重巡洋艦「最上(もがみ)」の艦内神社は、山形県の月山神社の分祀だった!
皇學館大學、大阪国際大学講師の久野潤先生は、ご自分の研究のサブテーマとして、旧海軍の軍艦の艦内神社 (=軍艦の艦内でお祀りする神棚)の調査研究をされています。
海軍の艦艇には「艦内神社」が基本的には必ずあったようです。ご祭神としては、艦名にちなんだ神社から分祀することが多く、
戦艦「大和」の「大和神社」(奈良県)
戦艦「武蔵」の「氷川神社」(埼玉県)~武蔵の国一之宮
重巡洋艦「那智」の「那智大社」(和歌山県)
などが有名です。
軍艦ですから、出撃にあたり戦勝や武運長久などが祈願されたようです。
この伝統は、現在の海上自衛隊の護衛艦にも引き継がれていて、慣例として「神棚」が設けられているそうです。
旧海軍の艦内神社のことは、終戦の混乱の中で、忘れ去られ、意外にも全艦艇の記録が残っているわけではないのだそうです。
そんな中、久野潤先生は、旧軍関係者への取材や、神社に残された記録などを辿りながら、情報を集めておられます。
艦内神社は、ある意味で「軍人の魂」の象徴であり、また海上自衛隊にもつながる日本海軍の伝統の象徴でもあり、記録として当然残しておくべきものでしょう。
現代ならば、まだまだ旧軍の生存者の方がいらっしゃいます。そういう意味でも、久野潤先生の現在のこの地道な活動はとても貴重だと思いました。
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さて、本日は、
久野潤先生、仲谷さん、と私(護国神社巡拝びと)で、重巡洋艦「最上」の乗組員であられた、加藤昇元海軍中尉の京都市伏見区のご自宅を訪問しました。
加藤中尉は、
「最上」艦載の零式水上偵察機のパイロットをされていた方で、レイテ沖海戦で、最上が撃沈される時も、「最上」におられたという非常に貴重な御経験をお持ちの方です。本年90歳。(当ブログではたびたびご紹介させていただいております。)
久野潤先生は、
「最上」の艦内神社が、山形県最上川の上流の羽黒山近くにある出羽三山神社の月山神社であることを確認されたのです。
先生は、今月、山形県まで行かれで同神社を参拝され、神札を入手され、今朝、神札を加藤さんに渡されたのでした。加藤さんはとても喜ばれておられました。
↓神札を渡されたときの記念写真を、撮影させていただきました。
↓神札をアップで撮影させていただきました。
↓月山神社には、旧海軍の「最上」の乗組員関係者からのお手紙や書類が残されているそうです。そのコピーをお見せになりながら、ご説明される久野先生。
加藤さんのお話によると、最上の艦内神社は、艦長室の前にあったのだそうです。「艦内神社」とは呼ばず、「最上神社」と呼んでいたそうです。加藤さんご自身も、その「最上神社」が「月山神社」から分祀されたものだったことは知らなかったそうです。
↓加藤さんのご自宅にあった「最上」のプラモデル。
加藤さんは今も、一緒に戦い亡くなった戦友の冥福をいのられているのだそうです。
私達も、尊い戦没者の霊に深い感謝の誠を捧げなければなりません。