読んだシアワセを感じた。
そこでは落語好きの米朝師匠が、落語を職業とすることにより、苦しみや悩みが生じてきたと書いているのだが、その時期を過ぎてまた新たにいろんな事が分かってきたと書いておられる。そしてやっと弟子や後輩に自信をもって何かが言えるようになったとも。50歳を迎えた米朝師匠が書いているのである。
個人的に、働くことや働き方、職業については非常に興味を持っており、また悩んでいる部分なのであるが、ひとつの答えが短い「はじめに」の中に隠されていたような気がした。読むタイミングで、同じ本から感じ取る内容も変わってくるということを気づかせてくれた本でもある。

落語と私

まったり読書空間へようこそ

ブログを立ち上げる立ち上げると言ってから、何ヶ月が経過したことでしょう。
ひそかにamebaにスペースを借りてからも数ヶ月。やっと始動します。

以前からブログを立ち上げるなら読書記録も兼ねて、是非とも本の紹介を書きたいと思っていたのですが、今までの読書歴をふりかえると体系だった読書は恥ずかしながらしていません。その時々の興味に沿って読んできたというのが実情です。
また読みたい時期というのが周期的にやってきて、そういう時はがーっと読むけれども、読まない時期はあまり本屋にも行かない、そういう読書癖もあります。

まあ、あまり肩肘張らずに書いていこうと思っていますので、よろしくお願いします。